16.水の
あれはまずかった、と
自分にはあまりものなのかと言ってしまった司に遥は戸惑いの表情を浮かべ、謝った。
そこからは気分を切り替えようとしてくれたのだろう、訓練に集中して、帰りもほぼ言葉を交わさずじまいだった。
あの時はそれがありがたいと思っていたが、家に帰って冷静に考えると自分がいかに遥に失礼な態度を取ってしまったのかを痛感した。その場で謝っていれば後日こうやって悔やむ気持ちも和らいだだろうに。
遥のクッキーは程よい甘さで、とても美味しかった。
あまりものだなんてとんでもない。
そもそも綺麗にラッピングしていたことからして、律と同等とまではいかなくてもきっと司のためにも作ってくれたものだろう。
それを、嫉妬心で踏みにじってしまった。
次に会う時、なんていえばいいのだろう。
やはりストレートに「あの時はごめんなさい」と謝るのが一番か。
司は遥に謝ると決めて、トラストスタッフに向かった。
今日もいつもと同じように律の部屋に遥がいた。司の訓練の時間にあわせて来てくれているのだが、律の部屋で待っている彼女を見るとつい、少しでも律に会いたいからかと嫉妬が湧き上がってくる。
いやいや、謝るんだろうと司は軽くかぶりを振った。
だがここでいきなりごめんなさいと言い出したら律の前で自分の醜い部分をさらけ出すことになってしまう。
それは、嫌だった。
そんな奴だと思われたくないのもあるし、嫉妬しているのも知られたくない。
ここに来て、なんて自分勝手なんだろうとまた自己嫌悪だ。
せめて訓練で遥と二人になった時に、と気を取り直したのだが。
「今日は僕も訓練の様子を見に行くよ」
律がニコニコと笑って立ち上がった。
二人きりになって謝る計画は早くも頓挫しそうだ。
なんで今日に限って、と司は半端な笑みを漏らした。
「最近、全国どころか全世界で『蒼の夜』の発生が増えているんだ」
訓練所に到着して律が話を切り出した。
「戦える人は多い方がいいし、戦える手段も多い方がいい」
それはそうだと司はうなずく。
「氷室くんは随分武器の扱いもうまくなってきたし体裁きもよくなってきたって聞くし、そろそろ次の段階に進んでもいいと思うんだ」
遥が自分を高評価してくれているらしい。嬉しいが、律の言う次の段階というのはどういうことだろうか。
「魔力を使った攻撃や防御なんかを会得してほしい」
人の体に元々備わっている魔力には個人差があるが、司は扱える魔力が多い方ではないかと律は見積もっているようだ。
魔力の使い方には大きく分けて三つあり、律のようなバフやデバフを撃ちだしたり回復をするサポートタイプ、自らの攻撃に魔力を付与するタイプ。自らの体に魔力を付与するタイプ、となっている。
「タイプといっても結局どれも根源は同じで、力を与えたい箇所に与えたい形で発揮させるということなんだけどね」
「わたしは自分の素早さや力を底上げする方向で使っているわ」
「氷室くんは、どれがいいかな」
問われて、司は考える。
遥と同じく身体能力をあげるものがいいかもしれない。
だが、これからも三人でパーティを組むのなら、二人にはない武器に力を宿す方向で行けばいいのではないかと思い至った。
三人がそれぞれ違うことができれば戦いの幅もぐんと広がるだろう。
「武器に魔力を込める方向でやってみます」
司の答えに律はうんうんとうなずいている。
「氷室くんにあっていると思うよ。それじゃ、早速始めようか」
遥は体術などを教えるのには向いているが、魔力の扱いは律の方が上ということで、しばらくは律が指南役となるそうだ。
「やることは単純だよ。自分の中の魔力を意識して、それを武器に集める感じ」
あまりにも単純な説明に拍子抜けだ。
「それだけですか? なんか、特別な呼吸法とか、そういうのはいらない感じですか?」
「もちろん、呼吸が整っている方が魔力は制御しやすいと思うよ。けれど前衛の人は戦っている時に落ち着いて呼吸できないこともあるだろう? そういう時にでも武器に魔力を込められるようにしておいた方がいいよね」
なるほど、と司は納得した。
「なんとかの呼吸とか、ちょっとあこがれたりした?」
律がいたずらっぽい笑顔を浮かべる。
「水の、とか、確かにかっこいいですよね」
司があわせて笑うと遥も乗ってきた。
「でも氷室くんは名前の通り、氷もいいかもしれませんね」
「いっそ火と氷をあわせて、なんて」
三人で一通り盛り上がり、笑った。
「さて、気分もほぐれたところで、やってみようか」
律がにこにこ顔のまま、姿勢を正した。
「武器を構えて、そこに力を注ぐ感じで、ね」
言われた通り、司は刀を抜き、そこへ自分の力を集中させるイメージをした。
刀がほのかに光を放つ。
だがまだまだだと自分でも判った。
やがて集中力が切れてきて、司は大きく息をつきながら刀をいったん下した。
「うん、初めてにしてはいい感じだよ」
それでも律は褒めてくれる。
遥も真剣に見守ってくれている。司と目が合うと「その調子」とでも言うように微笑を浮かべた。
――よし、頑張ろう。
司は訓練に集中した。
いつの間にか、遥や律に対する戸惑いやわだかまり、嫉妬などの黒い感情は消えていた。
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