第15話
「これでよしっ……と」
無くさない様に、離婚届をエアメールの封筒に戻したところで席を立つ。
買い物した荷物を片付けようと、荷物が入った袋を取りに行こうとしたところで、やっぱり気になって、テーブルを振り返る。
テーブルの上のエアメールに目が行ったところで、無意識に呟いていたのだった。
「本当に、これでいいのかな……」
私は若佐先生の事をほとんど何も知らないままだった。家族を亡くしている事を除いては、若佐先生は自身について何も語ってくれなかった。
好きなものや子供の頃の思い出など、何も分からない。夫婦以前に友達以下の関係性だったと言えばいいのだろうか。
だからこそ、きっとここで離婚届を出してしまえば、若佐先生との繋がりは完全に消えてしまうだろう。
お互いの事を理解し合えないまま別れてしまうのは、なんとなく寂しい気がしたのだった。
(あの日、私は若佐先生に救ってもらった。その若佐先生に何も恩返ししないまま、別れてしまっていいの……?)
若佐先生と初めて会った日、自ら死を選ぼうとした私を若佐先生は止めてくれた。私の話を聞いてくれて、私の代わりに憤ってくれた。
そんな若佐先生を見ていたら、自分の心が落ち着いて、モヤがかかっている様に重かった頭もスッキリした様な気がした。
裁判は敗訴してしまったけれど、もうそれだけでいい様な気がしていた。
結婚して、仕事を辞めて、時間が出来た事で、ゆっくり考えられるようになった。そこでようやく気付いた。
私は誰かに話しを聞いて欲しかっただけだった。
苦しいんだと、辛いんだと、悲しいんだと、言いたいだけだった。
これでは構って欲しくて我が儘を言う子供と何も変わらなかった。思い返すと恥ずかしいが、それだけ余裕が無かったという事なのかもしれない。
私はテーブルまで戻って来ると、エアメールを手に取る。
あの日以来、私は自ら死を選ぶ様な行為はしなくなった。
若佐先生との結婚を機に、職場を離れたというのもある。
でも一番は、若佐先生という心の支えが出来た事が大きかった。
すれ違ってばかりいたけれども、若佐先生が側に居てくれたのは心強かった。何より、自分は一人じゃないと思えた気がした。
そんな若佐先生の役に立ちたかったが、とうとうそんな機会には恵まれなかった。
恩人の役にも立てないまま、私達の関係は終わろうとしている。
「きっと、後悔する……」
これが最後になるのなら、せめて若佐先生にお礼くらいは言いたい。願わくは、最後に夫婦らしい事をさせて欲しい。
離婚して、これから別々の道を進む為にも、心残りはないようにしたい。
そうしなければ、いつまで若佐先生に心を捕らえられたまま生きて行く事になる。
そうならない為にも、少しでも若佐先生の事を理解してから別れたい。
どうして、初めて会った日に助けてくれたのか、目的を果たした後も解消しなかった夫婦関係を、どうして今になって解消しようとするのか――。
「よしっ!」
私は覚悟を決めると、手早く買い物してきた荷物を片付ける。
そして、スマートフォンに登録している電話番号の中から、パート先のスーパーの番号を選ぶと電話を掛けたのだった。
「若佐です。シフトの件でご相談したい事があるんですが――」
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