3.焚き火と過去 その2

 イングヴァルは目を閉じ、暫し過去の自分に思いを馳せた。


 一年半前までここから東に向かった地にある海沿いの街で、ギャングとして殺伐とした日々を送っていた。

 しかし妹が十八になったのを機に足を洗い、病で力仕事から遠離った叔父に代わって、墓地の管理人として生計を立てていくことになった。


 育ての親でもある叔父トーゴと、街の仕立屋で働き始めたばかりの四つ下の妹アンネッテ。新たに始まった三人の慎ましい暮らしは、退屈すぎて平穏すぎていたが、イングヴァルはその日々を緩やかな思いで享受していた。


 人を殴ることも、脅すことも、殺すこともない。

 墓地の草取りと、見回りと、新しい墓穴を掘ることが毎日の仕事。

 だが安寧としたその日々は、自らの愚行によって突然終わりを迎えることになった。


 きっかけは、昔の仲間に仕事を持ちかけられたことだった。

 取引を成立させるために、傍で睨みを利かせてくれるだけでいい。深く考えれば即断るべきだったその仕事を安易に引き受けていた。

 今思えば過去の自分に未だ縋っていたのかもしれない。穏やかな日々を享受しつつも、心のどこかで違うと感じていたのかもしれなかった。でも浅薄な自分は何の危惧もないまま仕事を引き受け、多くの稼ぎをたった一晩で手に入れられたことにただ浮かれていた。その金で叔父や妹にごちそうを食べさせてあげられると、阿呆のようにそれだけを考えていた。


 巡る因果は翌日から始まった。

 後から知ったことだが、一晩だけの雇い主は手元にない商品を買い手に売り渡していた。無論、後に商品が揃うなら何も問題はなかった。けれど雇い主が用意すべき『大量の麻薬』は、最初からこの世のどこにも存在していなかった。元から買い手を謀る気だったのか、単に手違いが発生しただけなのか。だとしても取引に莫大な金を支払った相手にとっては、そんなことなどどうでもよかった。


 早速相手は報復行動に出た。

 売り主の男を真っ先に始末すると、取引の仲介人も追って殺された。その日限りの自分にも火の粉は飛んだ。街で報復が家族にまで及んでいると知り、取るものも取り敢えず家に戻ったが、既に遅かった。


 叔父は掘りかけの墓穴の底で、頭を撃ち抜かれて死んでいた。

 墓場まで響く妹の絶叫を聞いて、急いて彼女の元に向かったが、家は放たれた火であっという間に燃えさかった。叔父の遺体を墓穴から出すことも、妹の安否を確かめることもできずに、いくつもの怒声と銃声に追われ、這々の体で逃げ出すのがやっとだった。


 気づけば、街外れの道端で倒れていた。

 逃げ切ったものの、身体は血だらけで穴だらけだった。

 大事な家族を置き去りにしたまま、のうのうと生き残った自分に後悔が折り重なるが、身体は欠片も動かず、迫りくる死がそこにあると実感した。


「大丈夫か?」 


 見上げると、一人の少女が自分を見下ろしていた。

 

 血まみれの相手を怖れるでもなく、その見たことのない衣服を纏った美しい少女はこちらに手を伸ばした。

 でも覚えているのはそこまでだった。

 閃光に貫かれたような気もするが、後の記憶は曖昧で、どこまでが現実だったかも分からない。

 次に気づいた時には、目の前に転がる男の死体を見ていた。


 見覚えのあるその死体には無数の蝿と蛆がたかり、それ相応の時間経過があったことを知らせていた。

 立ち上がり、死体が身に着けていた端金やナイフを奪い去って、草むらに蹴り転がす。何も考えず、木の枝で穴を掘って〝それ〟を地中に埋めた。

 自分で自分の死体を埋葬する。墓地の管理人であってもそんな経験はしない。

 そのようなことをぼんやりと考えていると、あることに気づいていた。


 それなら、ここにいる自分は、一体誰なんだ……?


 近くの川辺に向かい、揺れる水面を見下ろせば、映っていたのはあの時自分に声をかけた少女だった。

 一体何が起きたのか、どうやら自分はあの時の少女になっている。

 でもそれならば、彼女はどうなってしまったのか?


『気が……ついたか……?』


 ざらざらとした声が、自分の中で響いた。

 聞き取りづらくとも、あの時の少女の声と分かった。

 声がどこから響いているのか分からなかったが、彼女は確実に自分の内なる場所にいる。

 その日から半年、現状は変わっていない。

 彼女の声はいつも聞こえる訳ではなく、けれど常に意識はあるようだ。

 小言が時に漏れるが、身体を奪ったことに関しては何も言わず、常に淡々とした彼女の意識と付き添いながら、この半年間が過ぎていた。


「イングヴァル、あの町で男達の情報は得られたか?」

『いいや、何もなかった……』


 地面に転がったままイングヴァルは首を横に振った。

 叔父と妹を殺め、家に火を放った男は三人。

 この半年、彼らと彼らに命令を下した相手を捜し続けていた。


 目覚めた時、男達はとっくに街を出ていた。だが家族の遺体を置き去りにし、無様に逃げ惑う中でも彼らの姿は目に焼きつけていた。


 頬に疵のある男、長身の初老の男、もう一人は連と同じ東洋人。

 依頼主の男に関しては名も分かっていた。広域に渡って名を馳せるギャングのボス。でも名こそ知られているが、表に姿は現さず、どんな顔をしているのかどこにいるかも分からない。

 けれど三人の男達を捜し出し、辿ればその男に必ず行き着く。

 人の身体を奪ってまでこの世にしがみついているのは、妹と叔父を殺した相手を見つけ出し、その復讐を果たすためだった。


『連が捜してる男の情報もなかった』

「そうか、分かった……」


 連は故郷から遠く離れたこの異国の地で、どこにいるかも分からない相手を捜し続けている。

 それは守りたい誰かのために。

 連も自分も、目的を果たすために誰かをを追い続けている。

 彼女がこの現状に甘んじているのはその目的は違っても、強引な旅の道連れと人捜しという手段を同じくしていたからだった。


『連、もう寝ろ。明日も早い』

「ああ、分かってる」


 イングヴァルは応える相手の横顔に、一瞬だけ年相応の表情を見る。

 胸にほんの僅か悔恨が過ぎったが、自ら放棄したそれを持ち続けること自体が偽善であるようにも感じていた。



〈ⅰ.一人の男と一人の少女 了〉

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