九十三 のぞみ203号の冒険

「あれ……ない!」


 隣に座っていた部下の岩浪が、ハッとしたように上着を弄まさぐりだした。


「ない、ない、ない……!」

「どうした?」

「ないンすよ、俺のスマホ……どっかに落としたかも!」

「落としただぁ?」


 岩浪は何とも情けない、今にも泣きそうな顔でこっちを見つめた。俺は小さく肩をすくめた。


「落としたって……もうとっくに駅出ちゃってるぞ」

「そうなンすよねえ……! 新幹線の中で、落としたンなら良いけど」


 俺たちを乗せたのぞみ203号は、名古屋を過ぎ、新大阪へと向かうところだった。岩浪は慌てて上着を脱いだ。ポケットというポケットを全てひっくり返し、座席の下や上の荷物スペースまでひっきりなしに探し始めた。朝っぱらから騒がしいやつだ。このままではズボンまで脱いでしまいそうな勢いだった。


「だって、アレがないと生きていけないっすよォ!」

「でも、もう一時間後には商談だろ。どっかに落ちてないのか?」

「あの中に取引先の電話番号とか、全部入ってるンです! それに家族の写真とか、決済ツールとか銀行口座アプリとか全部……本当に全部!」

「かけてみようか? 俺の電話スマホから」

 呼び出し音や振動で、どこにあるか分かるかも知れない。

「ダメっす……商談前だから、電源切ってて。『スマホを探す』アプリとかもあるンすけど、それも家のPCじゃないと見られないし……」


 岩浪はとうとう本当に泣き出してしまった。

何だかややこしいことになって来た。最近じゃそう言う『探す』グッズもあるらしいが、彼はまだ使っていなかったらしい。


「どうしよう! 俺の全部!」


 岩浪の泣き叫ぶ声が車内に響き渡った。


 全部、というのも、あながち間違いではない。

最近のスマートフォンは個人のプライバシーから国家機密まで、片手で持ち歩ける。スパイ映画も吃驚の情報量だった。かく言う俺も、地図やらカメラやら、今では全部スマートフォンに頼りっきりだった。本当に便利なのである。慌てる部下の気持ちも、分からないでもなかった。 


「アレがないと……俺の人生おしまいだぁ!」

「分かった、落ち着け。お前は前の車両を探してこい。俺は後ろの車両にないか見てくるから」


 俺たちはちょうど真ん中辺りの席に座っていた。岩浪は涙ながらに頷くと、足をもつれさせ、全速力で前の車両に駆けて行った。便利すぎるのも考えものか。俺は小さくため息をつき、急いで踵を返すのだった。


 最初の車両の扉を開けると、窓の外はいつのまにか真っ暗になっていた。どうやらトンネルに差し掛かったらしい。乗客はほとんど見当たらない。早朝のせいか、席はすっからかんだった。

 ただ一人、車両の途中で、岩浪と同い年くらいの若い青年が見えた。何やらしきりに席を立ったり座ったりしている。


「スンマセン」

 横をすり抜けようとすると、茶髪の青年が、向こうから話しかけて来た。


「何か?」

「この辺に、俺の学歴落ちてなかったっすか?」

「ガクレキ?」


 俺は戸惑った。ガクレキとは、何の略語だろう? 最近はやたらめったら四文字に略すから、油断してると、異国の地にでも飛ばされた気分になる。


「俺の学歴……アレがないと、俺生きていけないっすよ!」

「はぁ。何か落し物ですか」

 岩浪と同じような言葉遣いで、青年は頭を抱えて見せた。


「だって学歴さえあれば、人生バラ色なんでしょ? そうなんでしょ?」

 もしかして、「学歴」のことを言っているのか? ……不味い。変な人に絡まれてしまった。俺は目を泳がせた。


「ねえ? 良い学歴があれば年収も上がるし、人脈も豊富だし……ねえ? 学閥とかさぁ。だからみんな、好きでもない勉強してるんでしょ? だってこの国じゃ、良い大学に入ることが、人生の全てを決定づけるんでしょ?」

「だが、それが人生の全てって、そんな言い切られてもなぁ」


 詰め寄ってくる青年を何とか押しのけて、俺は頭を掻いた。


「私も自慢じゃないが……もう十数年前か、第一志望の大学には落ちて……だけどそれで、それだけで人生終わったりしないよ」

「本当に自慢じゃないや」


 青年は呆れたように言い、それで俺に興味を失くしたようだった。やがて彼は再び床を這いつくばって、学歴探しへと戻って行った。


「学歴……俺の学歴……。学歴さえあれば……」


 青年は床に頬をひっつけんばかりで、何やらブツブツと呟き始めた。何だ。何なんだコイツは。俺は寒気を覚えて、思わず顔を顰めた。何だか異様な雰囲気だった。一通り車内を見回して、岩浪のスマホがないのを確認して、俺は足早に次の車両に向かった。


 次の車両もガラガラだった。


 相変わらず窓の外は闇に包まれ、天井の蛍光灯がやけに輝いて見えた。残念ながら、この車両にも探しものは見当たらないようだ。スマホが落ちていたら、一目瞭然だろう。誰もいないと思ったら、右の方の席から、ひょっこりと妙齢の女性の頭が現れた。


 老婆だった。


 しわくちゃで、細身で、髪は真っ白に染まっていた。俺はまたしても自然に震えが来た。こう言っちゃ悪いが、深夜に道端で会ったら、思わず悲鳴を上げそうな姿だ。黙って脇を通り過ぎようとすると、老婆が急に首をぐるんッ! とこちらに向け、話しかけられてしまった。俺は心の中で舌打ちした。


「ごめんなさい」

「……私ですか?」

「ええ。この辺に若さ落ちてなかったかしら?」

「若さ?」


 老婆は席に座ったまま、困った顔で俺を見上げた。困ったのは俺の方だ。若さなんて、そもそも拾ったり落としたりするものでもない気がするが。


「えぇ、ええ。私、うっかりこの辺で若さを落としてしまったのよ。若いって良いわねえ。若けりゃ何でもできる。若さって、人生の全て、貴方もそう思わない?」

「私は……」


 そこでふと記憶の扉が開いた。


 若い頃は貧乏で、ろくに好きなものも買えなかった。友達みんながゲームやら漫画やらに夢中になっている間、俺は一人部屋で本を読んでいるのだった。

図書館は良い。無料だから。

正直言って、自分に限った話で言えば、若い頃ってあまり良い思い出ばかりじゃない。勤め出してからの方が、ゲームでも漫画でも好きなのを買えるし、充実していた。


「……そう思います」

「でしょう? 若いって良いわよねえ。ああ、若さがどこかに落ちてないかしら。嗚呼……」


 ……こりゃあいよいよ怪しくなってきた。

俺はすっかり参ってしまった。何やら妙な車両に迷い込んでしまったようだ。学歴や若さを落として探す乗客なんて、いる訳がない。白昼夢か、狐か狸にでも化かされたか。


 俺は後ろを振り返った。


 よっぽど引き返そうかとも思ったが、またあの青年に絡まれるのも嫌だった。それに……車両はまだ続いている。この先の車両に、一体何が待っているのか。次の乗客は果たしてどんなものを探しているのか。もの好きな好奇心が俺の中でむくむくと膨れ上がり、やがて恐怖心を押さえ込んだ。


「歳は取りたくないものねえ。若さ、私の若さ……嗚呼」


 在りし日を夢見る老婆を置いて、俺は生唾を飲み込み、勇気を出して次の車両の扉を開いた。


「もしもし。私のお金、どこかで見ませんでしたか? だって世の中、お金が全てじゃないですか。お金が人生を決めるって言っても過言じゃないですよ。私のお金、お金……」


「ねえそこのオッサン。俺のフォロワー見なかった? フォロワーの"いいね"さえいれば、他何も要らないんだよね。フォロワーが全てじゃん。知らないの? フォロワー」


「すいません、ぼくの恋人、この辺にいませんでしたか? おかしいなぁ……あの子は、ぼくの全てなのに。あの子がいなきゃ、ぼくに生きていく意味なんて無いよ。あぁ……あの子、どこに行ったんだろう?」


「能力なのよ、能力。資格、学歴、職歴……要するに現代は能力至上主義でしょう? 優秀な能力さえあれば、世の中有利に渡って行けるの。人生、それが全てだと思わない?」


「違う違う、結局は人生、数字なんだ。数字で表示出来ないものなんて無いんだから。ゆりかごから墓場まで……身長。体重。出席番号。偏差値。業績。年収。戦闘力。背番号。視聴率。再生回数。ボール支配率。血糖値。な? みんな数字を気にしてるだろ? 『数字が全て』さ」


「生まれつき目が見えなくてね。おっかさんのお腹の中に、目ん玉置いてきちまったんだろうね。一片で良いから、色のついた世界ってやつを、見てみたくってねえ。えへへ。あんた、要らないなら、その目ん玉俺にくんないか?」


「私には生まれつき、心がないんです。ええ、お母さんが言ってました。『この子には人の心がないんだ』って。心があれば、みんなと仲良くなれますか? 私はもう殴られずにすみますか? その辺に私の心が落ちていないか、一緒に探してくれませんか?」


「僕には夢がないんだ。でも大人たちは、みんな『夢を持て』ってうるさいからさ。何を夢にしたら褒めてくれるかなあ。何を夢にしたら、叱られないんだろう?」


「頼む、俺には時間がないんだ! ガンなんだよ。末期ガンなんだ。あとちょっと時間さえあれば……もうちょっとで孫も生まれるんだよ。なのに先生……酷いじゃないか! ちくしょう! 何だってこんな……あと少し……家族のためにも俺に時間を……」


「若い頃から切手を集めててねえ。ちょっとしたもんですよ。見ます? どうです? すごいでしょう。これが私の全てって言っても良いくらい。これから外国に向かうつもり。まだ集めてない切手を買うの。楽しいよぉ、切手」


 ……次の車両を開ける頃には、俺はクタクタになっていた。一体何両編成なんだ。こんなに「のぞみ」は長かっただろうか。だが思った通り、どの車両にも、何かを探し回っている奴が一人乗っていた。


 一つの車両に、一人だ。


 見知らぬ顔ばかりかと思ったら、どこかで見たことのあるような……「おやっ」と思う顔も何人かいた。みんな、何だかよく分からない……『平和』だとか、『温もり』だとか、抽象的なものを探し回っている奴もいれば、『時計の短針』だとか、『香水』が自分の人生の全てだと言い張る奴もいた。探しものが見つかる場合もあれば、見つからない場合もあった。人生は本当に、思った以上に色々だった。


 これが最後の車両だった。

 

 最後の一人の後ろ姿を見て、俺ははたと足を止めた。

彼もまた、どこかで見覚えのある姿をしていた。あれは……あれは俺じゃないか。俺は驚いた。


 真ん中にいた男が、俺を振り返った。間違いない。男は俺と同じ顔をしていた。思わず「あっ」と声が出た。おかしな車両だと思っていたが、まさか最後の最後で、自分自身と出会うとは。


「あっ……」

「どうしました?」


 呆然と突っ立っていると、 向こうにいた俺が歩み寄ってきて、俺に話しかけてきた。


「何か探しものですか?」

「あ……いや」

 なんてこった。まるで鏡を見ている気分だ。俺は汗を拭った。しばらく沈黙が、俺と俺の間を包んだ。耐えられなくなって、思い切って聞いてみた。


「あなたこそ……何を探しているんですか?」

「何を探してるんだと思います?」

「えっと……」


 ……なんだろう?

 

 俺が探しているもの? 一体なんだ? 俺の人生の、全て。そんな風に思えるものって、今まで、俺にあったか? 俺は何を探して、ここまで来たんだろう?


「えーっと……」

 その時、胸ポケットが震え出し、呼び出し音が鳴った。


 岩浪だった。受話器の向こうで、岩浪が嬉しそうな声を上げていた。


「ありましたよ! スマホ!」

 岩浪は涙声で叫んだ。

「俺の全て! 良かったぁ!」


 どうやら探しものが見つかったらしい。

 それから俺は部下との通話を切ると、黙って踵を返した。


 最後に一度だけ、俺は、俺が乗っていた車両を振り返った。そこにいたもう一人の俺は、何も言わず、黙って突っ立ったまま、俺をじっと見つめていた。



 窓の外が明るくなった。トンネルは無事抜けたらしい。


 不思議なことに、帰り道は、普通の「のぞみ」に戻っていた。

妙なものを探し続ける乗客も、どこにも見当たらなかった。あっという間に元の席へと帰れた。

 席に戻ると、岩浪がスマホに頬ずりして歓喜の舞を踊っていた。私は大きくため息をつき、深々と席に座り込んだ。



※※※



 あれ以来、何度か新幹線を利用しているが、あの妙な車両には出くわしていない。あれはやはり、夢だったのだろうか。


 最後の車両で、出会ったもう一人の自分。


 彼は一体、何を探していたのだろう。俺にはまだ分からなかった。これから新幹線を何往復かすれば、あるいは分かる日も来るだろうか。窓の外から差し込む日差しに目を細めて、俺は今日も、「のぞみ」に運ばれて行くのだった。








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