帝国先遣隊ゼロナナ通達

やさしいひと

子供の笑いあう声が聞こえる。

長いこと共に過ごしてきたというのに、つい最近になるまで聞くことのなかった、朗らかで幸福に満ち溢れた声だ。視線を向ければ子供たちが満面に笑みを浮かべながら庭園を駆けまわっている姿が見えた。

「こら、お前たち。あんまり騒ぐんじゃない」

無粋か、とは思ったが下の者に礼節とルールはしっかりと教えなくてはならないのが年長者の役目だ。ことに、この館の者たちは総じて子供に甘く、こういった役目はほぼ自分が請け負っているわけだが。

子供たちは「はぁい」と生返事をしたり「生真面目ネルヴァだ」と明らかな悪影響をのぞかせながら、楽し気な笑い声とともに去っていく。

全く以て、損な役回りだ。ネルヴァ・サラージャは苦笑いと共に、ため息を零した。

帝国を離れて、どのくらいが経っただろうか。

ゴミの掃き溜めのようなあの生活は、かなり昔のことに思えるし、つい先日のことのようにも思える。あの時とは一転、今やネルヴァたちは確かに「自由」を手にしていた。

衛生状態の悪い宿舎に詰め込まれることも、常に両手を拘束されることもない。ここでは誰も飢えない、突き刺すような寒さに震えなくてよいのだ。ネルヴァは、今一度自分たちは恵まれた環境にいるのだと噛み締め、今度は安堵のため息を吐く。

「おやおや、ため息ばかり吐いて。老けて見えるぞ?」

「馬鹿やろ、同い年だろ」

そんな姿を、表情筋が死んでしまっている青年に見られてしまい、しくじったな、と表情を引き締める。少しからかうような声音の主は無表情を崩さないまま、ネルヴァの隣に腰を落ち着けた。

カティ・イェニチカはいつも通りの無表情を引っ提げて、相談に乗るぞ、もしや女にでも振られたか?などと宣う。表情筋は死んでいるというのに相変わらず人をおちょくるのが好きらしい。いい性格をしている。

「そんないんじゃない。ちょっと、帝国のことを思い出してただけだ」

「過去を振り返ってため息か。本当に老けたな?」

「よーし、殴るぞ」

宣言とほぼ同時に頭を小突いても、カティは表情を変えない。

昔から、こいつはこういう奴だった。

いつも士官の無茶な命令にも無表情で表向きには従順に、けれど実際は少しでも子供たちが危険に晒されないように立ち回る。

真っ向から歯向かうネルヴァでは守れないところをカバーしてくれる。あの劣悪な環境下で、少しでも長く、多く生き残る上で、替えの効かない男だった。

ただ少しばかり無茶しがちで、いつだったか、子供たちが士官兵の八つ当たりに痛めつけられそうになった時は、わざと派手に皿を叩き割り標的を自分に向けることもあった。

器物破損はそれなりの厳罰処分だ。結局カティは3日間懲罰房にブチこまれたが、存外にけろりとした顔で帰ってきた。

心配していたこちらの気など、素知らぬといった風に。

「お前は本当に変わらないな」

「ネルヴァよりは若い自信が――うっ」

自分に対しての減らず口が一番変わらない。他の者には表情の割に優しく、誠実に、ベッタベタに甘やかすというのに自分に対してはすぐこれだ。それほど心を開いてくれているとも取れるが、まあ、腹が立つ。

「すぐ手が出るの、悪いとこだぞ」

「怒らせてるんだろ、お前もフェリックも、生意気ばっかり言いやがって」

「まあ、ネルヴァだからな」

もう一度小突こうとして、やめる。カティのこの回りくどいスキンシップに付き合い続けていたら、気力を使い果たし本当に老けてしまいかねない。そう考えて拳を収める代わりに不機嫌を隠さない表情を向ければ、カティはふん、と少し楽しそうな声を出した。

「ネルヴァは短気すぎる。もう少しカルシウムを摂取すべきだ」

「お前が冷静すぎるだけだろ」

カティは本当に、滅多なことで怒らない。微笑みを浮かべることもなく、慌てたり、落ち込んだりすることもない。ネルヴァやフェリックのように激昂しているところなど今のところ指一本だけだ。

そのため共通認識として『カティは怒ったらマジでヤバイ』なんてものが帝国出身の先遣隊中に浸透していたほど。

先日巨人を殴り倒し「地を這ってろ」なんて言い放った時は流石のネルヴァもひやりとしたものを感じた。

「怒りなんて、一瞬だけでいいんだ。喉笛を喰い破るその一瞬に全てを込める。そうすれば、無駄なエネルギーを使わない」

「……つくづく、お前を怒らせたくないって思うよ」

「いつも誰かさん達が先走るから、怒るタイミングがないだけだ」

心当たりがありすぎる。真っ先に怒鳴るのは大体ネルヴァかフェリックであり、カティは大方諫め役に回る。カティの性格の悪さは端的に自分も一役買っているのではないかと気付いた途端に自業自得、という文字がネルヴァの頭に浮かび、そのまま頭を抱えた。

「それにしても…本当に平和だな。ちょっと前まではこうして無駄話しているだけで罵声を浴びせられていたというのに」

子供たちの笑い声は、やはりみんな今の環境のありがたさを噛み締めるきっかけになるらしい。子供に怖がられるが子供好きなカティは尚のこと強くそれを感じているのだろう。

「ああ……ようやく『ひと』になれた、って感じだな」

「そうか、俺も『ひと』になって穏やかに過ごしたいものだ」

「……何、言ってんだ」

普段から言動が読めない所があるとはいえ、今の一言は、本当に理解ができなかった。「俺もひとになりたい」その一言を何度も咀嚼して、嚥下しても、その言葉の意図を察することができない。

無表情で誤解されがちだが身内の中では優しく幼い者たちの頭を撫で、暖かく見守り、頼れる兄とすら呼ばれている隣の男は、ネルヴァから見てみれば確かにひとだった。

確かに、外部の者たちには『成り上がりのラッヘ』、とは呼ばれているが――。

「そう、俺はカティである以前に『成り上がりのラッヘ』なんだ」

「心を読むな」

ネルヴァはすぐ顔に出すから何考えてるかなんてすぐ分かる。なんて少し自信満々な顔をされても困る。そういえばカティにはトランプゲームで勝ったことがないな、なんてどうでもいいことばかりが頭に浮かぶ。

「みんな言うぞ。『成り上がりのラッヘ』はひとじゃないって」


――見ろ、『成り上がりラッヘ』さまだ。


脳裏を過ったのは、つい最近、名も知らぬ王国兵たちが口にした、与太話。


――あんな虫も殺さない顔をして、巨人を喰いモンにしてるって話だ


――それで、あの無表情かよ。巨人だけじゃなく、人も喰ってるんじゃないか?


――人を喰ったような顔ってか? 笑えねえ


あの時は、こんな下らない会話を気に留めるやつではない、と判断して特に言及はしなかった。しかしネルヴァ知らぬところで、カティは傷付いて、思い悩んでいたのかもしれない。

「何もしない、口ばかり動く奴の言うことなんて気にする必要はない」

「『人も喰ってる』だなんて、まるで巨人のような扱いだ」

「おい!」

思わず出たその静止の声は、広い庭園に存外大きく響いた。和やかな笑い声は鳴りを潜め子供たちが気まずい表情を浮かべ、ネルヴァとカティの様子を伺っている。

先程、注意された自分たちへ向けて怒っているのかもしれない、そんな不安を孕んでいた。

「ネルヴァが怒ったのはお前たちに対してではない、安心して向こうで遊んでいなさい」

掴みかかられているこんな時でも子供の心配か。そう思ったが子供たちを無闇に不安にさせたのは自分の失態だ。悪い、向こう行っててくれな、と伝えれば根は素直な子供たちだ。すぐに館の奥へと姿を消した。

さて、これで視線を気にする必要はない。ネルヴァがそう言わんばかりに胸ぐらを掴み直し拳を振りかぶれば、いつの間にやら構えられていたカティの拳がネルヴァの頬を強く打った。

「誤解するんじゃない。俺は別に成り上がりのラッヘと呼ばれること不快だと思っていないからな」

「……?」

とりあえず一発殴ってから弁明を聞こうと思っていたネルヴァは、迷わず拳をカティの右頰に向けるがひらりとかわされる。

「何だ、お前の神経は帝国の電磁防壁か?」

「図太いって言いたいのか?斬新な罵倒だな」

ラッヘーー復讐者と呼ばれながら微塵も表情を変えないこの男だ。間違いなく神経は図太いだろう。もう一発いっておくべきか、と拳を構えると大げさに距離を置かれた。

どこか噛み合わない空気に、内心首を傾げる。

カティもそれは感じているようで、不機嫌な雰囲気が滲み出ている。

何かおかしい。確実に、どこか食い違っている。

「落ち着いて聞け。化け物扱いなんて今更じゃないか。俺たちはそうやって生かされてきたんだ。それに『成り上がりのラッヘ』という名は俺たちがこれから生きていくための盾にも矛にもなる。俺たちの商品名といっても過言ではない価値がある。帝国に反旗を翻し、独立を選んだ俺達を支える存在になることができるのなら、俺はひとではなくてもいい」

だからそんな顔するんじゃない、なんて言われてしまえばもう拳を下ろす他ない。

「話の順序を考えろ、馬鹿。てっきり俺はお前が変な拗らせ方をしたかと思ったぞ。どうしてお前はそうたまに頭のネジがぶっ飛ぶんだ」

「すぐに殴る方もどうかと思うな、馬鹿ネルヴァ、暴力ネルヴァ、生真面目ネルヴァ」

殴ったのはお前だろ、と零しながらも思えば昔からこうだった、と思い出す。普段は年下の者たちに示しがつかないので、大人ぶっているものの、2人になればただの同じ年の男だ。お互いに我が強く過去何度も衝突した。カティの回りくどい言い回しのせいだったり、ネルヴァがカッとなることが原因だったり。

ネルヴァは大きなため息を吐いた。結局互いに何も変わっていないのだ。環境が変わっても、大層な二つ名が付けられても。

「なぁ、カティ」

変わらない、兄弟とも幼馴染とも腐れ縁とも言える存在はいつもの子供を怖がらせる仏頂面。よく知っている、何を言われても言い負かす自信がある時の顔だ。

「お前もひとだよ。誰よりもやさしいひとだ」

カティのコバルトブルーの瞳が大きく見開かれ、無表情はぽかんとした表情へと変わる。どうやら今日の喧嘩は、自分の勝ちのようだ。

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