九十五 雨空コインランドリー
中々天気が回復しなかったので、近場のコインランドリーへと出かけた。毎週水曜日には半額になるという、評判のコインランドリーだ。案の定、店内は半額のサービスを求めてごった返していた。
乾燥機は1番から8番のうち、すでに6つが埋まっていた。
空いていた3番に、夫の下着やら息子の靴下やらを放り込む。すると、短い電子音が鳴って、乾燥機の下に備え付けられていた、2番の洗濯機が振動を止めた。壁際に座っていた白髪の老婆が、よたよたと私の隣まで歩み寄り、丸い扉を開ける。
中から飛び出して来たのは、2本の足だった。
「足を洗おうと思ってねえ」
ひぇっひぇっひぇ。ぎょっとして目を丸くした私を尻目に、老婆がすきっ歯の間から奇妙な笑い声を上げた。
「あの人ももう歳じゃけえ。いつまでもあんな稼業やってられんじゃろ」
どうやら2本の足は、老婆の旦那さんのものらしかった。ツルツルに光った足を、ヌンチャクみたいに両手で抱えて、老婆は出口に向かってよたよたと歩き出した。
周りを振り返る。足を洗濯する老婆。誰も驚きもせず、気に留める様子もない。皆椅子に座って談笑したり、スマホをいじったりして時間を潰していた。私は呆気に取られた。これが普通のことなのだろうか? と、呆然としているうちに、1番の洗濯機が甲高い電子音を上げて止まった。
洗濯機に駆け寄って来たのは、若い男の子だった。大学生くらいだろうか。神経質そうな彼は、丸い扉を開け、細い腕を洗濯槽の中に突っ込んだ。
やがて彼の手に引っ張られて出て来たのは、普通のTシャツやズボンだった。大量の衣服を、せっせと手持ちのカゴの中に放り込んで行く。その様子に目を奪われながら、私はホッとした。さっきの老婆のように、おかしなものが出て来たらどうしようと思っていたのだ。私の視線に気づいたのか、大学生はふと顔を上げ、卑屈そうに顔を歪ませた。
「あぁ……これ、僕の過去なんですよ」
「過去?」
一瞬、何を言われているのか分からなかった。過去とは、何かの比喩だろうか……そんな風に思っていたが、どうやらそうではないということに気がついた。彼が取り出す洗濯物には、大量の紙切れやら、糸くずが絡み付いていた。ちょうどポケットにティッシュやレシートを入れっぱなしにして、そのまま洗濯してしまったような、そんな感じ。詳しく話を聞くと、その紙くずは彼の思い出の写真や、子供の頃好きだった、ぬいぐるみの残骸であった。
「過去は綺麗じゃないと。品行方正じゃないと、生きていけない世の中でしょう? だから洗ったんです」
「洗ったって……過去を?」
「はい。少しでも欠点や汚れのある過去なんて、いつどこで誰が揚げ足をとって、炎上騒ぎになるか分かりませんからね。昔の自分なんて、リスクでしかないんですよ!」
「はぁ……」
よく分からないが、彼はそう言って自分の過去をぐしゃぐしゃに丸めて、カゴいっぱいにして持って帰って行った。と、
「オイっ!」
大きなカゴを抱えた大学生は、入り口で中年男性とぶつかり、派手に床に倒れた。
「す、すみません」
「気をつけろ! お前……」
中年男性がジロリと大学生を睨んだ。髭面の男が、真っ黒なサングラスを外し、腫れぼったい目で床にへたり込んだ大学生を覗き込む。
「……見つけたぞ。お前、10年前の俺だな」
「……は?」
大学生がぽかんと口を開けた。髭面が低く唸った。
「誤魔化そうたってそうは行かねえ。俺ァ10年後のお前なんだよ。タイムマシンで、お前を探して過去まで戻って来たんだ」
「貴方が、未来の私??」
信じられない、と言った顔で大学生が髭面を見上げた。まさか自分が、10年間でこんなにも変わるとは思わなかったのだろう。大きく膨れ上がったビール腹を叩きながら、髭面が下唇を舐めた。
「お前のせいで、俺ァ10年後、酷い目に遭ってんだよ。借金は背負うわ、女に逃げられるわ、仕事は失くすわ……。全部お前のせいだ!」
「ええっ!?」
「お前さえいなければ……過去の俺がやらかさなければ……」
「ちょ、ちょっと待って下さいよ! 僕は何も……大体、その話が本当なら、僕は貴方じゃないですか!?」
「そうだよ、過去は綺麗じゃなきゃいけねえ。だから俺はお前を……洗いに来たんだ!」
悲鳴が上がった。髭面は丸太のような腕で大学生をひょいと抱え、空いていた洗濯機の中に放り込んだ。華奢な大学生は全身すっぽりと洗濯機の中に収まってしまう。誰が止める間もなく、髭面は蓋をバタンと閉じ、スイッチを押してしまった。
「あぁ良かった……。欠点や汚れのある過去なんて、やっぱ、リスクでしか、ねえ……」
言い終わるか終わらないうちに、髭面の体が、真っ白く泡立ち始めた。やがて全身が泡に包まれた男は、背景に溶けるように霧散して、消えてしまった。洗濯機の中に放り込まれた大学生も一緒に。彼の過去も未来も、欠点も美徳も、同じように。
4番の洗濯機が止まった。スーツ姿の男が、洗っていた大量の紙幣を回収する。
5番の洗濯機では、誰かの心が洗われていて、
6番の洗濯機の中では、血で血を洗う抗争が行われていた。
何かがおかしい。何か……私はゾッとした。
乾燥が終わると、私は急いで家族の衣服を引っ掴んで外に飛び出した。雨はまだ止みそうになかった。川が氾濫し、浸水してしまった道路を何とか渡りきり、家にたどり着いても、まだ降り続けていた。夜通し降り続けた雨は、やがて街全体を覆い、山を飲み込んで、この地球を丸ごと洗ってしまうかのように……。
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