第07話 紛擾の行軍

 行軍の前方に配された官軍と、それに引きずられるように追随する義勇兵達との間にある士気の差は、歴然だった。


 ある意味でそれは好機だと、クレイグ・サリバンは捉えていた。


 ヴァンボローの侵攻を押し留めるために、急遽編成されたこの一万の軍勢の約半数は、クレイグたち同様、貧民街に屯す兇賊か、貧困に喘ぐ王都周辺の寒村の農民か、だった。

 つまり戦うことより、生き残って報酬を得ることに重きを置く者達が、殆どを占めることになる。その証拠に約百人が、武具を支給された途端、それを持ったまま、姿を消した。


 戦功を第一義として参戦した、ダレン・ウォレスを旗頭とするクレイグら早暁の団にとってそれは、競合する同業が乏しいと言うことを意味していた。

 そこに、ダレンの名を売る好機がある、と。


 とはいえ、懸念もある。


 士気の低い兵が大多数を占めるこの軍勢が果して、ストックハムを一夜にして陥落したヴァンボロー軍を、まともに相手にできるのか。

 この軍勢自体が敗退することになれば、仮に生き延びたとしても、得られる功は限定されてしまうだろう。


 ―――それでも。


 クレイグは、団の仲間と談笑しながら前を歩く、ダレンの背を見据える。


 この男の勘に、今までクレイグたちは救われてきた。一見無謀に思えた決断ですら、失敗したことはない。それはこの男の、最も優れた才であることは間違いない。そこに一抹の勝算を感じなくもない。


 が、論理的な根拠の立たないこの男の勘に、才に、いつまでも、こうも無防備で依存していていいのかと言う懸念は、拭えなかった。


 「また良からぬ逡巡か?クレイグ」


 話しかけられ、振り向いた。

 ローリー・ダルグリッシュが、後ろから追いつき、クレイグの横に並ぶところだった。

 「眉間の皺が戻らなくなるぞ」

 少しおどけるように言って、ローリーは自身の眉間を指先で寄せて見せた。


 「見逃せ。そう言う性分なんだ」

 苦笑を返すと、ローリーも同じような表情を見せる。


 「どうせ、ダレンの勘ってやつに頼りすぎだとか、いつまでもそれじゃ危ういとか、そんなことを考えてたんだろう?」


 クレイグは何も言わず、笑みの苦みを更に深くして、返答に変えた。


 相変わらず察しのいいやつだ、と思う。

 十代前半から付き合いのある、団の他の連中と比べて新参者ではあるものの、その察しの良さや、何をやらせてもそつなくこなす器用さから、ダレンやクレイグに次いで、この男は、高く仲間から信頼されていた。

 

 出立前にローリーが言い出したことにしても、そうだ。


 『安物でいいから、全員に盾を持たせよう』


 突然口にしたその突飛な進言に、なぜ、と問うと、


 『昔、酒場で管を巻いていた年寄りの兵士が、大軍同士がぶつかると、必ず両軍、まず矢の雨を降らすところから始まるってのを、耳にしたから』


 と言う。

 遺漏のない男なのだ。

 ダレンのそれとは違う勘の良さが、ローリーにはあった。


 ふと、前方を行く官軍が足を止めた。

 そのまま、騎馬が踵を返し、砂煙を上げながらクレイグたちの横を抜けて、来た道を引き返し始めた。

 官軍の歩兵も、それに続く。


 そして、騎士然とした一騎が、義勇兵の群れの前に立つ。


 「先ほど通過した街道の分岐まで引き返し、ティエール湖へ向かう!」


 そう叫ぶとその騎士は、官軍の群れの中へ戻っていく。

 その急な、そして意図の読めない命令に、義勇兵たちからざわめきが上がった。


 「おいクレイグ、こりゃどういうことだ?」

 

 ダレンが訪ねてくる。


 「恐らく東進していたはずのヴァンボロー軍が南に進路を変えたとか、そんなとこだろう。いま指示を出した士官は王都を出た時にはいなかったから、多分、北からの伝令だ」


 答えたのはローリーだった。

 あの士官はいなかった、と言い切る。そのあたりの洞察力は、さすがだ。


 ローリーの言に状況を察した周りの義勇兵たちも、おずおずと踵を返す。

 その時だった。

 少し前方で怒号が上がり、ざわめきが俄に厚みを増した。


 ―――喧嘩だ。


 ざわめきの中に、その言葉が混ざる。

 それも、何度も。

 悪い予感がした。

 案の定、嬉々とした表情で、その喧騒の中心に向けて、ダレンが走り出した。


 「クレイグ」

 呆れた風な色をその声に目一杯乗せて、ローリーが声をかける。

 「わかってる」

 短く答え、二人でダレンの後をおった。

 

 騒動が好きな男なのだ。

 そしてその中心にいないと気が済まない性分でもある。

 そうやって何度も、余計な面倒事に巻き込まれてきた。クレイグも、ローリーも。

 面倒が大きくなる前に、ダレンを止める必要があった。いつものように。

 が、ダレンの背にに追い付くと、以外にも、騒動の輪の中には飛び込まず、ダレンはその手前で立ち止まっていた。

 

 輪の中心では小柄な義勇兵と、見知った顔の男が二人、対峙していた。


 見知った男達。

 ネヴィル兄弟。

 貧民街ではそれなりに通った名だった。

 世の双子の殆どがそうであるように、ネヴィル兄弟も多分に漏れず、酷似していた。

 歪な顔立ちも、度を越えた背丈の高さも、岩石のように隆々とした筋骨も、何もかも。

 そして、気に入ったものも気にくわないものも、その膂力で捩じ伏せてしまう性分も、そこから起こす醜悪な言動までもが、似ていた。

 とはいえ、ダレンのような勢いのある兇賊を避けて通る卑屈さもまた、瓜二つだった。


 兄のゲイリーは、いきり立っていた。

 隣に立つ弟のエインズリーは、よく見れば右手首より先がなく、その手首を押さえながら、痛みに息を荒げている。

 その二人と、小柄な義勇兵との間には、恐らくはそのエインズリーのものであろう切り落とされた拳が転がっていた。

 小柄な義勇兵が握る血のこびりついた剣を見て、クレイグにも大体の状況は飲み込めた。

 あの小柄な義勇兵に、ネヴィル兄弟が絡んだんだろう。それで、エインズリーが返り討ちに合った。


 「あいつ、女だ」


 ローリーが呟くように言う。

 よく見れば確かに、鎧では覆いきれていない身体の節々から、男のそれではない柔らかさを感じる。特に、それなりに筋肉で引き締まってはいても、隠しきれていない尻の丸みは、紛れもなく女のものだった。


 「ゲイリーが相手じゃ分が悪い。助けるか?」


 クレイグの言葉に、無言のまま倣って飛び出そうとしたローリーを、ダレンが制した。


 「少し、様子を見よう」


 言って、不適に笑む。

 刹那、ゲイリーが剣を抜き、その女に襲いかかった。


 ゲイリーの剣筋が、水平に閃光を象る。

 その光の筋を仰け反って紙一重でかわし、返す上体の勢いに乗せて、女が剣を振り下ろす。

 ゲイリーも素早く切っ先を返して、それを剣身で受け止める。


 剣身で組み合った状態から、ゲイリーが膂力で押し返そうとした瞬間、女はすっと力を抜き、身体を回転させながらゲイリーの右横へ回り込む。

 そのまま回転の勢いを利用して、水平に剣を薙ぐ。

 剣筋が、ゲイリーの耳を水平に裂く。


 低く呻き、耳を押さえながら前屈みになったゲイリーの後頭部に向けて、女が大きく剣を振りかぶる。


 が、それが振り下ろされる前に、何者かに体当たりされ、そのまま、女は横に吹き飛ばされた。

 拳の無くなった左手首を押さえながら、エインズリーが肩から女に突進したのだ。


 それを好機と見て、ゲイリーは地に転がった女に駆け寄ると、首元を鷲掴みにして、膂力に任せて吊り上げた。


 「何をしている!」


 そこで、横やりが入った。

 先程の士官が、騒動を嗅ぎ付け、戻ってきた。


 「こいつが弟の拳を切り落とした。だからこれは正当な仇討ちだ」


 女を片手で吊り上げたままゲイリーが言った。


 「この男達が私に触れ、私を辱しめたのだ。こちらこそこれは、正当なる防衛だ」


 吊り上げられたままで、女が返す。

 

 「いずれが真実か?」


 ほんの少し躊躇いを覗かせつつ、それでも毅然に、騎士が輪の中の三人と、それをとりまく義勇兵達に問う。


 その時だった。


 女を吊り上げるゲイリーの左腕の、肘から先が切り落とされた。

 そのまま女は地に落ち、ゲイリーは呻きながら、肘から先がなくなった左腕を押さえつつ、ひざまずく。

 刹那、ゲイリーの首が飛んだ。


 首を無くしたまま、崩れ落ちたゲイリーを見下ろすように立っていたのは、ダレンだった。


 ダレンはそのままエインズリーにゆっくりと詰め寄ると、たじろぐその男の口に、切っ先を突き刺した。

 情けも、迷いも無い、だからこそ淀み無い所作だった。

 エインズリーの後頭部まで突き抜けた切っ先は、エインズリーが倒れるままに、引き抜かれた。


 しばらくの間、沈黙が、乾燥した風が砂ぼこりを上げるこの平原と、そこに立ち竦む兵達の隙間を抜ける。

 その一連の出来事を、そこにいる誰もが、一瞬理解できずにいた。


 「貴様何をする!」


 沈黙を破ったのは、馬上の騎士の一声だった。

 言いながら騎士は、抜いた剣の切っ先をダレンに向ける。が、ダレンは怖じずに切っ先の向こうの騎士を見据えた。


 「あんたがどれだけ上品な生まれかかしらねえがな、俺たちみたいなゴロツキを御するのには覚悟が必要だ。いつでも俺らの首を落とすって気概が必要だ。いずれが真実?関係ねえんだよ、まどろっこしい」


 ダレンは手に持った剣をひと振りして、剣身の血を払うと、それを鞘に納め、もう一度、騎士を見やる。


 「理屈でも正論でもない。俺らみたいな連中を御するのは、そんな覚悟と気概と」

 そこまで言って、ダレンは後ろに倒れ込んでいるネビル兄弟を、振り向かぬままに親指で指す。

 「こういう一塊の暴力と、即断だ」


 義勇兵達から、どよめきが上がる。

 そこには、ダレンを称賛するような響きが混じっていた。

 そういう男なのだ。

 例えやっている事の道理が通らずとも、真意がわからずとも、ひとを惹きつける。


 「貴様、名は何と言う」


 馬上から、騎士が訪ねる。

 

 「早暁の団、旗頭、ダレン・ウォレス」

 「覚えておこう」


 言いながら騎士の目が、背負われていたダレンの木盾に止まる。


 「それは支給した武具ではないな。何故そんなものを持っている?」


 そう騎士に指摘されると、ダレンはおもむろに踵を返しローリーの脇に立ち、肩に腕を回した。


 「でかい戦になるんだろう。そう言う時、これは必須だ―――っていう、こいつの知恵だ」


 ダレンは言って、騎士に向けて自慢げに笑ってみせる。

 騎士は黙したまま不敵な笑みだけを返し、官軍の群れの中へ戻っていった。

 それを合図としたように、ダレン達を囲む人の輪が崩れ、再び、官軍に引きずられるように、いま来た街道を引き返しだす。

 心なしか、その騒動の前よりも、義勇兵達の足取りは軽くなっているように、クレイグには思える。

 それもまた、ダレンの才能なのだろう。


 「おい」


 不意に、ダレンを呼び止める声がぶつかった。

 騒動の時の、あの女だった。


 「言っておくが、助けてもらう必要など無かった。恩に着せるなよ」


 言いながら女は、顔の半分を覆っていた兜を脱ぐ。

 この辺りの女性にしては珍しく、髪を短く切りまとめていたが、思った以上に、端整な顔立ちだった。


 「別に助けた訳じゃない」


 ダレンは言って、顎を、あの騎士が消えていった官軍の一段に向けてしゃくった。


 「あのどこぞの坊っちゃんに俺の名を売るために、お前の起こした騒動を利用しただけだよ」


 クレイグには判る。

 口ではそう言うが、どんな状況に転んだにせよ、ダレンはこの女を助けただろう。


 誰かを気に入ると、あるいは気に入りそうな臭いを感じると、ダレンは必ず少し距離をおいて、その対象を観察する癖がある。そしてその相手の印象に残りそうな、絶妙な頃合いを見計らって、近づいていくのだ。


 今回もそうだった。

 騒動にそのまま飛び込んでいくと思いきや、人の輪の縁にとどまって、女を見ていた。逆に飛び込もうとしたローリーを、制した。

 そして、女が進退窮まったところで、出ていった。


 狙っていた訳ではないだろう。もっと、衝動的なものだ。

 とはいえ、結果としてダレンは女を助け、あの騎士に自身の存在感を見せつけた。

 そういう男だ。それがこの男の武器だ。


 女はダレンの言葉に小さく鼻を鳴らすと、挑発的に笑みながら、手を差し出した。


 「クレア・ディーニーだ」


 無邪気な笑みを浮かべながらその手を握るダレンの表情に、クレイグは覇者の色を見た。

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