第153話 安全と安心 (3)

日曜日。

みんなで決めた集合は8時半だった。

休みの日は惰眠を貪りたいところだったが、太陽が頼まれもしないのに無双している日中に藪に逆らって山登りとか絶対嫌だし。


駅前に集まった俺たちは、もう何度かお世話になってるレンタル自転車屋さんで自転車をレンタルする。


駐輪場から引き出してきた自転車の前カゴにリュックを押し込んでる小山内は、猫のイラストが大きく入った白のTシャツの上からギンガムチェックのアイビーシャツを羽織っている。デニムのパンツなのは何度か見てるが、まあ、おしゃれというより、作業服扱いなんだろう。

続いて出てきた榎本さんは、明るい感じのオレンジのボーダーシャツになぜかコンバットパンツを合わせている。

意外だ。


「山の中に入っていくって言ったら、お姉ちゃんがこれをはいて行けっていって貸してくれたんです。」


俺の視線を感じたのか、榎本さんは顔を赤らめながら説明してくれた。


「あんたのその視線、オヤジみたい。」


小山内がきっちり締めてきた。

でも、榎本さんにはお姉ちゃんがいたんだな。

しっかり者だから、榎本さんは長女タイプだとか勝手に思い込んでいた。


「ええと。お姉ちゃんは元気がよくて、サバゲー?っていうんですか、そういうのよく行っているんで、こういう服を持ってるんです。」


榎本さんが少し恥ずかしそうに、微妙に俺の視線の意味を誤解したような、誤解してないような反応が返ってきた。

へえ。活動的なお姉さんがいるんだな。


それはともかく。

駅前を離れる前に、忘れ物-軍手とか虫除けスプレーとか-がないかを確認する。

小山内の仕切りで。


「じゃ、行こう。」


今度は俺が声をかけて、ペダルを漕ぎ始めた。


流石にこの時間だと気温もそれほど上がってなくて、快調に飛ばす頬に風が気持ちいい。

天気も晴れててサイクリング日和と言って良いだろう。

こんなのんびりしたことをいつまで言っていられるかが問題だがな。


今日は榎本さんも一緒だが、また小山内と2人だけでこういうお出かけをしたいもんだ、なんてことを考えてたら、俺の左斜め後ろを走る小山内の方からいたずらっぽい口調で声がかかった。


「この道、前に通った時はあんたずぶ濡れだったわよね。」


ん?

ずぶ濡れ?

いやそれ、川で子供を助けた時のことだろ。

あの時は、事情を聞かれたりしてて川から上がった後、それなりに時間が経ってたんで自転車に乗る時はかなり乾いてたぞ。タオルで拭いたりもしてたし。小山内が貸してくれたタオルはいい匂いがしてたし。


いや、とにかくずぶ濡れとはいくらなんでも盛りすぎだ。絞った服が皺くちゃだったというならまだしもな。


よーし。小山内がその気なら。

俺は、「ふふふ」と心の中で悪い笑みを浮かべて、とぼけた口調で言ってやった。


「そうだったか?俺は小山内がなぜか泣きそうになってたことしか覚えてないな。」

「え?!私?…ば、ばかー!」


小山内があまりにも力一杯叫ぶもんだから転けてないか心配になって振り返った俺と、真っ赤になって俺を睨んでる小山内の目があった。


「あんたばかなの?」


もう一度小山内が怒りのこもっていない、どっちかっていえば恥ずかしげな口調で、無理やり俺から視線を逸らしながら言ってきた。


なぜかわからないがクリティカルヒットだったらしい。


「りんちゃん、前を向いて走らないと危ないですよ。」


榎本さんも冷静な声で小山内を注意する。


涙目になってちょっとふくれてる小山内もかわいいぜ。


道中で起こった他愛のない挿話はこれくらいにして、ほぼ予想通りの時間に俺たちは目的地の住宅街の入り口についた。

榎本さんに見せてもらった航空写真ではあまりよく掴めなかったが、ここに立ってみると、この住宅街が山裾に造られているのがよくわかる。住宅街の奥に向かって自転車に乗ったまま登るのを躊躇うくらいの坂道が続いている。

街の家並みは、建てられてからそれなりの年数が経ってそうな、落ち着いた雰囲気が漂っていた。


「最初に川を見ておきましょう。」


小山内の声で俺たちは自転車に跨り、スマホのGPSで位置を確認しながら川に近づく。


「これね。」

「ですね。」


少し息を切らしながら地図を頼りに坂を登っていくと、事前にマップアプリの画像で見たのとそっくりな橋のかかっている川があった。


意外に細い川だ。


俺の第一印象は、これだった。

川にかかってる橋の長さも乗用車1台分ちょっとくらいで、その下を流れる川も助走をつければ飛び越せるかな、というくらいの細さだ。

勿論俺には無理っぽいが。

もっとも今は川の流れの外に生えてる草も水に押し倒された形跡があるので、雨が降るとそれなりに強い流れになるんだろう。


小山内は橋の上から川を覗き込むと、スマホを取り出して何枚か撮影した。


「あんた、流れのそばまで降りられる?降りられるのなら比較用に近くに立ってみて欲しいんだけど。」


俺は「わかった。」と言って降りられるところを探した。だが階段みたいになってるところはない。

護岸のブロックに足を引っ掛けながら降りるか、飛び降りるかだな。

大した高さじゃないし、小山内の前だから、ちょっと格好つけてみせるか。


「あんた、格好つけて飛び降りて、足を挫きでもしたら見捨てて帰るからね。」


吹き抜ける風に心地よさそうに髪を揺らしながら、小山内が冷静に宣告する。

俺の額を汗が流れ落ちた。


「そんなことするわけないだろ。」

「どうだか。」


小山内の目に笑いはない。

なんでわかったんだろな。


仕方がないので、川沿いの道から護岸のブロックを慎重に伝いに降りていく。

だいたい俺の肩くらいの位置に道の高さが来たところであとは飛び降りた。飛び降りたと言っても30㎝ほどだが。


「足はくじいてないぞ。」

「ばか。」


予想どおりの小山内の反応に俺は吹き出してしまった。


「ちょっと、まっすぐ立って。」

「へいへい。」


俺は小山内の指示どおりに砂が堆積している川岸に立つ。

川の水はちょろちょろより少し多めくらいの量が流れてるだけだ。

だが、良い餌が来たー!とでもいうように早速蚊が寄ってきた。

俺を撮影しようとしている小山内に声をかける。


「小山内、蚊がいる。虫除けスプレー投げてくれ。」


「あなた方は、川に降りる趣味でもあるのですか?」

「きゃっ!」


背後からいきなりかかった声に、蚊よけスプレーを俺に投げようとしていた小山内は軽い悲鳴を上げた。

70歳くらいであろう小柄なおじいさんが、小山内の後から俺の方にしわの刻まれた日に焼けた顔を不思議そうに覗かせている。


…あれ?

何だか見覚えがある気がするぞ、あの顔は。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る