第4話 誰があの国の内戦を止められるのか

 『チョコレート』。

 それは、基本的には、七〇パーセント以上の純カカオ成分と、糖類だけから成るべきものだ。

 混ぜる油脂も、カカオ由来であるココアバター以外の油脂は、使ってはいけない。使っても三パーセント以下に抑える。そうでないものはチョコレートという名称で売ってはいけないと、少なくともフランスの法律では決まっている。

 だが、ココアバターには、高い値段がつく。他の植物油脂の一〇倍の値だ。

 高級化粧品とか特殊な薬の原材料として、引く手あまただから。

 だからチョコレート工場では、仕入れたカカオからココアバターだけを取り出すと、それはよそへ売ってしまって、チョコレートにはココアバターに似て非なる植物油脂――これが安い――を練りこんで、儲けを稼いだりする。

 そんな邪道なことが、いま、世界中でまかり通ろうとしていた。

 風味も口どけも、本当のチョコレートから、ガラリと変わってしまうのに。

 きわめつけ、アメリカの法律では、ココアバターでない異種油脂を、なんと、二〇パーセントまで混入していても、チョコレートの名で堂々と売っていいと認められている。



『セザール・グディノーさんですかな』

 アメリカ訛りのフランス語だ。

 パリの屋根の下、電話を受けた、一人の青年パティシエは、首をかしげた。

 ピンクの頬に赤銅の髪、ふくふくと太っていて、いかにもいいヒトといった外見の青年だった。

「そうですけれど……失礼ですが、どちらさまで?」

 知らない相手。不審がっている声が出る。

『実は、あなたを当社にお迎えしたい。こちらは……』

 社名を聞いた瞬間、青年の目が、底光りした。

 いつもは呑気そうに垂れさがっている細い目が、ギラリと熱を帯びたのだった。

『ただし、契約に入る前に、ひとつ条件がある』

 電話のアメリカ人は、雇った場合の破格の年俸、待遇や役職をひととおり説明したあとで、こう言った。

『あさって開かれるショコラトリーのコンクールで、ケイキ・イッシキより上位に入賞すること。彼より実力のあるパティシエだという証明が欲しいのだよ。――なに、入社試験のようなものと思ってくれたまえ』

――何故、基準がケイキ・イッシキなのだ?

 赤毛の青年パティシエは、しばらく愛想良く話して電話を切ったが、直後、まず、そうつぶやいて、鼻を鳴らした。



 パリの別の一隅。エリゼという名のついた通りにある、白い石灰岩で建設されて既に三世紀を数えたオフィス。

 白金の髪、アゴに同じ色のひげを蓄えた細面の大統領顧問が、秘書官に報告を受けていた。

「そうですか。また、アール国で小競り合いですか? ――しようがありませんね。でも、ダメダメ。どちらにしても、もう我が国は、アフリカの国に積極介入しないんですよ。お陰で私は、暇をかこち、平静な毎日を堪能しているところです、ああ楽しい。キミもやりませんか? このゲーム」

 ほっほっほ、と笑ってパソコンを指す。

 秘書の男は、眉間に皺をよせ、こめかみに手をやって頭痛を抑えるジェスチャーをしたあと、

「ったく、あなたという人は。――では、これをご覧になって下さい」

 大統領顧問の遊んでいるパソコンの上にかがみ込み、キーボードを叩いて、ゲームの代わりに、ディスプレイに、数枚の画像を表示させた。

「今朝のCNNのニュース映像です」

 Tシャツのアフリカ人の少年や、ポロシャツ姿の労働者たち――当然のことだが、みな黒人の男たちや女たち――が、デモを行っている。プラカードや横断幕には、

『USA IS BETTER!』『CAMON!』

 などと、スプレーで手書きの、へたった文字が踊っていた。

「ほほう」

 顧問は、口ひげをなでた。

「公用語がフランス語の国で、よくも英語を覚えたものです。えらいえらい」

 ぱん、ぱん、ぱん、と上品に拍手する。

「顧問、茶化している場合ですかっ!」

「ほっほっほ……CNNを使って、自国民を説得しようとしているみたいですねえ。アメリカ人が、現地人に求められていると言い張って、あの国に介入するというのなら――ほっほっほ、後で泣きを見ればいいと、せせら笑って送り出してやるまでです。ほっほっほ」

「……」

 秘書官は、肩を怒りに奮わせながら、絶句。

 大統領府のアフリカ諸国担当顧問が、寂しそうに言ったのは、しばらくしてからだった。

「後で泣きを見ますよ――帝国主義の復活だとね。先進国による軍事協力なんて、イマドキ、国際社会の非難を浴びるだけ。損なだけですよ」

「……アフリカの国がまたひとつ、開発途上で停滞して、明らかに五年か一〇年かそれ以上の長さのマイナス成長の時代を過ごすことになりますね。それが目に見えているというのに、我関せずをきめこむのですか」

「ええ、きめこむんですなあ、これが。あっはっは」

「……」

 ぐったり。秘書官が疲れた様子で肩を落とした。

 アフリカ担当顧問である彼が、その気にならなければ、秘書官としては何もできない。

「……それに、残念ですが、彼らも、私たちも、あの国の内紛を止めることはできないでしょう。誰にも、止められない。誰が、止められるというんです……?」

 つぶやいたアフリカ担当顧問の言葉を、秘書官は「何といいました(パードン)?」と聞き返した。

 が、顧問は、なんでもない、とかぶりを振り、急にはしゃいだ様子になって、

「おっ! お茶の時間ですなぁ。わーいわーい。ショコラ・ショー(ホット・チョコレート)でも飲みに行きませんか? 疲労回復には、あれがいちばんですよ」

 アゴひげをなでで、にこにこと笑った。



 『サロン・ド・ショコラ』。

 それは、毎年十月末から十一月あたりにフランスはパリで開かれる、チョコレートの祭典だ。

 祭典という言葉が分かりにくいなら、チョコレート業界の文化祭。

 「ショコラ」とは、言うまでもなくフランス語で「チョコレート」。

 『チョコレートの展覧会』――『サロン・ド・ショコラ』。この催し物は、パリのメインストリート、つまりシャンゼリゼ大通りにも広告の看板が出るし、広い広いメイン会場には、一二〇以上ものチョコレート屋(ショコラティエ)が一同に会し、ブースを連ねる。

 全部の店がショーケースに自慢の新作を何十種類も並べ、店の前には、売り物でないチョコレートのミロのビーナスやらモナリザやらエッフェル塔、ノートル・ダム寺院、ベルサイユ宮殿、バチカンの聖堂、地球儀やら動物園、海底遺跡なんかが、それぞれ一五〇キロとか二〇〇キロのチョコレートを使って、繊細な彫刻によって作りあげられ、飾ってある。見て歩くだけでも楽しいお祭りだ。

 ガラスの衝立の中、輝く照明にステージのように照らされたステンレスやマーブルの台の向こうで、マジックじみた華麗な手つきで製造実演をするショコラティエ(チョコレート職人)。人だかりから、パラパラと拍手、あるいはため息が漏れる。

 実演販売はそこらじゅうでやっていて、チョコの匂いがたちこめている。空気を吸うだけで肺の中が、つぶつぶの最後のひとつまで、チョコの微粒子でうっすらとコーティングされてしまいそうだ。

 甘いものが苦手な人には地獄。

 だが、一日何万をも超える入場者は、男も女も、老いも若きも、太ってるのも痩せてるのも、うっとり麻薬にでも浸かったような目つきであっちへフラフラ、こっちへフラフラしている。

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