第5話 奪われたもの

 ほけーっと黒人を眺めているあゆの瞳。だが次に、まっすぐ京旗を見た。

 はっとするほど集中力の高い瞳に、ぼーっとしたタイプじゃないのか?と印象が混乱する京旗。

 あゆは、そのまっすぐな瞳を向けていたあとに、目を細めてへらっと笑い、

「荷物の中に、金物の小さいの、なんか持ってたかぁ? それを税関通すのに四〇〇〇セファ・フラン必要だったから、払えってー」

「そ、そうだったんすか?」

 まだ喚く黒人の言葉が、突然フランス語になって聞こえだした。あゆに通訳されてからだ。

――ブロークンなフランス語で、癖がありすぎて、今までフランス語に聞こえなかったんだ!

 だいたい、小さな金物ってなんだ? ああ、あれか。あんなの、持ち込みに税金かかるんだ!!

 と、京旗が思い当たった瞬間だった。あゆが、くわっとばかりに目を見開き、ワアワア言っていた黒人たちに向かって、フランス語で、

「払うかバカッたれ、そんな税金はねぇ! とっとと消えちまいなッ!!」

 迫力の形相、逆だった髪。声はわんわんとホールに響き、黒人も京旗もビクッと飛び上がった。

 あゆの剣呑な睨み目にすくみあがって、一秒、二秒。金縛りが解けるや、黒人たちはすすすすすーと後じさり、バタバタ走って逃げていった。

 別に払う必要のないカネを要求されていたのか。チョロく騙されてしまうところだった?

 助かった、らしい…のだが。

 どーいう奴だ……?

 京旗は、あゆという少女を上から下まで見た。

 悔しいことに京旗より少し背の高い彼女は、タンクトップにシャツをひっかけ、すらりと伸びた手足。

「えーっとねぇ」

 今の凄みはいったいなんだったのか、再びほやんとした調子に戻って、指を唇にあてて、考え考え、

「あゆはワール共和国の日本人社会を代表して、案内役に行ってってゆわれて、案内役に来たんだなー。えーと、タクシーはあっち。それで、大使館? それともホテルに送ればいいのかー?」

 へらっと気の抜けるような笑みで言われて、

「あ、ああ……」

 不良とか、育ちが悪いようには見えないけど、ガラの悪い面もあって、普通にしてるとめちゃめちゃ意味不明でアヤしいヤツ。それが強烈な第一印象だった。

 ハッとイヤな予感がした。もしかしてこの女が、京旗の義妹になる子だったりして!?

「失礼ですけど! あんた、いくつすか?!」

「へ? 十七歳……だが~?」

 セーフだ! コイツは義妹じゃない!

 いや、だいたい中三には見えないもんな。何を慌てたよ、オレ。

 はあ〜と胸を撫でおろす。自分に苦笑。

 スタスタと空港のホールを歩いていく彼女を、追いかけて歩き出す。

 あゆは慣れたふうで、ガラスの重そうなドアを抜けた。

 空港の建物の出口の前には、早朝の風にそよぐ高いヤシの葉。

 そのヤシの木と、ただよう靄とが取り囲んでいる、広大なラグーン。ワール共和国は、南で海に面していて、その海辺のラグーンのいりくんだところに、首都と国際空港がある。

 まだ薄い空の水色と太陽を映して、ところどころ靄の切れ間に波が光っている、ラグーンの表。

 なんて見ていたら、いきなり、あゆがこけっとコケた。

 すぐ後ろを歩いていた京旗は、つんのめってその肩に激突しそうになって、あゆが肩にかついでいたケースを手で弾いてしまった。

「あっ、すいませ……」

と言う前に、パンパンだったケースがバンと中からはじけるように開いた。ざらざらざら~っと、中の細長いものが床のタイルにぶちまけられる。

 はっ、刃物!?

 京旗は目を凝然と見開いた。

 三〇センチ前後の長細いもの。

 十本くらいか? 

 幅は三センチから十五センチくらいとまちまちだ。ダンボールを折って切ってジャストサイズに作ったサヤに、包まれている。それぞれに木製の柄がまっすぐ飛び出ている、この、これは……?

 散らばった中で一本、ダンボールのサヤからはみ出て、中身が一センチくらい覗いているものがあった。それが確かにきらめく白刃で、ひょおっと京旗はムンクの叫びの顔になった。

「うわーっ、やっちゃったぞ……士道不覚悟」

 あゆが舌を出して言った言葉に、ゾゾッと青ざめる。

「いや~、もののたとえだ、冗談だよ~」

 あゆは言うと、ぱぱぱと高速でそれらを束にして、巻物のようにびろんと広げたケースのポケットに、ポスポスポスッと差しこみ収納、クルクル巻き上げた。

 もとのとおりにディパックみたいに肩にかつぐ。

 重そうだ。金属のように。

 全部、刃物だとでもいいますか! てゆーか神様、刃物じゃないって言ってクダサイ!! 認めたくないよぉっ! カバンに目いっぱい刃物詰めて人を迎えに来るとか、何モンなんですかコイツは……!!

 あゆはえへへ、と、心なしか頬を染めて頭をかくと、

「コケちゃった。恥ずかしいとこ見られちゃったな~」

 スタスタと、また先に立って歩き出す。

――いや、決してそおゆう問題ではなく!!

 ドキドキと、心臓が鳴り、冷や汗が背中を伝っている京旗。

 あゆはタクシープールまでいくと、車によりかかって仲間うちで喋っている黒人ドライバー達に、声をかけた。

 この国に住んでいるから、というわけではなく、彼女は、ものおじというものをあまりしない質のようだ。

 ワール人たちは、さっき絡んできたようなこすっからいのを除くと、みんな大らかな性格らしく、めちゃめちゃいい笑顔でよく喋り合っている。真っ白な歯が印象的な真っ黒い顔で、こっちにも笑いかける。

「荷物、それで全部かぁ?」

と、あゆが、ほけらっと聞いた。

 タクシーに荷物を積むことになったため、聞いてきた様子。

 だが見回して、京旗はザッと青ざめた。

「パスポートが……!!」

 パスポートの入ったバッグが、肩から消えていた。

 あゆの目が、まん丸になって京旗を見た。

 彼女が案内する少年の後ろで、空港の建物のさらに背後の広々とした空に、きーんと音をたてて、ちょうど、飛行機が、斜めに飛び立っていくところだった。つい一時間ほど前に、京旗を乗せてきた飛行機。

 もう、帰れない。

 京旗はポーカーフェイスを装っているつもりだったが、その顔色ははっきり、白かった。

 パリで、いかに大事かは身に染みていたはずのパスポートを、入国後、たった五分で、紛失した。――盗まれたんだ!!

 この僻地で。

 住んでいる日本人が、三〇人の子供も含めて全部で一八〇人足らず、という、『おいおい、学校の一学年ぶんの人数かよ!』とツッコミを入れたくなるような少なさの、この国で!

 いや、しかし、取り乱すワケにはいかない!

 必死に、落ち着こうとしている京旗。

「ふぅう~ん?」

 と、あゆが、横目でニヤニヤ笑いをしていた。

 あゆの目は、京旗のそのパキパキに固まっているポーカーフェイスを、下の下の層まで見透かしているかのよう。

――このっ、クソ女ッ!!

 さっきもひと騒動、結果的に彼女に解決して貰ってしまったところなのに、さらなる大失態を、現在進行形で目撃されている。京旗は動揺しまくった。

 まだ見ぬ「もうすぐ血の繋がらない妹になるかもしれない女の子」に直接会う前に、間抜けなお兄ちゃんと報告されてしまうと思うと絶望的な気持ちにもなる。

 ぶっちゃけ、パスポートは手続きをすればなんとかなるような気がするが、失敗は噂になったら取り返せない。

 いや、このクソ女が義妹と知り合いじゃない可能性もある……と考えてから、ハッとした。

 残念ながら、この国に住む日本人の子供はたった三〇人。小中学生は全員がこの首都の日本人学校に通い、高校生・大学生の邦人子女も、やっぱりこの首都のフランス人学校かアメリカンスクール、そして同じく首都にある、ワール共和国唯一の大学の学生になっていると聞いてきた。

 つまり、このヘンな女、竹邑あゆも、義妹とはめちゃめちゃよく会い、よく喋る仲に間違いない!

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