第05話 謀略の疾走
陽は、頭上のほぼ真上に至ろうとしていた。
朝は幾分か冷え込んでいたが、この時間になると、鎧を纏い馬上にいるだけで、じわりと汗ばんでくる。
フィル・モンフォールは、額に湧き出た汗を掌で拭い取り、それを見据えた。
僅かに湿った指先が、久しぶりに立つ戦場の張り詰めた空気のせいか、小刻みに震えている。その震えを誤魔化すように、強く手を握りしめた。
「サー・フィル、隊列が整いました」
麾下の騎士が、そう言いながらフィルの横に並んだ。
「さっき説明した通り、とにかく全軍、全力でリーズへ駆け込むよう指揮してください。歩兵はできる限り騎兵に間を開けられぬように。騎兵は歩兵と距離が空くことを気にせず、全力で馬を駆る。いいですね?」
騎士は無言のまま頷くと、踵を返して、背後に並んでいた隊列の中ほどへと入って行った。
その騎兵と入れ違うように、今度は黒の騎士ハリル・チャハノールが近寄ってくる。
「お前、見かけによらず随分と大胆なんだな」
「そうですか?」
「普通は同規模の兵量で、籠城する相手に真っ向からは突っ込まない。あの、ダミアンと言ったか、ロード付きの策士も、無策だというお前の豪胆さに露骨に呆れていたしな。本当は、何か策があるんだろう?」
フィルは、砦に残るイアン・ロチェスター直属の三百、スコットの率いる騎馬五百を除いた、背後に構える自軍千五百に、一瞥を投げる。
左翼の、少し距離を置いたスコットの隊が見据えている、丘の上の物見櫓の百余り敵軍を除いたとして、この先のリーズの砦で構えるのは千九百。そして、本体到着まで時間を稼ごうとしている状況からして、相手は籠城で構える公算が高い。
まっとうに考えれば、ハリルやダミアンの懸念する通り、策もなく突き進んでも、勝ち目はかなり薄い。少なくともヴァンボロー軍本隊が到着するまでに砦を落とすことは、現実的ではない。
でも、フィルに迷いは無かった。
そもそもダミアンの見立てた、一見筋の通った公算を、フィルは信じていない。
「本当に、策がある訳じゃないんです。真っ向から突っ込むだけです。でも、大丈夫です」
ハリルは、鋭い眼差しで、探るようにフィルを睨める。が、たじろがす、真っ直ぐ見返すフィルを見て、すぐにその険しい表情を、苦笑で掻き消した。
「微妙に震えてやがる癖に、肝が据わってるのか小心者なのか、よくわからん奴だな」
「明らかに僕は後者ですよ。ただ、これがうまくいくと確信しているだけです」
フィルがそう答えると、ハリルは鼻を鳴らす。
「なるほど。何を狙っているかは判らんが、その自信は、策士グレンの弟子たる所以か」
「師は確かに偉大ですが、僕はまだまだ若輩ですよ」
その時、フィルの言葉の語尾を掻き消すように、左翼の先頭に立っていたスコットのいる辺りから、鬨の声が上がる。間を置かず、スコット麾下の騎馬五百が、丘の上の物見櫓に向けて進軍を開始した。
「そろそろ我々も頃合いです。サー・ハリル、こちらの鬨の声を仕切るのは、貴方に任せます」
ハリルは不敵に笑んで頷き、背後の軍を振り返った。
そして一度大きく息を吸い込んでから、口を開く。
「王都での貴族どもの揉め事で、この戦は起こった。そんな事、お前らにとっては、どうでもいい事だろう」
ハリルは、まるで自軍に向けるような気軽さで、フィルの率いるモンフォール軍に向けて声を張る。張り上げる、と言うほどの声量ではなかったが、その声は不思議と通りがよかった。
「正直にいうと、俺からしてもどうでもいい」
ハリルのその言葉に、低く粗野な笑い声が方々から上がる。
「だが、俺はこう考える。例え仲が良い訳じゃなくとも、隣人が賊に襲われたらどうだ?その賊の矛先がこっちに向かないとも限らない。だったら、とばっちりを受ける前に、そいつらを殺しちまった方が賢くないか?」
徐々に、ハリルの声は高まっていく。
それに呼応するように、兵の群れが上げるざわめきも、熱を帯びていく。
「自分に及ぶかも知れない危機を排する。生き残るためには、当たり前の行為だ。王国?そんなもの関係ない。俺が、お前ら自身が、生き抜くためにやる、当たり前の行為だ。そんな当たり前のことをしてるだけなのに、王様は俺らに金をくれる。なあ。俺ら兵士の業ってのは、最高じゃないか?」
ハリルに応える怒号が、兵達から上がる。
「いけ好かない奴をぶった斬って金を貰う。やっぱり俺らの業は最高だよな!」
兵達のあげる閧はもはや、轟音だった。
僅か千五百とは思えないほどの重さと分厚さがあった。
「騎馬は俺に続け!歩兵は死ぬ気で追ってこい!」
そう叫ぶと、ハリルは先頭を駆け出し、フィルを含む千五百が怒号とともに続く。
丘と丘の間の窪地を、リーズに向けて駆ける。
左の丘の上を見上げると、先駆したスコットの一団が櫓周りに屯していた敵軍を次々に薙ぎ倒していくのが見える。
およそ百の敵軍にスコットの五百を当てたのだ。早々の征圧は見えていた。が、フィルが想定していた通り、兵量差を鑑みたにしても、敵軍の抵抗は弱すぎた。
丘を迂回しきると、リーズの街が視界に入る。
これもフィルの想定通り、つまり、ダミアンの見立てとは逆に、敵軍は籠城せず、街の防壁の前に陣を張っていた。しかもその陣は、こちらに抵抗するような配置ではなく、明らかに西へと逃走する構えだった。案の定、フィル達の一軍を見るや、西に向けて走り出す。
「どうする?追うか?」
前方を走るハリルが、少し首をこちらに向けて、馬上から問いかけてくる。
「いえ、このままリーズに入り、サー・スコットを待ちましょう」
それを聞いて、ハリルが進軍の速度を落とす。
フィルは馬を止めて、丘の上を見上げる。丁度スコットが、櫓周りの敵を排して、丘をこちらへ向けて駆け降りてくるところだった。
「奴ら、随分と淡白じゃないか」兵達をリーズの要塞に向かわせたハリルが、フィルの元へ戻ってくる。「何故ああも簡単に引き下がるんだ?青の騎士はどうした?」
敗走していくヴァンボロー軍の背を眺めながら、フィルが答える。
「このトリングに出向いてきた一軍は囮なんです。青の騎士も恐らく、最初からここにはいなかったんでしょう」
「囮?最初から”ヤツ”がいない?どういうことだ、それは」
フィルの言葉に、ハリルが喰いかかる。
特に、”ヤツ”という言葉に、強い圧を感じる。
「取り敢えず、僕らは急ぎリーズで準備を整えて、南西のアプナー・ショアへ向かう必要があります。詳しくは、リーズの要塞で説明します」
そんな中途半端なフィルの説明に、ハリルは腹落ちできた表情ではなかったが、わだかまりを無理矢理飲み込むように、何度か頷いて見せた。
「まあ、お前の思惑はどうやら当たったようだし、もう少し付き合おうか」
言ってハリルは、リーズの街へと踵を返した。
全てが、フィルの思惑のままに進んだ。
自軍だけではなく、敵軍も含めて、だ。
それが、その事実が、胸の中に高揚を生む。
快感を、生む。
初陣の時には得られなかった感情だった。
『戦場で生じる衝動に、呑まれてはいけません。そこには人の本性がありますが、それは生物としての本能と同義であって、その先に、文明の尊さも、安寧もないのです』
師、グレン・ワイズの言葉が、脳裏を過ぎる。
その言葉の意味を、本質を、今ようやく知ることができた。
その言葉を噛み締めつつ、フィルは、胸に沸いた高揚を、快感を、そのさらにずっと奥に押し込めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます