25.ステッキ

 日曜日の午後。少し退屈な時間をごろごろとベッドの上に転がって適当に録画番組を流し見していたつかさのスマートフォンが鳴った。

 りつからの応援要請だ。


 よし、きた! と司は意気込んで起き上がる。


 栄一が蒼の夜に巻き込まれて亡くなったことが発覚した直後のような激しい憎悪はない。だが蒼の夜の魔物を自らの手で倒さなければ、倒したい、という強い思いは残っている。


 行けますと返事をするといつものようにキーホルダーが光を放った。

 途端に周りが暗くなる。どこかの公園が蒼の夜に呑み込まれていた。


 すぐに律達と合流して魔物の気配を探る。

 だがいつもは強烈な魔力の塊のような気配を感じるのに、今日はそこまで強くない。


 今回の魔物は弱いのか、と司は推測しながら敵を探した。


 ふらふらと歩く人影が遠くに見えた。

 蒼の夜の中でも気絶しなかった人がいるのか? と司は笑みを浮かべたが、すぐに異変に気づく。


「あれが、魔物だね」


 隣の律がぼそりという。声にはいつも以上に緊張が含まれていた。


「魔物……?」


 近づきながらつぶやいた司だったが、あれが魔物だと気づくのにそれほど時間を取られなかった。


 一言でいうなら、ゾンビ。


 元は同じ年ほどの少女だったであろう形をした、人型の魔物だ。


 ファンタジーな世界の魔法使いが着るローブのような服はボロボロになり、泥だらけだ。

 肌はあちこちが裂け、覗いている肉も腐敗した色だ。髪はボサボサで、ところどころ泥のようなものがついて固まっている。眼球がなく、眼窩が黒く不気味に目立っている。


 全体的に土気色をした「それ」の持つステッキの先に着いたオレンジ色の石だけが、鮮やかだった。


「元は魔術師ね、一人なのは幸いだわ」

 遥が大太刀を構える。


「僕の魔法は効きにくいだろうから、頼むよ」

 律はクロスボウを構えるが、攻撃には慎重だ。


 司は。

 刀を抜いたが、斬りかかれずにいた。


 いくらゾンビのような姿をしているとはいえ、人の形をしている相手を斬ることにためらいが生まれていた。


 魔術師ゾンビのステッキが光る。

 それまではあまり感じなかった魔力が急激に彼女を中心に膨れ上がるのを感じた。


 何かくるのかと身構えたが体に変調はない。


 “彼女”が何をしたのかは、遥との戦いですぐに判った。


 遥の太刀がゾンビを一刀両断にする、と思ったが敵の体はそれまでの不自然な動きが嘘のようになめらかに移動して刃を逃れる。


 遥は怖じずに立て続けに太刀を振るうが、どれも“彼女”を傷つけることはなかった。


 律がスピードアップの魔法を遥にかけたが、それでも遥の太刀は敵に届かない。


「氷室くん、君の方が相手の素早さに合わせられる」


 参戦してと促される。


 判っている。

 戦わなければならない。

 蒼の夜を消さなければ。

 だが、“彼女”は人だ。人だった。


 そう考えると体が思うように動いてくれない。


 遥の攻撃が“彼女”をかすめた。悲鳴のような声が“彼女”から漏れる。


 一歩を踏み出そうとした司の足がまた止まる。


 “彼女”は大きく下がり、ステッキを掲げる。先端の石がひときわ強い光を放つ。


「攻撃が」

「氷室くん!」


 遥が司の前に出た。

 律が放った魔法が三人を包むと当時に、敵がステッキを振り下ろす。


 すべてを焼き尽くさんと炎がほとばしった。


 律の魔法と、遥の斬撃が炎を弱め、切り裂く。

 それでも司の腕や脚に一部が降りかかる。


 熱い!

 遅れて痛みもやってくる。


「あれを放っておくと、気絶している人達はあの炎で焼かれてしまうんだよ」


 律が硬い声で言う。


 倒れている人に攻撃魔法を仕掛ける“彼女”、いや、魔物の姿を想像した。


 あれは、人を殺してもなんとも思わない魔物なんだ。

 倒さないと。


 司は刀の柄をぐっと握りなおす。


 栄一が言っていた“戦える人”となった自分がやらないと。


 脚に力をこめ、大きく一歩を踏み出した。

 敵を上回る動きで、魔法を撃たせない。

 司は自らの役割を理解し、遥に攻撃のチャンスを作るべく敵の周りを動き回り、刃を振り下ろす。


 表情のないゾンビが悲しそうな顔をしているような気がしたが、それは自分の迷いの表れだと振り払う。


 ゾンビがステッキを構える。

 敵の右側に回り込んで刀を振るう。


 ゾンビが、完全に司に向き直った、その時。


 遥が大太刀を大上段から振り下ろした。

 衝撃波がゾンビの体を真っ二つにした。


 魔物は淡い光に包まれて消えていく。


 もっと生きたかったんだろうなと考えると、司は目を閉じて祈りをささげていた。


 どうか、せめて、魂が安らかに逝けますように。


 彼女と共に消えつつあるステッキのオレンジ色がきらりと輝いた。


 目を開けると、一つ乗り越えた司に、律も遥も安堵と満足を込めたような顔で微笑んでうなずいた。


 この人達と、俺はこれからも戦い続ける。

 司は改めて誓った。

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