六十七 白い目
若き未亡人マチルダの娘・ルナは今年で5歳になる。
天使のように可愛らしくて、愛する夫がこの世に残した自慢の箱入り娘だ。だが、ひとつだけマチルダを悩ませている問題があった。娘には霊感があったのだ。
「今日はね、山の向こうのケビンって子が遊びに来てたの。みんなでおままごとをして遊んだわ。ケビンったら、私の可愛いバービー人形を」
「ルナ、もうやめなさい」
もちろん今日この家にケビンなんて子は遊びに来てない。それどころか今日は一日中マチルダと娘は二人っきりだった。娘が幽霊と遊んだ話を披露する度、マチルダは苦い顔をしてそれを止めさせた。もしこのまま小学校に上がったら、娘は周りから白い目で見られてしまうだろう。何とかして娘の「悪い癖」を無くさなくては。それがマチルダの悩みの種だった。
「いい? 絶対にあなたが幽霊とおしゃべりできることを、誰にも話しちゃダメよ。ママとの約束」
「分かった」
ルナは素直ないい子だったので、母親の言うこともすんなり聞いてくれた。それからルナはお友達の幽霊が家を訪ねてきても、いいつけを守って無視することにした。それでも時々ルナが誰もいない空間に話しかけようとすると、マチルダは鋭い目で睨んだ。その度に娘は哀しそうな目を見せたが、やがてルナが幽霊と戯れることもなくなったかに見えた。
だがある晩、マチルダとルナが夕食をとっていると、急に玄関が無理やり押し開けられたような大きな音を立てた。驚いたマチルダが見に行くと、不思議なことにドアの鍵はかかったままだった。ただ、マットには雨で濡れたような跡や外から入ってきたとしか思えない枯葉や泥が付いていた。
「ケビンだ……」
マチルダはギョッとして振り返った。
彼女の後ろで、いつの間にかそこにルナが立っていた。明かりもついていない暗がりの廊下に、白いドレスがぼんやりと浮かび上がっている。
「ケビンが来たんだよ。私が無視してたから、ケビンが怒って来たんだよ」
「ルナ! 黙って!」
怯えるでもなく、まるでそこに誰かいるかのように視線を走らす娘に、マチルダは恐怖を覚えた。廊下の電気をつけ、娘を強引に抱きかかえると二階の寝室へと飛び込んだ。
「ママ……」
「黙って! ルナ、約束して。幽霊なんていない。もう二度と話したりしちゃダメ!」
「分かった……」
そして二人は抱き合うようにして朝を待った。窓を叩きつける雨の音が、静まり返った部屋の中で不気味に響いた。やがて時計の針が0時を回るその瞬間―。
「ママァァアアアア!!!」
「ルナ!」
大きな叫び声とともに、娘が得体の知れない影に引きずられていく。影は締め切ったドアの向こうから伸びて、娘の足首に巻きついていた。バリン! と大きな音を立てて天井の電球が割れた。やがて向こう側からゆっくりドアが開けられた。
「ママァアア! お願い! 助けて!」
「ルナ! ルナァ!」
一瞬にしてドアの向こうに引きずられる娘を、マチルダは必死に追いかけた。娘は見えない何かに引っ張られながら、階段を下りあっという間に玄関から飛び出していった。
「ああ……神様……」
「どうした!?何があったんだ!?」
騒ぎを聞きつけて、数メートル先に住む隣のバートンがマチルダの家にやってきた。あまりの出来事にその場で崩れ落ちたマチルダを介抱しながら、バートンは彼女をソファに寝かした。
「マチルダ、何があったんだ」
「ああ……バートン。助けて……娘が……娘がケビンとかいう怪物に連れ去られて……」
その話を聞いてバートンは哀しそうに目を伏せた。
「やれやれ……またか。マチルダ。お前の娘ルナは三年前に死んでるじゃないか。もう幻覚と暮らすのはやめなさい」
「ああ……バートン。そんなハズはないわ……そんなはずは……」
薄れいく意識の中で、マチルダは彼が自分を白い目で見ているのを、ぼんやりと眺めていた。
マチルダが目を覚ますと、昨日の雨が嘘のように空は晴れ上がっていた。リビングに降りると娘のルナがテーブルに座っていた。朝食を今か今かと待ちわびているところだった。娘の姿を見て、マチルダは昨日の夢のような出来事を思い出し目を潤ませた。
「おはよう、ママ。ねえ聞いて。昨日山の向こうのケビンって子が遊びに来てたの。みんなでおままごとをして遊んだわ。ケビンったら……」
「ルナ」
マチルダは右手で娘の話を制した。どうやら怒られると思ったのか、娘はビクッと肩を震わせた。怯える愛娘の頭を、マチルダはその右手でそっと撫でた。
「いい? 絶対に’私も’幽霊とおしゃべりできることを、誰にも話しちゃダメよ。ママとの約束」
「分かった」
ルナは今年5歳で、もしかしたら来年も5歳のままかも知れない。もう娘が死んだことから逃げるのはやめよう。もしたとえ誰かに白い目で見られたとしても、自分だけは娘のその姿をしっかり温かい目で見つめていよう。そう思うマチルダであった。
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