リンフォン
「じゃーん☆」
睡眠不足とアルコールでテンションの高い雁金が取り出したのは、木製の正二十面体の置物だった。ソフトボールくらいの大きさで、上の方に細い隙間が空いている。
「なんだこれ。貯金箱か?」
「リンフォンです」
「ピンポン?」
「リンフォン! R・I・N・F・O・N・E!」
「あーる、あい、えぬ……ごめん、書いて?」
「これ、説明書です」
そう言って、雁金は黄ばんだ紙切れを紙袋から取り出した。最初から見せてくれよ。
紙にはアルファベットで『RINFONE』、あと置物が『クマ』→『タカ』→『チェーンソー』に変形する経緯が絵で描かれていた。他にも英語で何か文章が書かれているけど、わからない。見た感じ、いじくり回すと変形する、よくできたおもちゃらしい。感心したがそれだけだ。
「……え、見せたいものって、これ?」
「はい」
「ただのおもちゃだよな?」
「いえ。凝縮された極小サイズの地獄です」
「極小サイズの地獄」
いきなりトンチキなワードが出てきた。
「『リンフォン』って、そこそこ有名な怖い話なんですよ。変形する木組みのおもちゃを手に入れた持ち主に、不可解な出来事が次々に起こる。
で、占い師に相談すると、リンフォンは凝縮された極小サイズの地獄だって聞かされるんです」
「……つまり?」
「最後まで完成させたらとっても危険な呪いのアイテムです!」
「なんでそんな危ないもの持ってきたの?」
「雑誌でお世話になってる作家さんから調べてほしいって預かったんです。最近死んだご友人の形見なんだとか」
それ、飲み屋に持ってきて良い物なの?
「ちなみに『RINFONE』ってつづりを並び替えると『
「……地獄って『
「燃えてるタイプの地獄がインフェルノで、暗いタイプの地獄がヘルらしいですよ」
「へー」
針山地獄と血の池地獄の違いみたいなものか、ヘルとインフェルノ。
感心していると、雁金がその極小サイズの地獄を俺に向かって差し出してきた。
「ではどうぞ、先輩もやってみてください」
「やらねえよ。なんでやらなくちゃいけないんだ、そんなヤバい物」
「いやあ、でもこれがなかなか面白いんですよ。ぜひ!」
……そう言われると、ちょっとやりたくなってきた。本当にこの貯金箱みたいな物体が、クマの形に変形するんだろうか。
試しに手に取り、押したり撫でたりしてみる。ちょっと捻れそうな雰囲気があった。そうしてみると、カチッという音がして正二十面体の面の一部が隆起した。
「おお」
「そうそう。そういう風に、どんどん変形していくんですよ」
「なるほど」
試しに別の所を押して見ると、カチっと音がして引っ込んだ。意外と楽しい。
だが、子供のおもちゃかと思ったが、これが案外難しい。捻ったり引っ張ったりするのも力任せでは動かない。
「あの、壊さないでくださいね?」
雁金にそう言われているので、どうしても慎重になってしまう。ちょっと押し込めばカチッと嵌るのか、それとも壊れてしまうのか、そういう判断が難しい。
酔ってるのもあって苦労したが、時間をかけてどうにかクマっぽい形を作ることができた。
「これでOKか?」
「はい、クマの完成です!」
「よっし」
思わずガッツポーズしてしまった。
リンフォンが変形したクマは、4つ足で少し首を上げたポーズを取っている。あの正二十面体の木組みがこうなったなんて、中々信じられない出来だ。
熊の口には隙間が空いている。何か入りそうな感じだ。
「十円玉、入るかな?」
「貯金箱じゃありませんってば」
そして雁金はリンフォンを手に取った。
「それでですねえ、ここからタカに変形するはずなんですけど……」
雁金が説明しようとすると、店員が声をかけてきた。
「すみません、ラストオーダーです」
「えっ」
「あらら……」
もう閉店か。まずい。この時間だともう終電が無い。いつもは時間を考えて早めに切り上げるんだが、今日はリンフォンに夢中になってた。
「しょうがない、ホテルを探すか……」
「そうしましょう」
――
嫌な夢を見た。暗い谷底で、大勢の裸の男女がフラフラと歩いている。
奴らは俺の姿を見るなり、血相を変えて駆け寄ってくる。敵意のある目だ。俺はチェーンソーを手にして、近付いてくる連中を片っ端から切り刻んだ。
血や脂や臓物が溢れ出て、瞬く間に辺りは血の海、死体の山になる。
それでも奴らは手を伸ばしてくるのをやめない。まるで、何かにすがりつくように。
足を掴まれた。斬られた裸の女が、それでもなお俺の足首を掴んで、叫んだ。
「連 れ て っ て よ ぉ !」
「うるせえっ!」
悪態をついて、女の顔面を踏み潰す。頭蓋骨が砕ける感触が、確かに足の裏に伝わってきた。
――
汗だくで目覚めた。時計を見ると、まだ朝の5時ごろだった。普段なら二度寝だが、さっきの夢のせいで眠れそうにない。シャワーを浴びることにした。
シャワーから戻ってくると、机の上のリンフォンが目に入った。クマの形から更に変形して、翼が生えていた。タカになる途中なのだろう。
ベッドで寝ている雁金に目をやる。こいつ、俺が寝てからいじくってたのか。元気な奴だな本当に。
タカ型になったリンフォンは、喉のあたりに隙間が空いている。どう変形しても、どこかに隙間が空くようになっているらしい。やっぱり貯金箱に見える。
財布から十円玉を取り出して、隙間に入れてみる。直径は足りた。が、奥行きが足りない。変な所に引っかかっていて、十円玉が滑り落ちない。でも角度をつければいけそうな気がする。
隙間に突っ込んだ十円玉を、下から押し上げる。すると、パキッ、って音がした。
「あっ」
やっべ。
そっとリンフォンを机の上に戻した。多分……大丈夫だろ。
それからポットでお湯を沸かし、インスタントコーヒーを淹れた。雁金の分も準備したが、こいつはまだ起きてこない。リンフォンのせいで寝不足なのはマジらしい。
コーヒーを飲みながらスマホをいじっていると、着信が入った。
「もしもし?」
電話に出たが、返事はない。ザワザワした話し声が聞こえるだけだ。そして電話はすぐに切れてしまった。
たまにあるよなあ、ポケットに入れてた電話が勝手に繋がるやつ。
発信元を見てみると、『
ベッドのバネが軋む音がした。見ると、雁金が大きく伸びをしていた。起きたらしい。
「おはよう」
「……おはようございます」
寝起きはテンション低いんだよなコイツ。雁金はもぞもぞとベッドから這い出して、シャワーを浴びに行った。
しばらくして戻ってきた雁金にコーヒーを差し出す。
「飲むか?」
「はい」
インスタントコーヒーを熱がりながら啜る雁金。ふと、その視線が机の上のリンフォンに向いた。
「あ。先輩、ちょっといじりました?」
「お、おう」
「昨日の夜、ちょっとできるかなって思ってやってみて、タカの途中までいったんですよ。よくできてますよねー、ほんと」
「……これ以上はやめた方が良いんじゃないのか? 元ネタの怪談だと、途中でもう変な事が起こったんだろ?」
「ですねー。さっきも変な夢、見ましたし」
夢、と言われてギョッとした。忘れかけていた今朝の夢を思い出してしまった。
「……どんな夢だ?」
「沢山の人に追いかけられるんですけど、チェーンソーを持った地獄の鬼が全員バラバラにしちゃう夢です」
「そ、そうか」
凄い心当たりがある。ナメてたけど、ひょっとしたらこのリンフォンは本物かもしれない。
「……で、どうするんだこれ。捨てるか? 捨てていい物なのか?」
「それを相談したい人がいるんです。……ええと、先輩も来ますか?」
「ああ」
変な夢見たからなあ。
「そうしたら、スーツに着替えてきてください。午後に新宿駅で待ち合わせしましょう」
「わかった、どこに行くんだ?」
――
「マジか……」
なんてこった。まさかここに来ることになるとは思わなかった。
新宿駅から総武線に乗って、やってきたのは千代田区市ヶ谷。駅から少し歩いた所に建っているビル。看板には『アカツキセキュリティ(株) 番町出張所』と書かれている。
普通の人にとっては普通の会社なんだけど、俺にとってはちょっと違う。ここは友人の
受付で挨拶を済ませると、奥の会議室に通された。途中で事務所の中を通り抜けたが、陶の姿はない。どうやら休みらしい。まあ、今日、日曜日だもんな。
会議室でお茶を飲んでいると、パンツスーツの女性がやってきた。
「や、どうもどうも」
雁金と同い年か、少し上ぐらいか。長い黒髪をポニーテールに纏めている。やたらスタイルがいい。それを見せつけるかのように、タイトなパンツスーツを着ている。
軽い調子で話しかけてきた女性は、名刺を差し出してきた。
「アカツキセキュリティ『四号四班』、班長の
陶の上司か。
「どうも。雁金朱音です」
「大鋸です」
挨拶を終えると、吉田さんはふむふむ、といった表情で俺たちの顔を見た。
「かわいこちゃんとワイルドなお兄さんねえ……いい取り合わせだ、うん」
「えっと……?」
「ああ、失礼。陶から話は聞いてるよ。何かヤバいもの、持ってきたんだって?」
「はい、これなんですけど」
雁金は『リンフォン』を紙袋から取り出す。それを目にした吉田さんは、わずかに顔を引きつらせた。
「うわぁ、ろくでもない……」
「わかるんですか?」
「なんとなく、ね。まあ、これから詳しく調べるからさ」
そして吉田さんは会議室の入口の方を振り向いた。
「九段下さん、大丈夫?」
「はい……はいっ、今行きますっ」
女性社員がもうひとり入ってきた。こっちはスーツだけどスカートだ。事務員って感じがする。猫背で、前髪で目が隠れがちで、怯えた表情をしている。
「あっ、あの、はじめまして。
「雁金です」
「大鋸です」
「ひえっ」
挨拶したら悲鳴があがった。……悪人面だけどここまで過剰反応される覚えは無いぞ。
「九段下さん、リラックスリラックス」
吉田さんが宥めると、九段下さんは物凄い早口でボソボソと喋りだした。よく聞こえない。
「もしもし?」
「はい。危険なものです。とても危険なものです。一目でわかります。わかりましたからもう下がってよろしいでしょうか?」
「いや、もうちょい具体的に」
「そんな無理しなくても……」
あんまりに怯えるものだから、ちょっと申し訳ないと思った。吉田さんは困ったような笑顔を浮かべる。
「ごめんねー。九段下さん、普段は裏方だから。落ち着いて。深呼吸、深呼吸」
震える息を吐き出すと、九段下さんは少し落ち着いたようだ。でも『リンフォン』に向ける畏怖の視線は消せていない。その目が、少し明るく見えた。
「さて、スイッチが入ったところで。何が見える、九段下さん?」
「……逆十字、燃える山、螺旋に下る人々。
銀貨は重みを増し、救いの時は遠ざかる。
欠音四文字、悪魔の不在、7度の公会議を経て、大勢は海へ」
九段下さんが早口で何かを言う。さっきまでと雰囲気が全然違う。
「どうしたんですか」
「九段下さんはね、占いのプロなの。こういう案件が本物かどうか、一発で見極めちゃうのよ」
吉田さんが胸を張って解説する。
占いかあ。凄いな。占いなんて、朝のニュースの星座占いしか知らないけど、本物はこんなに雰囲気出るのか。
「占い……なんですか? これで?」
隣の雁金が首を傾げた。違うの?
「……わかりました。はい」
九段下さんが口を開いた。
「結論から言いますが、その、危険です。これ以上、これの形を変えないでください」
「ああ、はい。やっぱり、『極小サイズの地獄』なんですか、これ?」
「ええ、ええ、その通りです。ご存知でした? しかも、壊れかけです。も、もう少し壊れたら、地獄が解放されていましたよ……」
「……壊れかけ?」
雁金が首を傾げた。
やっべ。
「いえ、そんなはずは……丁寧に扱いましたし。変形だって、無理せずちゃんとやりましたよ」
「ですが、この、ほら、この穴の辺りがちょっとスカスカしてるじゃないですか」
「……先輩?」
雁金が疑り深い視線を向けてくる。
「なんだ?」
「先輩。壊しましたね?」
「でたらめ言うな。持ってくる時にどっかぶつけたんじゃないのか?」
「いーえ。どこにもぶつけてません。それに最後に触ってたのは先輩じゃないですか。タカの途中までいじくったんでしょう?」
駄目だ、ごまかしようがない。
「……そうだよ。いじくってたら力加減間違えて、パキッっていったんだよ」
「やめてくださいよ、そんな……こんな危険なもので。おもちゃを貰った子供じゃないんですから……」
九段下さんが控えめな口調で辛辣な言葉を投げつけてくる。横で吉田さんはニヤニヤ笑っている。
「それで具体的には何をどうしたんですか?」
九段下さんが聞いてきたので、素直に答えた。
「ここの穴にな、十円玉を、ぐいっと」
「えっ」
九段下さんが信じられないものを見るような目つきをした。
「どうしてそんなこと……」
「いや、最初に見た時から貯金箱みたいだなーって思って、十円玉を差し込んでみたら、パキッて」
「やめてくださいよそんな恐ろしいこと!?」
九段下さんが物凄い悲鳴を上げた。
「いや、だって……入りそうじゃんこれ?」
「やめてください! 完全に壊れてたら大惨事ですよ!?」
「じゃあ五円玉なら」
「入 り ま せ ん !」
そんなに怒らなくても……。吉田さんは喉を引きつらせて笑ってるし……。なんなんこれ……。
「とにかく、これ以上はいじってはダメです。持ち主の作家先生には事情を話して、処分するように説得してください。
で、処分する時は必ず燃やしなさい。ハンマーでぶっ壊したり、ゴミ捨て場とかに捨てたりしてはいけません」
「燃やしていいんですか? 『インフェルノ』なのに?」
「……は? いんふぇるの?」
九段下さんがキョトンとした。名前がついている、なんて思いもよらなかった顔だ。
「はい。『リンフォン』をアルファベットにして並べ替えると『インフェルノ』になるんです。燃えてるタイプの地獄ですけど、大丈夫ですか?」
「……そういうことか。趣味が悪いなあ」
吉田さんは何かに気付いたらしい。ひとりで頷いている。九段下さんに至ってはドン引きしている。
「だ、大丈夫です。これは今の形が封印になっていますから、そのまま燃やせば中身ごと浄化されます。逆にこれ以上壊したら中身が溢れるから、丁寧に扱ってください」
中身って、悪霊か何かでも入っているのだろうか。それなら確かに、そのまま燃やしたほうが良さそうだ。
「じゃあウチの山で……」
「あなたは触らないでください」
九段下さんに止められた。……うん、壊したからな。俺が悪い。
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