第13話 痩身の賢者

 ひしめくように連立する石造りの建造物を見上げ、ジェレミーは思わず感嘆の声を上げた。

 学都ルシンバラ。

 王領北端にあるこの街はそう呼ばれていると、道すがら、この街の郊外で出会い、成り行きで同行することになった、セオ・カーライルから聞かされた。


 ―――学都。

 それが何を意味するのか、ジェレミーにはいまいち理解できなかったが、そんなことよりも、建物の大きさと密度に、ただただ圧倒された。

 密集する建物の間を縫うように路が縦横に伸び、そこを行き交う人々の多さも、ジェレミーを驚かせた。バスロウの狩猟小屋から近い集落の、収穫を祝う秋の祭りの時でも、ここまでの群衆は集まらなかった。


 「ジェレミーは、こういう街に来たのは初めてなんですか?」


 薄く笑みを浮かべて、アーリアが尋ねてくる。建物を見上げながら、ジェレミーは曖昧に頷いた。


 露店の売り子に声をかけていたセオが、走って戻ってくる。父の旧知というグレン・ワイズを訪ねてこのルシンバラに来たものの、街は思った以上に大きく、どこにそのグレンがいるのか、見当もつかなかった。セオが街の人間からそれを聞き出そうと露店の売り子に声をかけてくれていたが、とはいえこの人の多さだ。そう誰もが、一人の男の居所を判っているとも思えなかった。


 「あそにある、王立書庫にいるらしいよ」


 戻ってきたセオが、街の北の丘の上に立つ建物を指差した。ジェレミーの危惧とは裏腹に、グレンの所在はすぐに判ってしまった。


 「そんなに有名人なのか?グレンって奴は」


 思わずそんな言葉が、ジェレミーの口から漏れた。


 「何言ってんの。二十年前のカサンドロス・ベルジュラク合従軍侵攻の時の英雄の一人じゃないか。まさか知らないで訪ねてきたの?」


 セオが目を丸くする。


 「そんなに偉い方だったんですね」


 アーリアも感心するようにそう言って、自分だけじゃないと、ジェレミーは少し救われた気持ちになる。一方でセオは、呆れた風に溜息をつくと、踵を返して街の北へと足を向けた。ジェレミーとアーリアも、それに続く。


 北に進むにつれて人通りは徐々に減り、街の北の勾配に差し掛かると、すれ違う人もいなくなった。少し汗ばんできたところで、目的の建物の前についた。乾燥してうっすらと粉を吹く壁面が、その古めかしさを感じさせた。


 正面の大扉の横に、守衛が詰める為なのか、小さな物見小屋が建てられていた。カウンターのような作りになった窓際に、小さな人影が見える。三人は、その小屋に歩み寄った。


 「私は、ロチェスター家当主カールの娘、アーリアです。サー・ルベン・ペレスの紹介で、サー・グレン・ワイズを訪ねてきました」


 アーリアがその、小さな人影に向けて名乗る。それを聞いたセオが、驚いた表情を見せた。恐らくは、ここにきて初めて明かしたアーリアの素性が、彼の思っていたよりも高貴なものだったと知って、驚いたのだろう。


 小屋の中の人影は、気怠そうにゆっくりと、カウンターまで歩み寄ってくる。そこでようやく、その人影が少女だと判った。


 その少女の、腰の少し上まで伸びた薄ら赤い髪は、それまでジェレミーが見たことのない物珍しい色合いだったが、それよりも、左右で異なる瞳の色の方が目を惹いた。

 左目は、バスロウの村でもよく見た濃い藍色だが、右目は、鮮血のような朱色だった。

 その瞳の違和感からなのか、何処か不思議な気配を、その少女からは感じた。


 「グレン様は今、留守です」


 少女は不機嫌に、短くそう答える。


 「では、待たせてもらっていいですか?」


 アーリアが笑みながら尋ねると、少女はこれ見よがしに大きな溜息をついた。


 「いつ戻るか判りませんよ」


 「かまいません。待ちますから」


 あからさまに不機嫌な態度を見せる少女に、アーリアは更に笑みを深くして答えた。


 「ニナ、客人にそんな態度を取ってはいけません。何度言えばわかるんですか」


 その時、背後から声がした。振り返ると、背の高い、痩身で色白の男が立っていた。齢は父と同程度に思えたが、父のような無骨さはなく、高貴さを感じさせる男だった。


 「この書庫に何か御用でしょうか」


 男がアーリアに問う。


 「サー・ルベン・ペレスの紹介で、サー・グレン・ワイズを訪ねてきました」


 言って、アーリアはジェレミーに目配せする。ジェレミーはそのアーリアの仕草で、思い出したように肩掛け鞄の中から、父から受け取った羊皮紙の筒を男に手渡した。


 「ルベンの・・・」


 男はそれを受け取ると、蝋を解かずに眺めたまま少し顔をしかめ、小さくルベンの名を口にした。でもすぐに、その訝しみを飲み込むように、再び表情を和らげた。


 「グレン・ワイズは私です。ルベンからの紹介ということは、あなたはアーリア・ロチェスターですね。そして・・・」


 グレンはアーリアの素性を言い当てると、今度はジェレミーを見た。


 「あなたがジェレミーですね」


 そう言って、何かを懐かしむように、目を細める。何故こちらの素性を知っているのかと、ジェレミーは警戒して半歩身を引く。


 「そう身構えないで下さい。私はまだ貴方が赤子の頃に、ほんの少しだけ、一緒に暮らしたことがあるんです」


 「俺と?」


 「あなたの父、ルベンは私の古くからの友人なんです。二十年ほど前、あなたが生まれて間もない頃、私もあなたが育った、モンフォールの北のあの山奥で暮らしていました。だから、私は貴方を知っているんです」


 「でも」と、アーリアが会話に割り込んでくる。「それはまだジェレミーが赤子の頃の話ですよね? 例えその頃の面影が少し残っていたとしても、一目でジェレミーだとわかるものなのでしょうか。 それに貴方はサー・ルベンの紹介と言うだけで、その羊皮紙も開かず、初対面のはずの私の素性も言い当てた。一体どうやって・・・」


 アーリアも、この男を少し警戒するように見る。そんな眼差しを受けても、グレンは穏やかな笑みを崩さなかった。


 「貴方とジェレミーが連れ立って私の元を訪れる事は、あなた達が生まれたときから、二十年前から決まっていたことなんです」


 そう言われたアーリアは、さらに怪訝さを深く表情に浮かべる。

 ジェレミーにも、この男が何を意図してこんな事を言っているのか、見当がつかない。が、その時、父ルベンがバスロウを発つ時に言い放った言葉が、耳の奥の方で甦る。


 ―――お前を鍛えたのは、彼女を守る為だ。


 父も、このグレンという男も、本当に二十年前からこれを予期していた、のか。

 どうやって?

 どう思考を巡らせても、何も見えてこない。


 押し黙る二人を交互に見てから、グレンはすっと腕を古めかしい書庫に向けた。


 「事情を説明すると長くなります。続きは中で話しましょう」


 言って踵を返すと、グレンは書庫の扉を開けて中へ入っていく。その後ろを、ニナと呼ばれた少女が続く。しばらく呆然と書庫に消えていく二人を眺めていたジェレミーとアーリアも、セオに背を突かれて、ようやくグレン達を追いかけて、書庫へと足を踏み入れた。


 「すごい・・・」


 書庫に足を踏み入れた刹那、アーリアは感嘆の声をあげた。

 ジェレミーも思わず行きを飲む。

 そこには高く吹き抜けた天井に届くほどの、見上げるようないくつも本棚が林立し、その全てに、びっしりと書籍が敷き詰められていた。

 ここだけ肩にのし掛かる重力が違うような、妙に重たい空気を感じる。それ程に豪壮で威圧的な本の群れだった。


 「こちらです」


 少し先を歩いていたグレンが、ジェレミー達を書庫の奥へ促す。

 三人は本棚を見上げながら、そろりと歩を進め始めた。


 グレンとニナに続いてその棚の林の中を暫く進むと、急に目の前が開けた。その中央には、古びた大きい円卓が据えられていた。


 「まずは、そこへかけてください」


 グレンは円卓を囲う椅子をジェレミー達三人に進め、自らもそのうちのひとつに腰かけた。ニナは少しふて腐れた風に、グレンの隣の椅子に乱暴に座る。三人も、おずおずと椅子に腰を下ろした。


 「さて」グレンは切り出すと、少し憐情を感じさせる表情を浮かべる。「ロチェスター領都ストックハム陥落の話は聞いています。大変だったでしょう、アーリア」


 横に座るアーリアが、奥歯を力ませるのを気配で感じる。

 ジェレミーに向けていた、あの柔らかい笑みの気配が、消えていく。

 それまで必死に耐えていた、彼女の中にあるなにかが、溢れようとしている。それを証明するように、アーリアの目がうっすらと赤みを帯びる。が、まなざしは強く、グレンをまっすぐに捉えていた。


 「サー・グレン、お願いです。私の故郷を、父と兄を救うために、力を貸してください」


 思いのほか落ち着いた、それでいて重く、低い声で、アーリアはグレンに、静かに懇願した。が、グレンは首を横に振った。


 「それは私にはできません。私にはもっと優先するべき事があるからです」

 「ヴァンボローの反乱を」グレンの言葉の語尾を掻き消すように、アーリアが言葉を被せる。「このまま見過ごしていていいのでしょうか」


 アーリアの発する声色は、表向きには焦燥を感じさせない、落ち着いた声色だった。ただ、それまでのアーリアの温厚な振るまいとは相容れない、強くて鋭い意思を感じた。


 「事態はあなたが思うよりも、もっと複雑で、混沌としているのです。私には、優先するべき事がある。そしてそれはアーリア、あなたも同じなのです」


 「父達より、我が領民より、優先するべきものなど、私にはありません!」


 初めて、アーリアの語気から感情が漏れた。

 いつのまにか彼女の頬を、溢れ出た涙が濡らしていた。

 それでもグレンはたじろがず、アーリアを宥めるように、笑みを深くする。


 「彼の地には、私の教え子が向かいました。教え子ではありますが、才のある男です。状況をとらえる洞察力、そこから展望を推し測る勘の良さ、それらを繋ぎ、最善の計略を練る発想力。その全てが、今では私を上回る者です。彼ならきっと、ロチェスターを救ってくれるでしょう。なのであなたは、これからあなたの成すべき事に集中してください」

 

 アーリアは「でも・・・」とだけ小さく返したが、その後の言葉を継げず、俯いて、胸に下げたネックレスの先端を強く握りしめたまま、押し黙ってしまった。


 「その優先するべき事ってのは、何なんだ」


 ジェレミーがそう、切り出した。

 自分が話を先に進めるべきだと、思った。

 先に進める以外、恐らくアーリアに救いはないんだろう、と感じた。

 ただ、アーリアには今、それはできない。

 当たり前だ。

 自領の陥落、安否不明の父と兄、そして、それらの挽回を、見知らぬ者の手に委ねなければならない現実。その現実の前に、踏み留まって、更に乗り越えることなど、普通、人にはできない。


 ―――ひとりだけ、であるのなら。


 アーリアは、違う。

 ジェレミーはグレンを見据えた。

 グレンが、頷く。


 「まずあなた達は、私と一緒に古都ジュールに向かいます」


 「ジュールって、今はカサンドロス領じゃ・・・」


 セオが割って入る。


 「そうですね。過酷な道のりになるでしょう」


 まるで過酷さを感じさせない軽さで、グレンが返す。

 何かを見透かしたようなその軽さが、少し、苛立たしい。


 「何故そこへ行く?そこに何があるんだ」


 そう問うジェレミーを、グレンはじっと見据えた。

 表情は笑んだままだったが、瞳の奥に、重く、でも鋭い色があった。

 

 「そこには、我々人間の知り得ない世界への入り口があり、そこで私達は、アーリアの中の、とある“力”を封印します」


 アーリアが視線を上げ、「・・・ちから?」と弱々しく呟く。


 「アーリア。しっかり気を持って聞いてください」


 グレンはそこで一度言葉を切って、まなざしをアーリアに向け直すと、小さく咳払いをしてから、言った。


 「あなたは、ロチェスター領主カールの娘ではないのです」


 グレンの発したその言葉は、書庫の高い天井にぶつかり、残酷で乾いた響きとなって、ジェレミーとアーリアの頭上から、降り注いできた。

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