第33話

『日向です』

「お義母かあさんですか。若佐楓です。こんな時間にすみません」

『あら。楓くんじゃない。珍しい』


 電話を掛けた先は小春の実家だった。駄目元で掛けたが出てくれるとは思わなかった。日本はもう夜も更けた時間帯だろうに――。

 心の中で再度謝りつつも、すぐ本題に入る。


「実は、小春さんの事で聞きたい事がありまして……」

『やだっ。あの子ったら、まだ楓くんと合流していないの?』


 その言葉に、昼間に見た後ろ姿が思い出される。やはり、あれは小春だったのだ。

 どうして急にニューヨークに来たのだろうか。


「ええ。そうなんです。実は俺の仕事が長引いてしまって、空港に迎えに行ったら、入れ違ってしまったみたいでして……」


 俺は適当に話を作るが、お義母さんは呆れたように電話口で溜め息を吐いたようだった。


『全く……あの子ったら、仕方のない子ね。結婚してもまだ勝手な事ばかりして人様に迷惑かけて……。まあ、わたしも小春の事をとやかく言えないか。小春から部屋の管理を頼まれていたのに、仕事が長引いて、夫に頼んだくらいだし』


 小春の母親は保険会社の営業、父親は定年退職をしたらしいが、退職前は地方公務員だったと聞いている。――結婚したばかりの頃、小春の母親から執拗に保険の勧誘を受けたのは、今でも記憶に新しい。


「そ、そうでしたか……。それで、小春さんからどこに行くとか聞いてないでしょうか?」

『あの子ってば、そんな事も話していないの? と言っても、わたしも楓くんに会いに行くしか聞いていないのよね……。なんか切羽詰まったような様子だったし』

「そうですか……」

『あっ! でも、宿泊するホテルの名前は聞いたのよ。確か、セントラルパークの近くのホテルとか……』

「それはどこのホテルですか!?」


 ホテルの名前を聞くと、ニューヨークでそこそこ名の知れたホテルだった。ようやく、小春の足取りが掴めそうで安心する。


「ありがとうございます。お義母さん」

『いいのよ。小春の事、よろしくね。あの子、英語は本当に苦手だから』

「そうなんですか……?」

『そうよ。あの子ってば、中学の期末試験で赤点を取るくらい、英語苦手なんだから。今でもほとんど分からないんじゃないかしら』


 その後、お義母さんに礼を言って電話を切るが、その時には既に小春の事で頭が一杯になっていた。


(こうしている場合じゃない!)


 英語が苦手なら、犯罪に巻き込まれる可能性が高い。日本とは違い、ここでは英語圏に住んでいない外国人を狙った犯罪が多く、特に一人旅の女性旅行者は格好の的だと聞いている。


 俺は慌てて事務室に戻ると、所長のロング弁護士に早退を申し出た。帰り支度をしながら、この後会う予定だったクライアントに、日にちを改めてもらえないか連絡し、内線で受付にいるジェニファーに予定が変わった事を伝えた。

 そして唖然としている所長とジェニファーを置いて事務所を飛び出すと、事務所近くでタクシーを捕まえてホテルに向かう。

 ホテルに着くとまだチェックインの開始時刻前だったので、試しに小春のスマートフォンに電話を掛けるが、何回かコール音が鳴った後に、電話に出られないというメッセージに切り替わってしまう。


(まさか、もうすでに犯罪に遭っているとか、そんな事はないよな……)


 心臓が嫌な音を立てる。気持ちを落ち着かせながら、宿泊客を装ってスマートフォンを弄る振りをしながら、柱の影からチェックインカウンターを見張る。しばらくすると、スーツケースを引きずった小春がホテルに入って来たのだった。


(やっぱり、来ていたのか……。どうしてここにいるんだ……。体調はどうなんだ? 無理をしていないのか……)


 今のところ大事無いと知って安心するものの、チェックインカウンターに並ぶ小春を見ながら様子を伺って声を掛けるタイミングを探す。順番が回ってきて、チェックインカウンターに向かった小春だったが、しばらくすると何やら急に慌て出した。じっと聞き耳を立てたところ、どうやらインターネットから申し込んだはずのホテルの予約が取れていなかったらしい。海外旅行の失敗談として、その話自体はあまり珍しくないが……。


(運が悪いな。空室がないとは)


 ホテルスタッフに空室がないと言われた小春がホテルの出入り口に向かうので、その後を追いかける。ホテルの入り口で見知らぬ女性に話し掛けられていたので、気付かれない内にまた出入り口付近に身を潜める。

 日本語が堪能で、見るからに人当たりの良さそうな女性だった。アメリカ人特有の容姿と服装から、いかにも現地の人間らしい。


(小春の知り合いなのか……?)


 小春の知り合いじゃなければ、ホテルの予約が取れなかった外国人旅行者を狙った犯罪者の一人だろう。

 危ない雰囲気になったら止めればいいかと考えていた矢先に、嫌な予想が的中したのは、その直後だった――。

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