8.金木犀
「蒼の夜が発生した。今から三人で向かうよ」
いつもの人を癒す笑顔を引っ込めた律の真剣な声に、遥も
「でも、行くってどうやって?」
「ここは蒼の夜の疑似空間だ。蒼の夜そのものにつなぐことができるんだよ」
司の質問に答えながら律はタブレットを操作している。
「行くよ」
律の声と共に、ふわりと体が浮き上がる感覚に包まれた。
それだけではない。押しつぶされたり引き延ばされたりとせわしない。
どうにかなってしまうのではないかと司が考えた次の瞬間、空気が変わった。
いや、景色そのものが変わった。
ビル群の隅に自分達は立っている。
そこここで数名の男女が倒れている。だがここに魔物はいない。
「今回は少し広めだね。とにかく魔物を探そう」
律はすぐに向かうべき方角へ体を向ける。
司もそちらからとてつもなく嫌な気配が漂ってきているのを感じ取っていた。
三十秒も走らないうちに魔物の姿が見えてきた。と同時に、何か覚えのある香りがかぎ取れる。
「金木犀?」
思わずぽつりと漏らす。
「植物系だからかな」
律が応えた。
言われるまでもなく、魔物が樹木の形状であることは司も見て取っている。
さほど太くはない幹に不釣り合いの太い枝を振り回しながら、根をうねうねとのたうち司達と反対の方へ進んでいる。広範囲の建物や道路にひびを入れているが幸いなことに近くに人が倒れていなさそうだ。
だがこのまま魔物が進み続けるといずれ被害者が出るだろう。司達は一層走る脚に力を込めた。
金木犀のふわりとした香りが、魔物に近づくにつれどぎつくなっていく。
香水もふりかけすぎるとただの悪臭だよなと司は顔をしかめた。
まだ数メートル離れていてこれだ。近接戦闘がまともにできるのか疑問だ。
「強烈ですね」
遥もとても嫌そうに顔をゆがめている。
「二人とも止まって」
律がクロスボウを掲げて足を止めたので司も倣う。隣に遥が並んだ。
「この香り、もう臭いレベルだけど、多分デバフだね。このまま近づくとまずいことになりそうだ」
感覚を麻痺させる、あるいは動きを鈍らせるのようなこちらにとって不利な状況を作り出す事象をゲームの用語で「デバフ」という。状態異常系攻撃と言うより短いので「暁」でもデバフと言っているそうだ。
ちなみにこちらに有利な状況になるものを「バフ」という。
その辺りは司もゲーマーなので知っていたが黙って聞いておく。
「僕がサポートメインというのはこういう状況を打開するためなんだ」
言いながら律はクロスボウを構える。
いつもの柔和な顔はどこへいったのか。睨みつけるように狙いを定める顔は「戦う人」のそれだ。
一射。
矢は思っていたよりも速く飛び、樹木系モンスターのちょうど胴体にあたる部分に突き刺さる。
ゴワァァっと樹木からうなりのような音が聞こえた。
鼻どころか喉まで焼くような強烈なにおいが薄れていく。
律は遥と司にうなずいてみせた。
師匠と顔を見合わせ、行きますよ、とアイコンタクトをかわすや否や、二人は再び魔物へと走る。
後ろから温かい気配が近づいてきて、ふわりと包まれると体が軽くなった。
これは律の「バフ」だろう。
しなる枝をやすやすとかわし、抜刀し目の前の魔物に斬りかかった。
幹を斬ったがさほどのダメージにはなっていない。
司の技量ではまだこの手の魔物の心臓部に達する攻撃はできないのだろう。
ならば、と司は一旦退く。
一歩引いたところから敵全体を見る。
魔物は枝を振り回して邪魔者を寄せ付けないと同時に攻撃を加えてきている。
あの枝さえ動きを鈍らせれば遥ならばやすやすと懐に飛び込み致命的なダメージを与えられるだろう。
再び魔物に斬りかかる。だが今度は遥の攻撃のチャンスを作るための攻撃だ。うなる枝をよけながら斬りはらっていく。
ちらりと遥を見ると、自身に伸びてくる枝を大太刀で叩きながら飛び込む隙を伺っているようだ。
ならば俺は相手の気を引こう。
司は挑発するように魔物の近くを駆けながら枝の数本を無力化し、大技を使うと見せかける構えを取った。
すかさず二本の枝が司を打ち据える。
痛い。かなり痛い!
それでも魔物を睨みつけ、構えたままだ。
魔物の注意が完全に自分に向いたと感じた、その時。
遥が大太刀を振るった。
本来たたきつける系の武器である大太刀だが、彼女が振ると敵は綺麗に斬れる。
幹を真っ二つにされた樹木の魔物はぶるりと大きく震え、断末魔のようなうなりを残して消えていく。
「勝った……」
司は、はぁっと息と言葉を吐いた。
「いい動きだったね。本格的に戦うのが初めてだとは思えないほどだよ」
律がふわりと笑う。思わずつられて笑顔が漏れるほどの満面の笑みだ。
「あそこでよくじっと耐えられましたね。わたしが力一杯攻撃を仕掛けられたのはあなたのおかげです」
遥も司をねぎらってくれた。
「引くことも大事だと師匠が教えてくれたからです」
照れ笑いを浮かべる司に、律も遥も笑顔でうなずいた。
これでようやく彼らと同じ舞台の端っこに立てたのだと司は思った。
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