14番線 クソデカきさらぎ駅

 雁金はトイレの個室で銃を抱えて座っていた。

 外では大鋸たちが戦っているが、雁金は体が麻痺していて戦えない。不甲斐ない気持ちでいっぱいだ。無事に勝ってくれることを祈ることしかできない。

 祈る? 何に? 神様? そんなものいないのに。


 ふと、戦闘音に混じって妙な音がしている事に気付いた。ずるずると何かが這いずる音。近付いてきている。何かの怪異か。雁金は息を潜める。

 ギィ、とドアが開く音がした。入り口から一番近い個室だ。しばらくして、また、ギィ、という音がした。次は入り口から2番目の個室だ。

 雁金は息を呑んだ。探されている。雁金が籠もっているのは一番奥、4番目の個室だ。あとふたつ。

 音を立てないように、ゆっくりと銃を構える。ドアには鍵をかけている。開けようとして、ドアが突っかかった瞬間に撃つつもりだ。ショットガンならプラスチックのドアなどやすやすと貫通する。

 ギィ、と3番目のドアが開く。次だ。銃を握る手にじっとりと汗が滲み出す。心臓がバクバク言っている。

 緊張しているだけだ。怖いわけじゃない。雁金は自分に言い聞かせる。

 山での狩りと同じだ。獲物が姿を現したら引き金を引く。それだけの事だ。何も怖がる必要はない。


 ゆっくりと息を吸い、そろそろと息を吐き、気付く。

 来ない。とっくに来てもおかしくないはずなのに、ドアは全く動かない。雁金は困惑する。諦めた? ここまで来て? でも、這いずる音は確かに止んでいる。

 まだトイレにいるのか。開けて確かめるべきか。いや、そうしたら気付かれる。銃を撃つか? だけど、相手が狙いの場所にいるという保証もない。 立ち去った? 戦闘音に紛れて、音を聞き逃したか?

 雁金の考えは堂々巡りになっている。考えて考えて、それでも答えが出ず、上を向いて息を吐いた。


「みーつけたぁ」


 にやにや笑いを浮かべた吊り目の女性が、ドアの上から雁金を覗き込んでいた。


「ひっ……!」


 雁金は悲鳴を上げながらも、銃を撃った。だが、散弾は弾かれてしまった。

 それで雁金は気付いた。これは、さっき地下のホームで撃退した『カシマさん』だ。単発弾スラッグショットで胴を引きちぎったのに、何故生きている?

 カシマさんがドアを乗り越える。彼女の全身を見て、雁金は目を丸くした。腰から下が無い。


「どうしてっ、生きてるんですかっ!?」

「うふふっ。手足を取り替えられる怪異が、そう簡単に死ぬと思いました?」


 カシマさんが雁金の膝の上に落ちてきた。上半身だけとはいえ成人女性の重量を浴びて、雁金は苦痛に顔を歪める。

 雁金はショットガンを撃とうとするが、その前にカシマさんが腕を捻り上げた。凄まじい握力と、関節が逆方向に曲がる痛みで、雁金はショットガンを取り落してしまう。


「うぐ……っ!」

「オイタは駄目ですよ?」


 カシマさんは雁金の全身をじっと睨め回す。


「よく締まった健康的な足に、傷一つ無い綺麗な腕……お腹周りは、腹筋が締まり過ぎかしら? でも背に腹は代えられないわよね。文字通り。うふふっ。

 顔は……今の顔の方が可愛いわね。でも、その目はいいかも」

「な、何を……」

「ん? あなたの体から、何を貰っちゃおうかな、って」


 その言葉に、雁金はゾッとした。さっき、カシマさんの袋の中に入っていた手足を思い出す。あれと同じ、いや、もっと酷いことになる。


「やめっ、やめてください! 離れてください!」


 雁金は必死に暴れるが、カシマさんはびくともしない。


「そんなに怖がらなくていいわよ? 残った部分は大好きな先輩に返してあげるから」

「こわっ、怖がってません! 怖くなんてないです!」

「あら、そうかしら?」

「本当です! 怖がってません! 怖がっちゃいけないんです!」

「健気ね。それじゃあ、ちょっと試してみようかしら?」


 カシマさんは雁金の左肩に手を当て、力を込める。ミシミシと骨が軋み、指が肩に食い込む。それに伴い、雁金の脳が痛みで埋め尽くされる。


「あっ、いぎっ、あああああっ!?」

「どうです? ゆっくり、ゆっくり体を壊される気分は? 怖いかしら?」

「やだっ、ぎっ、怖……!」

「素直になったらどう? 正直に言っても、止めてあげないけど」

「なんでっ、どうして、どうして、どうして!」

「どうして? 理由が必要なの?」

「ドォシッテ? ドォシッテ? ドォシッテ? ドォシッテ?」

「え?」


 ドアの上から、無数の札を貼り付けた顔が、カシマさんを見下ろしていた。



――



「ドーモ、オーガ=サン。シキドです」

「あ、どうも。大鋸です」


 忍者に挨拶されて、俺は会釈した。


「……え? なんでいんの?」

「怪異に連れ込まれた。オヌシもか?」

「ああ。同じだ……」


 それから辺りを見回す。ゾンビ、老人、鵺。全員倒れてる。メリーさんはどこ行った、と思ってると何もない空間からいきなり現れた。


「メリーさん!」

「あれ、終わっちゃった?」


 酷い有様だった。左目は血を流してるし、腕も怪我して赤黒く変色している。そしてなぜかリンゴをかじっている。


「おい、ケガ、大丈夫か?」

「うん、大丈夫! 楽しかった!」


 見た目の痛々しさとは裏腹に、メリーさんはケロっとしている。本当に平気なのか?

 メリーさんは俺の隣の忍者に気付き、聞いてきた。


「その人はだあれ? 新しい遊び相手さん?」


 メリーさんに指摘された忍者がお辞儀をする。


「ドーモ、メリー=サン。シキドです」

「あ、あの時のニンジャ! こんばんは、猫ちゃんはお元気かしら?」

「うむ」


 そう言えば面識があった。以前、猫のチェーンソーの件で顔を合わせていたから話が早い。


「……のんびりしてる場合じゃないな。逃げるぞ。雁金を迎えに行ってくるから、ちょっと待ってろ」


 全員揃ったので、俺は小田急百貨店に向かった。すると、入り口の所で外に出ようとしている雁金と出くわした。


「おおう」

「先輩!」

「ジッとしてろって言っただろうが。ヤバくなったらどうするんだよ?」

「大丈夫ですよ。怖くなんてありません」


 まあ、銃を持ってれば大体はなんとかなるだろうけどさあ。

 とにかく雁金の肩を支えて、メリーさんたちと合流する。雁金はニンジャナンデとか言っていたが、説明すると納得してくれた。

 敷戸を加えた俺たち4人は、通路を進んで『丸ノ内線きさらぎ駅』の通路から地上に出た。アルタ前に雁金の車が停まっている。

 さっさと乗ってここを出よう、と思っていると、不意にアルタの大型ビジョンの電源が入った。


『明日の犠牲者は以上です。おやすみなさい』


 モニターにはそう表示されていた。まだ何かあるのかよ、おい。勘弁してくれ、そろそろ朝だぞ。

 不意に、地面が揺れた。地震? 思わず周りを確認する。メリーさんたちも、きょろきょろしている。

 後ろからガラガラと建物が崩れる音が聞こえた。振り返る。新宿駅、いや、『きさらぎ駅』が崩れている。そして、中から巨大なものが姿を現した。

 巨大な人だった。いや、形が人に見えるだけで、人間じゃなかった。その体を形作っているのは、死体、線路、建材、鉄骨、その他ありとあらゆる雑多な物体。きさらぎ駅を崩して再構成した巨人。

 そこまで考えて、それが何なのか理解した。


「……クソデカきさらぎ駅だああああ!?」


 クソデカきさらぎ駅・人型形態。ついにジャンルがホラーから怪獣映画になった。


「逃げろっ!」


 敷戸の掛け声と同時に、俺たちは車へと走り出した。巨人の動きは遅い。遅いが、一歩で5mも進んでくる。身体の縮尺が違う!

 運転席に雁金を放り込み、俺は助手席へ。後部座席にはメリーさんと敷戸。クソデカきさらぎ駅はもう目の前、車に向かって手を伸ばしてきている!


「鍵、鍵ッ!」

「それ貸せぇ!」


 雁金からショットガンを奪い取り、クソデカきさらぎ駅に向かって発砲する。小指の辺りの死体が吹っ飛んだ。それだけだ。大きすぎてダメージにならない!

 だが、車が掴まれる前に、クソデカきさらぎ駅の手が止まった。逆に戻っていき、その指が自分の目らしき部分に突きこまれた。

 生きたまま食い殺される猪のような悲鳴が、クソデカきさらぎ駅の喉から上がる。それでもクソデカきさらぎ駅は、自分を苛む手を止めない。

 いや、止められない?


「行け、敷戸さん!」


 クソデカきさらぎ駅の肩の辺りから声が聞こえた。見ると、あの『邪視』の老人が、半ばまで残骸に埋まりながら、クソデカきさらぎ駅を睨みつけていた。


「ナンデ!?」

「メカタ=サン!」


 敷戸が叫ぶ。


「ここは私が引き受ける……君たちは、日本へ!」

「駄目です、メカタ=サン! あなたも!」

「言うな! 一度は怪異に与した身、ケジメはつけなければならん! それに言っただろう……余命僅かだと。このような老人に構うな!」


 老人が血を吐いた。両目から血が溢れ出している。本当に、今にも死にそうだ。死んだら邪視が切れて、クソデカきさらぎ駅が襲いかかってくるだろう。

 車が細かく振動した。エンジンが掛かったか。雁金は俺を見つめている。どうすればいいか、って顔だ。迷わず命じる。


「雁金、出せ!」

「は、はいっ!」


 アクセルが踏み込まれる。車が急発進する。クソデカきさらぎ駅が遠ざかる。クソデカきさらぎ駅は悶えながら、肩に埋まった老人に手を伸ばす。


「敷戸さん! 家族を大切にな!」

「メカタ=サン!」

「サヨナラ!」


 絶叫と共に、目方さんは押し潰されてしまった。車は角を曲がり、クソデカきさらぎ駅は建物の影に隠れて見えなくなった。


「ちょ、ちょっとなんですかこれ!?」


 雁金が悲鳴を上げた。前に目を戻すと、街のあちこちが燃えていた。火事か。道路にまで火がついている。


「……なーんだ。つまんない」


 メリーさんは口を尖らせている。どういうことだ?


「『きさらぎ駅』が、炎上している」


 敷戸がポツリと呟いた。


「え?」

「『邪視』によって『きさらぎ駅』がセプクに追い込まれているのだ。異空間そのものが燃え上がり、燃え尽き、最後には何も残らぬ。そういう運命だ」

「じゃあ、『きさらぎ駅』って怪異は……」

「うむ。ここで死ぬ。似たような駅の怪異はまた現れるかもしれぬが……この駅は二度と出てこない」

「決着が着いた、って事か」


 敷戸は頷いた。

 車は炎の中を走る。普通の炎なら死ぬほど熱くなるけど、きさらぎ駅を燃やす炎は、俺達には何の影響も及ぼさない。

 やがて炎が薄くなり、消える。深夜の東京の街並みが広がる。電灯とクラクションに包まれた、騒々しい人間の街。

 ようやく、助かった。ホッとして、助手席のシートに深々と身を沈めた。

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