九十四 余地能力者

 日本からの転校生・明日佳ちゃんは、いわゆる『しょうがいしゃ』だった。



「明日佳ちゃんには『未来』が見えません」



 教室に入ってくるなり先生にそう紹介されて、僕たち男子は明日佳ちゃんのモデルみたいに軽やかな体型と、重い『しょうがい』にどよめいた。未来が視えないだなんて、今まで一体どれほど辛い思いをしてきたのだろう。僕は思わず息を飲んだ。隣の席の学級委員の小百合ちゃんも、僕と同じように憐れみの目を転校生に向けていた。


「......ですから皆さん、仲良くしてあげてくださいね」

「......はぁ~い」


 先生がにっこり笑ってそう言った。何のしょうがいもなく、普通に未来が視える僕たちは、少し間を置いて心地よく返事を返した。先生にも僕たちと同じように、明日佳ちゃんがこのクラスに受け入れられる未来が視えているはずだった。


 転校生の明日佳ちゃんは、重たい『しょうがい』を抱えているにも関わらず、見た目にも話している分にも、僕らと何ら変わりはなかった。例えば明日佳ちゃんはとても声が綺麗で、音楽の授業なんかで魅せる透き通るような軽やかな歌声は、たちまち学校中の評判になった。僕らのクラスが音楽室に入ると、他の学年の生徒達だけではなく、手の空いた先生まで見学にくるほどだった。実際、彼女の歌声を聞くと、僕は頭にいつもの三倍くらい血が昇るのが分かった。どうしてそうなるかは、どんな教科書のどこにも書いていない。こればっかりは彼女の特殊能力に違いなかった。


 ビジュアルが良かったのも、彼女の人気に拍車をかけたに違いない。まるでドラマから飛び出してきた若い女優のような、色白の肌に整った顔立ち。明日佳ちゃんは物静かな少女だった。休み時間になると、決まって一人で図書館に行って窓際で難しそうな本を読んでいた。たまにイケてる男子や女子のグループが試しに声をかけても、明日佳ちゃんはどこか遠くを見たような目でそっけなく答えるだけだった。


 重たい『しょうがい』を背負い、誰とも慣れ合わずに一人図書館で本を読んでいる、ミステリアスな色白の美少女。おかげで僕みたいな普段は教室の影に隠れて俯いているような男子にも、彼女の人気はうなぎ登りだった。


「何の本を、よ、読んでるの?」

「え......?」


 極度の緊張でどもりながらも、そんな彼女に僕が声をかけたのは、それから一週間以上経ってからだった。同じクラスに半年以上いながらも、他の女子どころか男子にすら声をかけることがほとんどなかった僕だったので、これはかなり早い方だと言える。


 実際、彼女に声をかけるに当たって僕は僕なりにかなり『戦略』を立てた。毎日図書館に通い、彼女が読んでいる本のコーナーに忍び寄り、どんな本が好きなのかを調べ上げた。明日佳ちゃんが読んでいるのは、SFとか、何とも難しそうな幻想小説が多かったように思う。一度だけ僕も開いてみたことがあるが、訳の分からない専門用語や造語が飛び交っていて、自慢じゃないが一行目で頭が痛くなってしまった。物語と言えば漫画かアニメだった僕にとって、彼女がとても知的な生命体に思えてしょうがなかった。


 何よりこの国の人々はみな、当然のように未来が視えるのだから小説や漫画を読むこと自体滅多にないことだった。結末が分かってしまうのだから、面白さが伝わりようもない。いや、伝わりすぎて面白くないと言った方が的確だろうか。引っ込み思案な僕がこんなにも早く彼女に声をかけられたのも、もちろん未来が視えているからに他ならなかった。明日佳ちゃんが転校してきてから、彼女がまた別の中学に転校していく半年の間、僕らはよく図書館や中庭で一緒に過ごしている『未来』が僕には視えた。僕だけじゃなく、周りのみんな全員にも。


 そんなだったから、僕は安心して彼女に声をかけた......訳ではない。いくら未来が視えたって、分かっていてもバナナの皮に滑って転ぶような僕だ。出来るだけ彼女との明るい未来を見落とさないように、慎重に目を凝らして立てた『戦略』を睨んでいたには違いなかった。


「これ。故郷の......流行っていた小説なの」

「フゥン......」


 彼女は机に腰掛けたまま、分厚い本の表紙を僕に向けて見せた。僕は残念ながらそんな表紙には目もくれず、頭の中で次に「どんな内容なの?」と声をかける数秒後の未来を視ていた。


「どんな内容なの?」

「異世界に行って......。どんな未来をも見通す異能を持った主人公が、他人の人生に絶望して説得を試みるも悉く失敗してしまうお話」

「面白そうなオハナシだね......」


 何が面白いのかさっぱりだったが、とりあえずそう言っている未来が視えたので、僕はそう答えた。


「中庭に行こうよ。図書館は今から人が混んで読書にならないよ。あそこなら、邪魔が入らない」

「何で分かるの?」

「未来が視えるから......」


 彼女が怪訝そうな顔で僕を見上げた。言ってから、僕はしまったと思った。『未来視』なんて、僕らが出来て当然のことを、彼女が出来なくて苦しんでいるだろう『しょうがい』を、思わず口から出してしまった。明日佳ちゃんは、見ているだけで吸い込まれそうになるその漆黒の瞳で、僕をじっと見つめた。僕はまたしても頭に血が昇ったようになって、思わず目を逸らした。


「ごめん......」

「? どうして謝るの?  それより、混むんだったら、嫌だわ。さっさと中庭に行きましょう」


 ところが、彼女の方は逆に『未来が視える』と言い出した僕に興味を持ったようだった。彼女はおもむろに立ち上がった。夕日に照らされたその顔は『しょうがい』に触れられても、何でもないような態度を装っていて、平然として見えた。未来が視えなくて、きっと不安に押しつぶされそうになっているに違いないのに、その毅然とした態度に僕は胸を打たれた。さらにもう一段階頭に血を昇らせながら、僕はふらふらと彼女の後を追って中庭まで歩いて行った。


「未来が視えるってどんな感じなの?」


それから約半年間、僕が予知した通り、僕と明日佳ちゃんはとても仲良くなった。彼女といると、僕は自分でも信じられないくらい饒舌になった。それは彼女も同じだったみたいで、誰もいない中庭でお気に入りの本を広げながら、彼女は僕によくそう質問した。


「そうだな......。僕は中学を卒業したら、私立の高校に行って、それから地元の 水道設備会社に就職する。それから数年後にお嫁さんをもらって、二人の子供を産むかな」

「まあ......それ、もう決まってるの?」

「もちろん」


未来視を語ると、彼女は決まって驚いたように目を丸くした。僕はそんな彼女の反応が面白くて、ついつい視えている未来について話し込んでしまうのだった。


「......それから僕は四十の時に重い腰痛を患って、死ぬまでそれに悩まされ続ける。死ぬのは、六十九歳の一月の朝だ。視ているだけでとても苦しそうだから、できればその前に自殺しようかと思ってるよ」

「............」


 僕の未来を聞かせてあげると、彼女は複雑そうな顔をした。


「......やりたいこととか、ないの? 決まってる未来じゃなくて、なりたいものとか、行きたい場所とか......」

「やりたいこと?」


 僕は思わず彼女を見つめた。未来はもう決まっていることなのに、それ以外の一体何をやれと言うのだろう? 何をやったって無駄なことが分かっているのに、やる意味はあるのだろうか? 重い『しょうがい』の片鱗を垣間見た気がして、僕は思わずかける言葉を失った。彼女もまた、同じように押し黙ってしまった。静まり返った中庭に、蝉の声が土砂降りのように降り注いだ。その日は二人ともお互い何も言わず、手も握らずに帰ってしまった。


「未来が視えないって......どんな気分なの?」


またある時などは、今度は僕から明日佳ちゃんにそう質問することもあった。

 明日何が起こるか分からないだなんて、不安じゃないのだろうか? 自分が将来何をやっていて、これから出くわすであろう楽しいことも、悲しいことも、いつ 死ぬかも何も分からない。そんなお先真っ暗の人生だなんて、僕だったら発狂してしまう。せめて自分がいつ死ぬのかとか、僕たちがいつ別れるのかくらいは知っ ておくべきだと思って、何度か彼女に教えようとしたけれど、その度に明日佳ちゃんは何故かそれを拒んだ。


「だって、分かってた方がショックが少ないじゃないか」

「そんなことを知って、何が楽しいの?  私はね......」


明日佳ちゃんが如雨露で中庭の花に水をやりながら、真っ黒な目で僕を見つめ返した。付き合ってみると分かった性格だが、彼女は普段は寡黙だが、『しょうがい』のせいか妙に未来とか将来について頑ななところがあった。


「私は、自分が障害者だなんてこれっぽっちも思っていないわ。明日何が起こるかなんて、分からなくて私は結構。むしろ貴方たちの方が、異常なくらいよ。何もかも悟ったような顔をして、出来る努力も放棄して......」

「だって、視え透いてんだから......」


 また始まった。

 僕は肩をすくめて見せた。彼女はよく、視えている僕を責めた。

 例えば、受験生だというのに碌に机に向かおうとしない僕を、彼女は会うたびに咎めていた。だが僕にしてみれば、落ちることが決定した受験になんて、そりゃ熱意も出せなくて当然だった。滑り止めで受けた私立に受かって、僕はそこでダラダラと高校生活を過ごすことになる。そりゃもう、そこからはみ出す余地も無い、もう決まった未来なんだから。


「今から勉強すれば、分からないじゃない」

「君こそ、分からない奴だな。落ちることなんて、もう分かりきってるんだって」

「......可哀想」


 そんな風に未来について言い合いになった時は、彼女は決まって憐れんだ目で僕を見つめる。僕には当然その景色は視えていたが、いつまで経っても彼女がそんな目で僕を見つめる、その理由までは分からなかった。少し暗い気分になった僕は、如雨露を握る明日佳ちゃんを見てポツリと呟いた。


「......その花も、夏には台風が来て、みんな吹き飛ばされてしまうよ。君がいくら今から水をやったって......」

「......たとえいつか枯れる花にだって、今、水をやらない理由にはならないわ」


 如雨露から水が無くなると、彼女は立ち上がった。彼女の足元に咲く一輪の花が、受け取ったばかりの水を滴らせて小さく光った。


「貴方は......貴方たちは、未来が視えるわけじゃない。視えてるものしか、視ようとしてないだけなのよ」

「君は......」

「私はそうは思わない」


 彼女はそう言うと、空になった如雨露を持って一人中庭を出て行ってしまった。

 それから夏が来て、僕の予知通り花は枯れ、秋には明日佳ちゃんは別の中学に転校してしまった。何でも噂によると、将来音楽家になりたくて今から音楽の道に進むことを決めたらしい。彼女はもう決まっている未来の、そうじゃ無い方に賭けてみたかったのかもしれない。明日佳ちゃんの『その』結末も僕は知っていたが......結局最後まで、僕は彼女にそれを言い出す余地もなかった。本当は引き止めてもっとそばに居たかったのだけれど、それを言い出せないことも含めて、僕の視た未来通りだった。


 彼女がいなくなって、空っぽになった中庭を僕は一人で訪れていた。台風でくちゃくちゃにされた中庭は、未だに手付かずの木材が放置されてりしていて、最早近づく者は誰一人いない状況だった。影になって急に冷たくなった風に身を縮こまらせて、僕は以前明日香ちゃんがいた辺りに座り込んだ。


「......?」


 僕はふと、足元に植えられている新しい苗に気がついた。無造作に積み上げれたレンガの陰に隠れて、明らかに人の手で植えられた苗が、そこで小さな緑の芽を出していた。こんなところで吹き飛ばされてない花なんてないから、きっと台風の後に誰かがわざわざ植えたのだろう。夏場に僕が視た未来に、こんなものはなかった。あまりに小さな未来過ぎて、見過ごしてしまったのだろうか。


 一体誰が、何の目的で植えたのだろう。この花は、春には咲くのだろうか?

 その結末は......。

 花の未来を視ようとして、僕は明日佳ちゃんの言葉を思い出し、無理やり未来 から目を逸らした。それから、使える如雨露を探しに僕は急いで職員室まで走っていった。

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