ソラフキンさんへの手紙 🌌

上月くるを

第1話 サルトル&ボーヴォワールの初来日講演




 ――覚えていますか、1966(昭和41)年9月22日の夕暮れを……。🌄


 学校帰りのわたしたちは、故郷の高原都市の、ちっぽけな公園にいましたよね。


 当時としては珍しく制服のない、一見自由な校風だったけど、旧制中学の名残りでいまだに女子はお客さま(それも招かれざる(笑))だったから、全生徒数の2割しかいない女子のあいだでは、制服っぽい服装が暗黙の了解になっていたんでしたよね。


 古寂びたブランコにのせた紺のボックスプリーツの膝にそれぞれのカバンを置いて(開業医の娘のあなたは紺、農家の娘のわたしは父が農業学校で使っていたお下がりの茶色(笑))、急速に冷えこんでいく大気を身体中で感じながら、西山に沈む夕日を眺めていた……でも、わたしたちの意識は反対の東方に集中していたんでしたよね。


 ――一度も行ったことがない東京は、いまごろ大変な熱気に包まれているだろう。


 そのことを思うと、親を説得して上京できた友人たちが羨ましくてならず……。💦


      *

 

 その夜、世界中の哲学系青年から熱い視線を注がれていた「実存主義」の提唱者、ジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトル&そのパートナーで「第二の性」を称えるシモーヌ・ド・ボーヴォワールの初来日講演が行われることになっていた。


 学年でも抜群に成績優秀で文芸部にも属していたあなたには、時代の申し子のようなフランス人カップルの学説が、ある程度は理解できていたのかもしれないけれど、凡庸なわたしには「実存主義」も「第二の性」もチンプンカンプンだった。なのに、分かったような顔をしてディベートに参加していたんだから、笑っちゃうでしょう?


 その年6月にイギリスから初来日したロックバンド、ビートルズに熱狂するチャラチャラ系と明確な一線を画す哲学系(もちろん自称だったけどね(笑))は「サルトル&ボーヴォワールを知らずんば人にあらず」と大言壮語してまわる時代だったから、あのとき、上京組に先を越された悔やしさを共有したわたしたちに、孤島に置き去りにされた戦友のようなシンパシーが通い合ったとしても不思議はなかっただろうね。

 

      *

 

 ほかに女子部員がいるのは美術部と新聞部ぐらいだったから、仕方なしの音楽部員だったわたしと、意識高い系が集う文芸部のあなたは、クラスが違ったこともあり、ほとんど話したこともなかったのに、なぜあの夕方、ふたりであの公園にいたのか、考えてみると不思議だし、いまだに謎だよね。あ、少なくともわたしにとってはね。


 だからといって、以降のふたりの関係がとくに深まることもなく、卒業後の大方の同窓生がそうであったように、二度と逢うこともなく一生を終えるはずだった……。

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