15.おやつ

 はるかは幼いころから剣術を習っていたことで、武器を手にした時の自分にだけは少々自信が持てる。

 が、それ以外では人と他愛ない会話をかわすことすら怖気てしまうほどの性格だ。


 戦闘時に眼鏡をはずし、髪をおろすのはせめて、気弱な自分がこの時だけでも強くいられることの証だった。


 最近では、眼鏡をはずしていられる時間が増えた。

 りつと知り合い、親密になってからだ。

 あとは、つかさと戦闘訓練をしている時も、あまり気負わずにいられる。

 そういう意味では司はとても素晴らしい後輩だった。


 そんなことを思いながら、休日の午後は菓子作りを楽しんでいた。


 焼きあがったクッキーは温かく美味そうな香りを広げている。

 一つつまんでみる。

 よし、なかなかいい出来だ。

 これならきっと大丈夫。


 遥は自然と笑みを浮かべて律と司に渡すクッキーをラッピングした。


 夕方、トラストスタッフに赴くと律は疲れた顔をしていた。


「あまり休めてないみたいだけど大丈夫?」

「うん、遥さんが来てくれて元気が出た」


 疲れた勤め人から天使の笑顔がこぼれた。

 律が自分を見て笑顔になってくれるなら嬉しいが、彼の最近の働きぶりは過労で倒れるのを案じるほどだ。


「忙しいのは判るけれど、食事と睡眠はきちんととって」


 せめて甘いものをと遥はクッキーを机の上に置いた。


「ありがとう。……最近、蒼の夜の発生が多いって話はしたよね」


 ラッピングを丁寧に解きながら律は真剣な顔で言う。


「今までは蒼の夜の発生原因を調べて、蒼の夜が起こらないようにすればいいって方針だったけれど、少し変わりそうなんだ」


 律はそこで言葉を切って包みからクッキーを一つ取り出して口に放り込んだ。

 先ほどの深刻な顔は吹き飛び、目じりを下げた彼の口からは「ふわぁ」と柔らかい声が漏れた。


 スイーツを楽しむ十代の女子のような反応に遥は思わず笑ってしまう。


「すごく美味しいね。ありがとう」


 一気に食べるのはもったいないと、数個をてのひらに包み込んで、律は丁寧に包みの口を閉めた。


 木の実を取っておくリスのようだと遥はふふふっと声を漏らした。


「蒼の夜の発生元の世界に行けないか、って話になっているんだよ」


 ぽりっと軽快な音を立ててクッキーをかむと、律は遥を見た。


「発生元の、世界に?」


 なんだか嫌な予感がした。


「うん。蒼の夜の発生を抑えようって目的は同じなんだけど、こっちの世界でどうにかするんじゃなくて、発生元の異世界に行ってその方法を探れないかってことらしい」


 もうすでに蒼の夜の空間同士をつなげることには成功している。その技術を応用して訓練所から現場に急行したりと実用もしている。

 ならば異世界の発生元に飛ぶことも可能ではないかというのだ。


「できそうなの?」

「多分ね。向こうに行くのは問題ないと思われてる。けれど、帰ってこれる保証はない」


 律の答えにますます嫌な予感が強くなる。


「まさか律が、……異世界に行ったりするの?」

「人選は全然決まっていないよ」


 全然安心できない答えだ。


「律……、もしもあなたが」


 遥の言葉はノックに遮られた。


「氷室くんじゃないかな。――どうぞ」


 律の反応は前半は遥に、後半はドアへと向けられた。

 予想通り、司が入ってきた。


「師匠、今日もよろしくお願いします」


 いつもの司だ。

 遥はほっとした。

 先日の訓練の時の彼は何か悩みでもあるのか、無理やり元気を出しているような気がして心配だったのだ。


「では、まいりましょう」


 訓練所に到着して、あ、そうだった、と遥はクッキーの包みを司に差し出した。


「いつも頑張っているから、これ。よかったら食べてみて」


 司は驚いた顔をした後に笑みをこぼした。


「ありがとうございます」

「さっき律も食べたけれど、まずくはないみたいよ」


 味は大丈夫だと保証するために付け加えた一言で、司の顔があからさまにこわばった。


「メインが雨宮さんで、あまったから俺にも、ですか」


 思いもよらない反応に、え、と遥は小さい声を漏らした。


 彼女の態度を見てか、自分の言葉に気まずさを感じたのか、司はしまったなという顔をした。

 本音が漏れてしまった、といったところか。


「あなたにあまりものとか、そんなつもりはなかったのだけれど、傷つけたなら、ごめんなさい」


 遥は頭を下げた。


「あ、いえ、その……」


 司は口ごもってしまっている。


 こういう時、どうするのが一番いいのか、遥には判らなかった。


「訓練、始めましょう」


 話題を替えることで気持ちを切り替えるしかないと、遥は「師匠」の顔で司に向き直った。


 少しホッとした顔で司もうなずいて、遥に対した。


 彼の本音は、まさか。


 司の振るう木刀をかわし、いなしながら、遥は司の好意に思い至る。


 ――まさか、わたしに? どうして?


 それなりに長く一緒にいる律はともかく、まだ会ってひと月も経っていない司に好かれる理由など一つも思い浮かばない。


 遥の木刀の切っ先は、いつもより揺らいでいた。

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