八尺チェーンソー様(5)

 八尺様の白いワンピースが、赤に染まる。


「ぽ、ぽ……」


 傷を受けた八尺様が大きくのけぞる。


「……ぽぽぽぽぽ」


 そして、八尺チェーンソーが異様な音を上げ始めた。


「ッ!?」


 倒れずに踏み止まった八尺様が、八尺チェーンソーを振り下ろしてきた。ツインチェーンソーで受け止めるが、重い!

 更に八尺様は止まることなく、立て続けに斬撃を繰り出してくる。今までよりも重く、速い!


「こん、のぉ……!」


 こっちもツインチェーンソーをぶん回して対抗する。八尺の刃とふたつの刃が、立て続けにぶつかり合って金属音を響かせる。

 確かに一撃は入った。腹の傷からは血が溢れて、白いワンピースを赤く染めている。だけど八尺様が止まらない。これくらいの傷じゃ止まらないのか? それとも、俺を道連れにするつもりか?

 どっちかはわからないが、これだけは言える。八尺様は全力で俺の首を獲りに来ている。


「上等ッ!」


 一撃で終わるなんて思ってない。このとんでもない恐怖が、そう簡単に終わるなんて思ってない。

 終わらせるには何もかも必要だ。全部、全部だ。俺の知ってる全部をぶつける。今ならなんでもできる。

 コイツのせいで忘れる羽目になった昔の俺も、今の今までチェーンソーを振り回してきた今の俺も。それだけじゃない。八尺様にやられたみんなも、そして、メリーさんの分も、全部纏めてぶつける。


 ツインチェーンソーをぶん回す。降り注ぐ無数の斬撃に、こっちも同等の斬撃で対抗する。

 逃げないなら、防がないなら話は早い。小細工なしの真っ向勝負、受けて立つ!


「ぽぽぽ、ぽぽぽぽぽぽぽぽぽッ!!」

「オラオラオラオラオラオラオラァッ!!」


 回す。握る。斬りかかる。無心でそれをひたすら繰り返す。チェーンソー同士がぶつかる度に、耳が千切れそうな金属音が鳴り響く。

 八尺チェーンソーが振り下ろされる。ツインチェーンソーを掲げて、チェーンソー発勁で受け止め、弾き返す。

 踏み込んで、八尺様の肘目掛けてツインチェーンソーを横薙ぎに振るう。八尺様はチェーンソーを縦に掲げて防ぐ。

 縦にした八尺チェーンソーがそのまま回転して、下から俺を狙ってくる。ツインチェーンソーの反対側の刃でそれを受け止める。


 受け止めたチェーンソーごと持ち上げられる。何度も見た奴だ。空中に打ち上げて動きを封じて、チェーンソーで真っ二つにする技。リンさんに、そしてメリーさんに仕掛けた技だ。

 迷ってられない。地面を蹴ってこっちから飛ぶ。その先には八尺様の顔面。そこへツインチェーンソーを突き出す。妨げる八尺チェーンソーは間に合わない!


 腹に衝撃。体が更に上に打ち上げられた。チェーンソーを放した八尺様が右手で放ったアッパーだった。俺の体がキリモミ回転しながら上昇、静止し、重力に引かれて落下する。

 体を捻る。回転に勢いをつける。ツインチェーンソーを体に引き付け、回転数を更に引き上げる。触れれば切れる竜巻と化した俺は、八尺様の頭めがけて落下する。

 重力と遠心力、更にチェーンソーの回転力も加えた一撃だ。しかも八尺様は、俺をアッパーで打ち上げた直後だから、チェーンソーを構えきれてない。いくら八尺様でもこれは防げないはず!


「おおおおおっ!」


 雄叫びを上げて、八尺様の頭上に迫る。八尺様は俺の一撃を防ごうと、チェーンソーを掲げる。構わない。防ぐなら力任せに押し込んで、頭に回転刃を埋め込んでやる。

 間合いがゼロになる瞬間、八尺様が膝を曲げた。八尺チェーンソーが僅かに遠ざかる。思い出すのはリンさんの最期。こんな風に間合いを外されて、渾身の一撃を空振っていたか。


 一度見たなら、対策はできる。


 体をもう一度捻る。回転が更に早くなる。同時に、引き付けていた腕を伸ばす。腕一本分の間合いが伸びた。届かないはずの八尺チェーンソーに、ツインチェーンソーが食らいついた。


「しゃあっ!」

「ぽっ、ぽぉっ!?」


 轟音。叩きつけられたツインチェーンソーは、掲げられた八尺チェーンソーを押し込んだ。八尺様の頭を割るには至らなかったが、押されたチェーンソーは八尺様の左の肩に食い込んだ。

 そのまま左腕を斬り飛ばしてやろうと力を込める。だが、込めた力が。坂道を転がるかのように、俺は八尺チェーンソーに沿って落下した。肩から地面に叩きつけられて、動きが止まってしまう。

 八尺様が肩からチェーンソーを引き抜いた。そいつを右手で握って振り下ろしてくる。ギロチンのように回転刃が迫りくる。


「Damn it!」


 俺は倒れた体勢から逆立ちになるような蹴りを放った。ジャコウさんが使ってた、カポエイラの蹴りだ。回転刃の横腹を蹴り、軌道を逸らす。顔のすぐ横に地面に八尺チェーンソーが突き刺さった。

 蹴りの勢いのまま立ち上がる。そして、ツインチェーンソーを振る。狙いは腕。力はいらない。辰砂さんのように極限まで速さを突き詰める。加速したツインチェーンソーが肉を削ぎ、骨を削った。

 それでも八尺様は腕を動かし、チェーンソーを振るう。腰を狙って八尺チェーンソーが迫りくる。俺はツインチェーンソーを斜めに構えて、八尺チェーンソーを受けた。刃が滑り、ツインチェーンソーに沿って頭上へと跳ね上がる。石英さんの計算通りだ。

 跳ね上がったチェーンソーが止まり、急降下する。構えていたツインチェーンソーでそのまま受け止める。落石のような衝撃が体を襲う。玄武さんのように歯を食いしばり、両足から衝撃を逃がすイメージ。

 いや、この一撃は軽い。そう思った瞬間、八尺チェーンソーが引き戻された。僅かに下がった切っ先が、俺の上半身へ突き出される。とっさに身を捩って突きを避けるが、耳が片方飛んだ。親父ほど上手く避けられないか!


 突きを避けた勢いで体を回転させつつ、前へ。八尺様の懐に飛び込む。


「しゃあっ!」

「ぽぽっ!」


 ツインチェーンソーを振り上げる。八尺チェーンソーが振り下ろされる。交錯。けたたましい金属音とともに、ふたつの刃が離れる。お互い、腕に力を込めて、もう一度チェーンソー同士を叩きつける。


 手が痺れる。何度も何度も八尺チェーンソーを叩きつけられて、腕が悲鳴を上げている。

 八尺様の腕から血が吹き出す。人間ならとっくに腕が動かなくなるような傷だ。


 押し込んだツインチェーンソーが、八尺様の太ももを切り裂く。

 振り上げられた八尺チェーンソーが、俺の二の腕を削り取る。


 呼吸が荒い。酸素が足りない。歯を食いしばって八尺様を睨みつける。

 八尺様の姿勢が悪い。積み重ねたダメージが体力を奪っている。


 長い遊びだった。だけど、そろそろ終わりの時だ。


「楽しかったか? 八尺様」


 答えはない。八尺様は無言でチェーンソーを構えている。

 前へ踏み出す。八尺チェーンソーを何度も受け止めながら間合いを詰める。

 腕を振るう。重い。八尺チェーンソーの一撃じゃない。腕力に限界が来てる。


「ふんぬ、ぐぅ……っ!」


 気合を入れて、チェーンソーを握りしめる。まだだ、もうちょい付き合ってくれ、俺の腕。

 ツインチェーンソーを横薙ぎに振るう。八尺様が防ぐ。だけど、衝撃で体勢が乱れた。チャンスだ。

 体を捻り、チェーンソーを手の内で回転させる。ツインチェーンソーの反対側の刃が、八尺様の首へ迫る。防ぐ余裕は与えない!


 八尺様が身を屈めた。2m40cmの巨体が、べったり地面に張り付いた。渾身の一振りが空を切る。

 身を屈めた八尺様は、右手一本でチェーンソーを握りしめた。そして、両足と左手を使って立ち上がろうとする。

 立ち上がる勢いを乗せた八尺チェーンソーを止められるか? 見た瞬間に無理だと悟った。だけど避けることもできない。八尺様の懐に飛び込んでいる。前後左右どこに動いても、刃渡り八尺の間合いからは物理的に逃れられない。


 ツインチェーンソーを握りしめる。

 まだだ。まだ全部出し切ってない。

 最高にノッている今なら。死にギリギリまで近づいた今なら。遊びが一番盛り上がってる今なら。一度体験したことならなんでもできる今なら。

 一番の、とっておきが繰り出せる。


「俺は――」


 八尺様が立ち上がる。目では捉えられない速さで、八尺チェーンソーが振り抜かれる。


大鋸おおが翡翠ひすい


 声を残して、世界が消える。

 真っ暗闇を経て、視界が切り替わる。チェーンソーを振り上げた体勢で固まっている八尺様のが見える。



 振り返る八尺様の胴体へ、ツインチェーンソーを放った。血飛沫とともに肉が斬り裂かれ、骨が削り取られ、八尺様の体は両断された。

 八尺チェーンソーを持ったまま、八尺様の胴体がくるくると宙を舞う。そして、俺に向かって落ちてくる。

 大きく息を吐いて、ツインチェーンソーを腰溜めに構える。視線は落ちてくる八尺様を見据えたまま。まだチェーンソーを握っている。最後の一撃に備えて、チェーンソーのハンドルを握りしめる。


 間合いに入った。

 八尺様の上半身が、八尺チェーンソーを振り下ろす。俺はツインチェーンソーを振り上げて迎え撃つ。

 エンジン駆動するチェーンがぶつかり合う。金属同士が喰らい合う耳障りな音と共に、火花が舞い散る。

 膝が、肘が、曲がる。押されている。半分になっても八尺様は重い。持っている八尺チェーンソーも。それに、腕がもう、限界だ。


 だから、足に力を込める。筋肉と関節を調整して、足から手の先まで一本の棒を通すように立つ。その状態で踏み込めば、足の力はそのまま腕へ、そしてチェーンソーへ伝わる。

 チェーンソー発勁。瞬間的に筋力を爆発させるその技が、八尺チェーンソーを押し返した。鍔迫り合いに負けた八尺チェーンソーは八尺様を袈裟懸けに斬り裂き、押し勝ったツインチェーンソーは八尺様の顔面に突き刺さった。


「アアアァァッ!!」


 吼える。頭蓋骨をガリガリと砕く振動を、全身で受け止める。脳天から真っ二つにされて、中身が頭上から降り注ぐ。そして、頭から両断された八尺様の残骸が、左右に分かれて地面に叩きつけられた。それから、落ちた八尺チェーンソーが地面に突き刺さった。


「ぽぽぽ、ぽ、ぽ。ぽ……」


 奇妙なエンジン音を出し続けていたチェーンソーは遂に止まった。引き裂かれた八尺様の残骸も動かない。

 肩で息をしながら、辺りを見回す。動くものは何もない。むせ返るような血の匂いの中で、ひまわりが揺れているだけだ。


 疲れてる。腕が重い。全身が痛い。死ぬほど疲れてる。だけど、まだ倒れられない。

 ふらふらと歩いて近付く。地面に倒れたメリーさん。


「……おい、メリーさん。終わったぞ」


 メリーさんはピクリとも動かない。青い瞳が虚ろに俺を見上げている。


「遊びは終わりだ。今日はもう十分だろう。帰るぞ」


 返事はない。腰から下が無くなった体を抱えあげる。軽い。血がすっかり抜けている。


「何か食べたいものはあるか? なんでも買ってやるから。ぬいぐるみとか、本とか、そういうのでもいいぞ」


 返事はない。声をかけても、揺すっても、メリーさんは動かない。


「……だから、起きてくれ、メリーさん」


 メリーさんの体を抱えて、あぜ道を歩き出す。

 絵の具を塗りたくったかのような青い空。眩しく輝く太陽。視界いっぱいに広がるひまわり畑。

 どれもこれも、滲んで、歪んで、濡れていた。

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