ナポリタン

 ここはとあるレストラン。


 ……別に適当なことを言っているわけじゃない。本当に店の名前が『とあるレストラン』なんだ。変な名前の店だ。

 こんなよくわからないレストランに訪れたのは、メリーさんのせいだ。今日は埼玉の動物園に出掛けてたんだが、帰りが少し遅くなって、メリーさんがお腹が空いたとぐずりだした。それで道路沿いに偶然あったこの店に入ることになった。ここは本格イタリアンらしく、懐具合が心配になったけど、考えてみたらメリーさんの金だから俺が財布を気にする必要はなかった。


 店に入るとウェイターが丁寧に挨拶してきた。


「いらっしゃいませ。おふたり様ですか?」

「はい」

「かしこまりました。あちらの席へどうぞ」


 言われた席は窓際だった。空のテーブルを挟んだ向こう側に、男ふたりが向かい合って座っている。一人は眼鏡を掛けた男。もうひとりは髪をツーブロックにした男。どっちも頭が良さそうな雰囲気がある。


「この仮説が正しいとなると、リットンの熱保存の法則が成り立たなくなる」

「なるほど。実に興味深い」


 なんだか難しいことを喋っているので、学者かもしれない。


「メリーさん、何にする?」

「ちょっと待って」


 メリーさんはメニューと真剣ににらめっこしている。こういう時は急かさないほうが良いと、経験が知っている。

 半年以上の付き合いになってるからそれなりにわかるんだけど、メリーさんは食べ物をとても選ぶ。好き嫌いが多いわけじゃなく、昼が洋食なら夜は和食、ラーメンを食べた後はカレーというように、いろいろな種類の食事を摂ろうとするタイプだ。


 俺はメニューをざっと眺めると、ナポリタンを頼むことにした。人気メニューらしい。あとはミックスグリルと……ポテトサラダもつけよう。


「決まった」

「おう。すいませーん」


 手を軽く上げて、店員を呼ぶ。


「ご注文お決まりでしょうか」

「はい。メリーさん、先、いいぞ」

「えっと、エビサラダと、ハンバーグセットと、りんごジュース、それといちごパフェをください」

「俺はポテトサラダと、ナポリタンと、ミックスグリルを」

「サラダのドレッシングはいかがいたしますか?」

「えっ? うーんと……」


 選べることに気付いてなかったのか。


「イタリアン、和風、シーザー、ごまの4種類がございますが」

「……シーザー!」

「俺はイタリアンで」

「かしこまりました。ハンバーグのソースはデミグラスと醤油、どちらにいたしますか?」

「デミグラス!」


 こっちは食い気味に答えた。


「俺もデミグラスで」

「パフェは食前と食後、どちらにいたしますか?」

「食後で」

「かしこまりました」


 店員は一礼すると、キッチンに向かった。


「飲み物は頼まなくていいの?」


 メリーさんが聞いてきた。


「ああ、これでいいよ」


 水のグラスを傾ける。


「せっかくのお出かけなんだから、好きなものを頼めば良いのに」

「車だからな。アルコールはだめだろ?」


 そうでなくてもメリーさんの前で酒を飲むのは、なんというか、アレだ。

 ウェイターがりんごジュースとサラダを運んできた。俺たちはそれぞれのサラダを食べ始める。

 うん。美味い。ポテトサラダだけど、全然ベチャついてない。スーパーの惣菜とは大違いだ。


「メリーさん、どうだ?」

「もしゃもしゃ……」


 メリーさんも大満足でレタスを食べている。

 『とあるレストラン』なんて変な名前だったから心配したけど、中々いいイタリアンじゃないか。


「いや、その実験は前例があるぞ。1999年、カールムバーグ『真空中におけるエネルギー変換効率』だ」

「確かにそうだが、あの実験は再現性が低い。我々が見落とした前提条件があるはずだ」


 別席の学者さんたちは相変わらずむずかしい話をしている。メシ屋なんだからメシを食え。


「おまたせいたしました。ハンバーグセットとミックスグリルです」


 メインディッシュがやってきた。熱々の鉄皿に盛られたハンバーグと肉の盛り合わせが、じゅうじゅうと音を立てている。

 そこに店員がデミグラスソースをかける。ソース混じりの湯気が立ち、香ばしい匂いが辺りに広がる。

 メリーさんはたまらずハンバーグを一口食べた。途端に表情が緩む。


「おいしい……!」

「熱くない?」

「大丈夫」


 俺も一口食べてみる。美味い。一噛みすると、肉汁がじゅわあっと口の中に広がる。肉の旨味が最大限に発揮される火の通り方だ。


「こりゃ美味い」


 ハンバーグ、ベーコン、チキン、なんなら付け合せのニンジンもおいしい。デミグラスソースでごまかしてるわけじゃない。肉がシンプルに美味い。

 気がつくと、メリーさんの手が止まっていた。俺のベーコンをじっと見つめている。


「……食うか?」

「いいの?」


 メリーさんの顔がぱあっと明るくなる。

 俺のプレートからチキンを取ると、口に運んだ。むふー、と満足げな声が漏れる。美味いだろう。俺が作ったわけじゃないけど。


「お待たせいたしました。ナポリタンでございます」


 おっと、主食がやってきた。赤いソースに野菜とウインナーを混ぜ込んだパスタ。この店の人気メニューのナポリタンだ。

 サラダは中々、肉は上出来。おまけに人気メニューなら、味も期待できる。いいなー、と呟くメリーさんに見せつけるように、ナポリタンを口にした。


「……うん?」


 ……なんか変だ。しょっぱい。変にしょっぱい。舌触りがザラザラする。ケチャップが濃すぎるとか、そういう問題じゃない。塩味がキツすぎる。頭が痛くなるほどのしょっぱさだ。


「どうしたの?」

「なんか、しょっぱい……」

「えー?」


 メリーさんがフォークを伸ばす。止める間もなく、メリーさんはナポリタンを口に含んだ。途端にしかめっ面になる。


「しょっぱい!」


 声が大きい!


「何よこれ! 全然美味しくない! ふざけてるの!?」

「メリーさん、静かに……!」


 別の席の学者さんたちがこっちを見ている。すいませんびっくりさせて。

 ぎゃあぎゃあ騒ぐメリーさんの声を聞きつけて、店員がやってきた。


「いかがされましたか、お客様」

「このナポリタン、全然美味しくないんだけど!? 作り直してちょうだい!」

「ちょっと、おい……!」


 待て待て、こういうお店でそんなにストレートに言うのはマズい。なんだかウヤムヤにされたり、クレーマー扱いされて店を追い出されるのがオチだ。


「すみません、作り直します。御代も結構です」


 ほらやっぱ……え?

 店員はあっさりとナポリタンのお皿を下げ、キッチンへ戻っていった。


「ほら、やっぱり。何かおかしかったのよ」

「そうか……?」


 いくらなんでも戸惑いもせずに素直に皿を下げるっていうのはおかしいというか、素直すぎるというか……。牛丼屋の店員だって、もう少し事情を聞いたりするぞ?

 ひょっとして奥から対クレーマー専門の暴力部隊が出てくるのかと思って警戒していたが、ごく普通に店員が新しいナポリタンを持ってやってきた。


「代えの物をお持ちいたしました。お召し上がりください」

「あ、はい、どーも……」


 できたてのナポリタンが湯気を立てている。見た目は先程と変わらない。

 フォークですくい取り、恐る恐る口に運ぶ。……今度は平気みたいだ。ごく普通のナポリタン、いや、普通より美味しいナポリタンだ。


「どう?」

「大丈夫だ」


 メリーさんに皿を差し出す。メリーさんはこわごわナポリタンを食べてみたが、すぐに目を輝かせた。


「おいしい!」


 よかった。俺の味覚がおかしくなったわけじゃないらしい。安心してナポリタンを食べようとして、気付いた。

 隣に誰かが立っている。見上げると、別のテーブルに居た学者のひとり、メガネを掛けた男が俺のナポリタンを覗き込んでいた。


「……何か?」


 ひょっとしてさっきメリーさんが騒いだことについて文句を言いに来たのだろうか。だとしたら謝るしかない。あれはこっちが悪い。

 ところが、学者の男は意外なことを口にした。


「いや……ひとつ聞かせてくれ。それは間違いなくナポリタンか?」

「は?」


 皿を見る。赤いナポリタンが乗ってる。


「ナポリタンですよ?」

「うむ。前提条件は間違いないか。では……なぜナポリタンは赤いのだろうか?」

「は?」


 皿を見る。ごく普通のナポリタン。赤いのはトマトケチャップが絡んでいるからだ。


「トマトが赤いからでしょ」

「確かに。材料が赤いなら料理も赤いだろう。ではそのトマトの赤さはどこから来ているのだろうか?」

「どこからって……トマトに赤い色が入ってるんじゃないの?」


 メリーさんが口を挟む。ところが学者はむしろその言葉を待っていた、という勢いで話し始めた。


「トマトに赤い色素が含まれている。それもまた一つの答えだろう。だが、『赤』という色を観測できる現象はそれ以外にもある。

 赤方偏移。宇宙空間において、地球から高速に遠ざかる天体ほどドップラー効果により、そのスペクトル線が赤色の方に遷移するという現象だ。

 つまり、本来のナポリタンが何色であろうとも、ナポリタンが我々から高速で遠ざかっているとすれば、毒々しく赤く見えるはずなのだ。だとすれば、この世の全てのナポリタンが赤いことも説明できる」


 えっ、急にむずかしい話になったぞ?


「ではこのナポリタンは高速で動いているか否か? それはナポリタンの反対側に回ってみることでわかる。運動の逆方向から観察することで、スペクトルは青方遷移し、青く見えるはずだ。

 ちょっと失礼」


 そう言うと、メガネの学者はテーブルを挟んで反対側に回り込んだ。ナポリタンの色は変わらない。


「赤いな」

「はい」

「つまり、このナポリタンは高速移動をしていないと言える」

「でしょうよ」


 だってまず、椅子に座ってる俺から見ても赤いし。


「おい、お前はどこまで馬鹿なんだ」


 結論が出掛けたところで、別の声が割って入った。メガネの学者と同じ席に座っていた、ツーブロックの髪の男だ。

 男はナポリタンを挟んでメガネの学者に対峙しながら語り始める。


「お前はナポリタンの赤さが赤方偏移によるものである可能性について気付き、その可能性についての検証を試みた。そこまではいい。

 しかし、その後が全く話にならんというのだ」

「なんだと?」

「確かに、光速に比較的近い速度で移動する物体は赤方偏移により赤く見える。

 しかしお前は、その光速に近い速度で離れつつあるスパゲティナポリタンの反対側に回ってのけたわけだ。

 ここまで言えば、俺が何を言いたいかがわかるだろう?」


 メガネの奥の瞳が見開かれた。


「私が……光速で移動していた……!?」


 何言ってんの?


「そうだ」


 そうなの!?


「お前は、お前との相対速度において光速に近い高速で離れつつあるナポリタンを速やかに追い越し、逆側に回った。そして、逆側に回ったとき、お前はあまりに急激に加速したために、自らナポリタンから急速に離れていたというわけだ。

 ゆえに、逆から見てもナポリタンが赤いのは当然なのだ!」


 わからない……何も……。



――



「まあ、結局学者さんたちはなんか納得して、そのまま席に戻っていったんだが……」


 翌週。俺は雁金にせがまれて、メリーさんと『とあるレストラン』に入った話をした。

 当然、反応は薄い。チェーンソーも幽霊も出てこないからだろうと思っていたが、雁金の様子がおかしい。


「ここは『とあるレストラン』……人気メニューは……ナポリタン……」


 なんかブツブツ言ってる。


「おーい、どうした雁金?」

「先輩、ちょっとお聞きしますが」

「おう」

「代金はおいくらでしたか?」

「1万ちょっとだ」


 何しろ本格イタリアンだからな。それくらいしても当然だろう。

 ところが雁金は眉根を寄せた。


「……先輩、今までイタリアンレストランに入った経験は?」

「バルならあるぞ」

「コース料理が出てくるちゃんとしたところです」

「コース?」


 そんな所は行ったことがない。すると、雁金は盛大に溜息をついた。


「先輩、騙されてます」


 騙され……えっ?


「ど、どういうことだ?」

「ナポリタンです」

「ナポリタン? あの、最初にまずくて交換したやつか? まさか、変なもの食わされたのか?」

「いえ。普通の料理でしょう。廃棄品とか、麻薬入りとか、人肉とか、そういうことではありません」


 具体例が怖い。


「じゃあ、一体?」


 すると雁金は非常に申し訳無さそうな表情で言った。


「ナポリタンは日本料理です」

「え」

「確かにナポリって名前がついていてパスタですが、あれは日本で生まれた料理です」

「台湾ラーメンアメリカンみたいなものか?」

「……多分それです」


 物凄く質問したそうなのを堪える雁金。


「多分、その『とあるレストラン』は、本格イタリアンレストランに見せかけた、ぼったくりレストランです。そもそもコース料理でもないのに、それだけのメニューで1万円超えるなんて、おかしいですよ……!」


 でも、でも納得がいかない。だって。


「美味かったぞ、料理は!?」

「雰囲気です」

「雰囲気!?」

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