第3話 タルティーヌとカレ・ド・ショコラ

 もはや、恐怖を感じる心すらも、麻痺していた。諦めの境地。

 通過すると思っていたのに風圧を上空から感じ、はっとレミュールが顔をあげた。

「危ないっ! 皆さん!! こっちへ!!」

 引きずるようにして逃げ出した瞬間、真上に迫ったTIGAR攻撃ヘリ。

 慄然と、要人たちは見あげた。直径五六メートルのドームの骨組みをダダダダダ、と機銃で打ち落としはじめる、上空の鋼鉄の鳥の姿。

 こけつまろびつ、固まって柱の影へ飛び込んだレミュール顧問たち。

 コンクリート片が、バラバラと落下した。崩落しはじめたら、骨組みは突然糸の千切れたネックレスのビーズのように、一気に結束を失ってバラッと落ちてきた。

 先に落ちていた色ガラスの破片の海に、一面にズズンと落下。

 もうもうと立ちあがるホコリ。それが、さらに吹き散らされるようにボワボワと逆巻きはじめる。

「ダウンウォッシュだ!! 降りて来るぞ!!」

 ビトオ将軍が叫んだ。このためにドームの骨組みを撃ち払ったのか!

 口をホコリの渦から袖で覆い、逆の腕を大きく広げて広げてあとじさる。その腕と背に、他の要人をかばっていた。皆、押し下げられるようにあとじさる。

 喉を恐怖にひきつらせながら、危険だ、と前面に立つ将軍をひっぱって、体をさらすのをやめさせようとする仲間たち。

 胴体長一四メートル、メインローター直径一三メートルの支援攻撃ヘリコプターは、五〇メートル超の直径をもつ吹き抜けとなった天井から、やすやすとバジリック内へ。示威行動のようにゆっくりと、機銃を沈黙させたまま、垂直に降下してきた。

 息をつめて見守る中、着地した車輪。エンジンが切られる。爆音が途絶え、ローターが止まる。

 慣性でまだ回る二枚のローターの下、兵士が気をつけながら、前後に二つハニカムを並べたふうのキャノピーから、六角形のドアを跳ね上げて、下のステップに足を下ろす。身軽に飛び降りつつ、

「もう大丈夫ですよ、皆さん!! 敵は我々が退治しました!!」

 フランス陸軍の軍人だった。

「……ほんとうか……?」

 敵か味方か、にわかには信じられない。

 だがヘリコプターは、乗員二名の他に、民間人の少年一人を無理矢理乗せてきていた。

「無事ですか!!」

「おぉ! ムッシュー一色!!」

 レミュールがパッと顔を輝かせた。

 驚く気力ももうなく、ただ呆然と顔を見合わせる将軍や大統領に、

「あなたがたの昼食会のシェフのはずだったんですよ。フランスの誇る天才少年パティシエ、パリの人気者――」

「んな紹介はどうでもいいっすッ!!」

 京旗はぴしゃりと言うと、ディパックからスュペルマルシェの紙袋を取り出した。

「とりあえず腹へってると思って、皆さんに、これ!!」

 面変わりしている黒人の要人達に、中からガサガサと取り出して配っていく。

 ミネラルウォーターと、タルティーヌ――ただフランスパンを四つにカットしたものだ――と、カレ・ド・ショコラ――薄い板チョコレート――。

 受けとると、飢えていた彼らは、もうほとんど反射的にむさぼりはじめた。

 ボトルの口をひねり、グビグビ、ゴクゴクと喉を鳴らして飲む。手が汚れていようと構わず、タルティーヌを割ってチョコをはさみこみ、ばりばり、ボリボリ、むしゃむしゃと食べる。水を飲む。パンをかじる。水を飲む。

 大統領たちは、レミュール顧問たちのやり方を見なくても、彼らより先に「反射的に」そうしていた。簡易菓子パンを作っていた。何故なら、手が覚えていたからだ。

「おお……」

「これは、パリでよく食べた……」

「パリか、なつかしいなあ……!!」

 口々にあがる声には、実感がこもっていた。言葉の上だけで言っているのではない。

「あの頃、あたくし達は皆まずしくて……」

「留学生で、苦学生で」

「ランチ代すらケチらにゃならんじゃったで、朝食も昼食も、夕食まで、毎日、毎日、こんばぁっか食うちょったの……」

「だが、希望に満ちていた…… たかだか二〇歳そこそこで、自分たちが国をよくするのだと、将来の祖国は、我々が背負うのだと……」

「発展させていきましょうねと……」

 皆、それからは言葉を発しなかった。

――わたしたちは、いつから互いに争うようになったのだろう……?

 沈黙の中で、想いは同じだった。

 あるいは自省に入っていた。

 机を並べて、講義を一緒に受けていた。

 パリの石灰岩でできた街、石畳の舗道を共に歩いていた。

 エッフェル塔を眺めながら議論し、レポートを書き上げた。

 アフリカ各国から人が集っていた学校、フランス国立海外高等研究所。

 熱帯出身の彼らにとって、最低最悪だったイル・ド・フランス地方の冬。

 けれど、それだけに楽しみだった、仲間で小銭を出し合って買う、屋台のホカホカの焼き栗――



 それは「タルティーヌ会議」と名付けられた。

 その当日からぶっとおしで一〇日に渡って、決裂しないことを大前提とした、徹底的な和平会議が行われた。

 今後のワール国の経済政策、社会政策について、具体的で建設的な討論会が、あきることなく繰り返された。

 急遽全国から技術者や学者が集められ、フランス、日本、ドイツの援助団体の専門家たちも協力を請われてやってきた。

 いがみあいから一転し、団結した指導者たちに、部下も民衆も首を捻って不審がったが、彼らの牽引力に、しだいにのせられていく。

 白熱のあまり、ビトオ将軍とムゴド大統領が年甲斐もなく殴り合いの場外乱闘を起こした一瞬は、外野は緊張の糸がピンと張りつめたものの、本人達にとっては「ケンカするほど仲がいい」証しだったらしく、その夜にはケロッとして、肩を組んでラムを飲みつつバカ笑いをしているところが目撃された。

 レミュール顧問やアンドゥ大統領はオブザーバー参加で二、三日見守った後に帰ったが、ECOWASや宗主国の目がなくなっても、祭りのような和気あいあいとした賑わいは最後まで持続した。

 辛いときには、タルティーヌを思い出そう。

 仲間を疑いそうになったときには。

 短気を起こして、国を分裂させた方がいっそ楽なのではないかという悪魔のささやきを聞いたときには。

 耐えるより攻撃したい衝動にかられたときには。

 カレ・ド・ショコラをサンドして食べる、タルティーヌの簡易チョコパンを思い出そう。それをおいしく食べた日々のことを。

 誰もが心にそう刻んでいた。

 最後の日は、四者が名残を惜しんで、固く握手。会議は大成功に終わることになる。



――

この物語はフィクションであり、実在の団体・個人・事件とは一切関係ありません

――

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