第11話 湖畔の剣客
ロチェスター領のほぼ中央にあるティエール湖に街道がぶつかり、湖を避けるようにその方角を南西に傾ける地点で、青の騎士ハミト・シュキルは自身の指揮するヴァンボロー軍一万の進行を止めた。
後方から追いついてきた輜重隊から、北に確保した補給基地が王国軍に襲撃されたとの報告を受けたからだった。
これ程早く、王国軍の干渉を受ける想定ではなかった。恐らくは、北東部リーズに王国軍を引きつけるという、背信者イアン・ロチェスターの陽動が失敗に終わったのだろう。
そもそもイアンに多くを期待してはいなかった。が、少なくともベルジュラク軍との合流までは、時間を稼いで欲しかった。ベルジュラク軍と合流できさえすれば、アプナー・ショアの港を抑えるのにそれほど時を要さず、ベルジュラクからの補給線を確保できたはずだったからだ。
今、北のストックハムからの補給線を切られれば、兵糧の確保が困難となり、兵の士気を失いかねない。
「援軍を出す。敵軍の規模は?」
傍にいた、副官のニール・ミルナーに問いかける。
「約二千との報告です」ニールが答え、更に続ける。「王都からリーズへ向けて派兵されたのは、一万の規模と聞いています。恐らく補給基地を襲ったのはそれとは別の、リーズに元々駐留していた二千でしょう。王都からの一万は、どこかで我々の行軍の情報を得て進行方向を変え、この先に回り込んでいるものと思われます」
いつものように淡々とした口調で、ニールが報告してくる。戦況がどうあれ、ニールのその口調は変わらない。
ニールの出自であるミルナー家は、古くからヴァンボロー家に仕える一族で、その家督を継いだニール自身も、王国東部アウレリオ出身のハミトより古参の、ヴァンボロー家直参の騎士であった。
そもそも齢三十五を数えるハミトの六つ歳上という事もあり、歳下で新参のハミトの麾下に置かれる事が、ニールの望むところだとは思えなかった。それでも彼は、その境遇を嘆く素振りすら見せず、ハミトの片腕として、青の騎士であるハミトを支えてくれていた。
ただ、寡黙な彼の本当の本心までは、正直なところハミトには推し量りきれていなかった。
「斥候より報告!」
兵の一人が駆け寄り、ハミト達の前で跪くと、声を張り上げた。
「王国軍約一万が、ティエール湖の南側に現れ、陣を敷いております」
言われて、南の方角に視線を向ける。
湖の向こう側の林の、更に南の方で、薄っすらと砂塵が上っていた。
「あれが敵本体か」
「恐らく」
ハミトが呟くように言って眉根を寄せると、ニールがそれに答えた。
「それと、ベルジュラクとの合流地点に走らせた斥候が戻りません。彼らとの密約が相手方に悟られた可能性もあります」
ハミトは、思わず低く唸り声を上げる。
そこまで手を回されると、さすがに軌道修正が難しい。アウレリオ領でぐずぐずとカサンドロスとの小競り合いを続ける今の王国軍からは、想像できない手際の良さだった。
―――この周到さ、既にグレン・ワイズが動いているという事か。
二十年前に起こった、東国カサンドロスとベルジュラクとの合従軍によるアウレリオ領侵攻。アングリア王国各領主も参集したその戦いにおいて、実質同盟軍を退けたとされるのは、モンフォールの雄、当時の赤の騎士ヨハン・グジョンセンと、その参謀グレン・ワイズだった。更に、世間で多く語られるのは赤の騎士ヨハンの武勇だったが、実際には、グレンの差配が大きく戦局に関与したと聞く。
そのグレンも、もう現役は退いたと聞いていた。だから、今回のヴァンボローの謀反鎮圧に乗り出すとしても、もう少し先だと、ハミトは踏んでいた。
―――いずれにしろ、この局面を打開しない限りは、全てが失敗に終る、か。
敵軍の指揮を執るのが誰にせよ、アプナー・ショア占領を成さなければ、領主フレドリック・ヴァンボローの計画は頓挫してしまう。それを避ける為にはまず、この敵軍を殲滅するか、敵陣を抜いて兵を進める必要があった。
「北の拠点救援の必要性を鑑みて、騎馬三千はここで待機。敵本体は、これだけ早急に一万の規模を揃えた事を踏まえると、恐らく寄せ集めがかなりを占めた先遣隊だ。騎馬一千でつついて、その寄せ集めの規模を測れ。半数以上を占めるなら、待機の騎馬三千も湖南の本体に当てる」
「御意」
ニールは自軍を振り返ると、すぐさま指示を出す。まずは三千の兵が隊列を離れ、続いて騎馬一千が湖沿いの街道を南西へと向かった。
ハミトはそれを見届けてから、街道の本筋から南東へと分岐し、湖の東側に回り込む小道に視線を向けた。
騎馬二騎がやっと並んで走れる程度の幅のその小道は、湖の東にそそり立つ岩壁と湖との間を縫うように南へと伸びていた。
「その道はどこへ続いている?」
ハミトがニールに問う。ニールは即座に、丸められていた地図を広げた。
「ティエール湖の中ほどまで南下した後、断崖の切れ目から東へと折れて、ヴィクターズ・ワーフへ続く別の街道に合流します。そこから湖の南側までは平原となっているので、そこを突っ切れば敵本体の側面を突く事も、そのまま南下してアプナー・ショアへ向かう事も可能です。ただ・・・」
そこで一度言葉を切ると、ニールは地図から視線を上げて、ハミトを見た。
「伏兵を忍ばせている可能性は高いでしょう。敢えて敵が、その小道の抜ける湖の東に兵を残さず、全軍湖南に配置しているのは、誘っているのかと」
それを聞いて、ハミトはほくそ笑んだ。
「ならば、その誘いに乗ろう」
崖と湖岸とに挟まれた幅の狭いその道で交戦となれば、例え待ち伏せられていたとしても、多数に囲まれる事はない。実際に交戦するのは、先頭の一騎か二騎だろう。そうなれば、ハミトの望む戦況となる。単騎での結び合いとなれば、ハミトには負ける気がしなかった。
王家直参の金の騎士が王の膝元、ヴィクターズ・ワーフを離れることは考え難く、同じく王都で政争に勤しむ前ロチェスター当主、ロード・エドモンドに就いて離れない白の騎士も然り、だ。先代の武勲に怯み縮こまる現赤の騎士は論外で、ハミトを踏み留まらせる、或いは討つ事のできるのは、あの男、だけだ。
あの、男。
それを想い、無意識にもハミト口端は吊り上がる。
「ニール、本隊を進軍させて、先行した一千を遠巻きに援護しろ。そのまま鼻先まで軍を寄せて膠着させておくんだ。その間に俺が騎馬五百で側面から敵陣を掻き乱す。アルダ!」
ニールに指示を出すと、ハミトは自軍に向けてそう叫ぶ。兵の群れの中から、ハミトと同じく、褐色の肌をした大柄の男が騎馬に乗ったまま前に出た。
アルダ・コルクマズはハミトと同じく、東部出身の男だった。ハミトが自身の出生地であるアウレリオを出る時、連れ立った兵の一人だ。寡黙で、兵を率いる事は苦手だが、その体格に相応した膂力で振るう大剣は、相手を甲冑ごと引き裂く程の威力があった。
「お前の隊が俺に付き合え」
「御意」
濃い髭をもごもごと動かし、ぼそりとアルダが答えると、他の兵達とは少し毛色の違う騎馬の一団が歩み出て、アルダに並ぶ。全員がハミトやアルダ同様に褐色の肌で、顔の半分を黒い髭で覆っていた。ハミトがレイトンから連れてきた、同郷のハミト直下の騎士団だった。
「行くぞ」
ハミトが先頭に立ち、小道に駆け入る。それを追って、アルダの一団が続いた。
小道は湖岸に沿って南東に膨らむと、今度は南へと向きを変える。更に進んで南東へと湾曲し始めたところで、行く手にぽつりと、燻んだ外套を羽織った人影が視界に入った。
周りに他の人影は無い。
伏兵とは考えにくいが、外套の縁から抜き身の切っ先がはみ出している。明らかに友好的な佇まいではない。
「サー・ハミト」
すぐ背後を駆けていたアルダが背負った大剣を抜きつつ、ハリルに並ぶ。暗に自分にやらせろと言う意図だろうが、ハミトはそれを、左手を上げて制す。
「俺がやる」
言うと同時にハミトは剣を抜き、手綱を打って馬を加速させた。
人影に接近していく。
その人影は、外套の襟に着いたフードで顔を覆い、形相まで把握できない。
接触する直前、ハミトはその人影の左へ手綱を切り、すれ違いざまに剣を薙いだ。
何かを切り裂く手応えを感じる。
が、軽い。切り裂かれた外套だけが、宙を舞う。
次の瞬間、がくりと馬が前傾に崩れる。咄嗟に馬の背から飛び降りる。
着地と同時に素早く振り返って身構える。視線の先には、長身の男の背があった。
ちらりと傍に崩れ落ちた馬を見やる。
前脚が二脚とも斬り落とされている。
アルダと、もう一騎の後続が、咆哮を上げながら男に突っ込んでいく。
アルダが大剣を振りかぶり、馬上から男に向けて振り下ろす。
男は屈んでそれを交わす。
すかさず、そこに向けてアルダの後続が足元を薙ぎ払うように剣を振る。
男は、上下に阻まる二つの剣撃の隙間を縫うように、飛ぶ。
空中をすり抜けつつ、アルダの馬の腹を薙ぎ、返す剣で後続の騎士の首筋を薙いだ。
アルダの馬の背が折れ、それに跨がったままのアルダの足が地に着く。
アルダに次いだ兵の首が落ち、地に転がる。
アルダは再び咆哮を上げて振り返ると、大剣を掲げつつ男に向かって走った。
男もアルダを振り返る。
その時初めてアルダの肩越しに、ハミトは男の顔を見た。
見知った顔だった。
「待て!」
叫んだが、アルダは止まらなかった。
アルダが大剣を振り下ろす。
男はそれを半身を僅かに傾けるだけで紙一重で躱す。
剣筋を、完全に見切っている証拠だ。
そして素早く踏み込んで、アルダの喉元を剣先で貫いた。
「かっ」
乾いた声とどす黒い血が、アルダの口から吐き出される。
切っ先のめり込んだ首からも、同様に地が流れだし、男の握る剣身を伝う。
アルダの肩が、小刻みに震える。
男がアルダの首から剣を引き抜くと、そのまま、アルダは前傾に崩れ落ちた。
「待つんだ!」
更に続いて男に襲いかかろうとする兵達を、ハミトは声を上げて制した。そして、男を見据えながら、今度は落ち着いた口調で兵達に向けて続ける。
「お前達が束になって掛かっても、そいつは倒せん」
ハミト達と同じ東部出身者独特の、褐色の肌と、緩く巻きぐせのついた黒髪。昔よく馴染んだ、自身によく似た顔立ち。
ハリル・チャハノール。
母方の姓を名乗るハミトとは違い、父方の性を名乗る、ハミトの弟だった。
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