第51話 最後? (2)
小山内が話し始めたのは、小山内とその家族のヒストリーだった。
小山内には優秀なパパと優しいママがいて、幼い頃の思い出は殆ど残っていないけれど、幸せだった気がするという。
小山内が3歳の時、妹が生まれた。
妹の名前は陽香(はるか)ちゃん。
とてもかわいい妹で、小山内は保育園から帰ってきたら、いつも陽香ちゃんの側で過ごしていたそうだ。
小山内が4歳か5歳の時のことだそうだが、その頃は、おばあちゃんが家に来ていて、姉妹の面倒を見ていたそうだ。
あるとき、小山内は保育園でしたお絵かきが楽しかったので、家でも動物のお絵かきをしていた。
その横で、陽香ちゃんもその様子を見ていた。
陽香ちゃんは小山内が描いている動物の絵を見て、その名前を言い始めた。ところが、陽香ちゃんが口にする動物の名前に聞き慣れない言葉が混じっていることに小山内は気付いた。
お姉ちゃんとして、小山内は、動物の名前を陽香ちゃんが間違って覚えたら大変だと思い、間違いだと教えていってあげた。
小さい子達にはよくある風景なんだろう。
小山内は帰ってきたパパとママにその時のことを教えてあげた。
「凜香ねぇ。今日お絵かきしてたんだよ。」
「何のお絵かきしてたんだい?」
そんなごく普通の会話がおかしくなったのは小山内が陽香が口にした動物の名前を言った時のことだ。
「凜香がね、象さんのお絵かきしたら、陽香がねエレハンて変な名前で呼ぶの。」
「ふーん。」
その時両親は、小山内との会話よりも自分たちの会話に気をとられていたらしい。
「凜香がキリンさんの絵を描いたら、ジラフって言うんだよ。」
それでもまだ両親はその言葉の異常さに気が付かなかったそうだ。
「ライオンさんはライオンていうんだけど、虎さんのことはタイガだって。変だね。」
その小山内の言葉にようやく小山内の両親は気がついた。
陽香ちゃんが、両親の教えたことも無い、動物の英語名を話していると。
その時は、両親は驚いたものの、家に世話に来ているおばあちゃんが教えたか、おばあちゃんが見せた幼児向けの教育番組でそういうのがあったと思った。
これは後で小山内が直接両親から聞いたそうだ。
次に陽香ちゃんがその才能をはっきりと示したのが5歳の時だったそうだ。
それまでにも、陽香ちゃんは保育園の先生から、「今まで見たことも無いほど才能豊かなお子さんです。」と言われ、家でもその一端を示すときはあったものの、いつも仕事からの帰りの遅い両親は、まだその異常さを理解していなかった。
しかし、小学校の入学が迫って、教科書を貰ってきたとき、陽香ちゃんはたった3日で算数の教科書の内容を完全に理解したという。そのことを当時まだ姉妹の面倒を見ていたおばあちゃんから聞かされたおじいちゃんが、面白がって、いろいろなテキストを与えたらしい。結局、陽香ちゃんは5週間で小学校の勉強を全て理解し終えた。
その後、陽香ちゃんは、8歳で高校3年までの勉強が終わり、そのことを陽香ちゃんの担任であった友人から聞いた近くの大学の先生が、聴講生として授業を受けるようにと勧めに来た。
ギフテッドという。
小山内はよくわからないままそう説明を受けたそうだ。
小山内は小学校5年生になっていた。
家に来た大学の先生から受けたその説明を、小山内は半分しか理解できなかった。
ただ、その先生が両親に強く訴えた内容はわかった。陽香ちゃんは、日本の学校制度では正しく教育を受けることはできない。だから海外で教育を受けるべきだ、いや学ぶべきだと。
その頃には両親は陽香ちゃんの才能がどんなものかをようやく理解し、小山内の言葉を借りれば、愕然としたそうだ。
そして両親は、そうしたギフテッドの子をどう育てたら良いか、どうすれば、今まで両親がそのことをに気づかずに”遅れた”分を取り戻せるのかの情報を必死で集めたようだ。小山内の前で両親が言い争いをしたこともあったという。
その結果、両親は、その先生が紹介したドイツの大学に陽香ちゃんを通わせることに決めた。陽香ちゃんは嫌がっていたそうだが、1年間かけて準備した両親に根負けしてドイツに行った。行ったというより、一緒にドイツに行くと決めた両親に連れて行かれた、の方が近いかも、そう小山内は言った。
一方、ギフテッドではない小山内は、ドイツに行くよりも日本に残った方がいいとの両親の判断で日本に残ることになった。
ママさんは、小学生だった小山内にこう言ったそうだ。
「凜香。あなたは日本でいなさい。あなたはお姉ちゃんで、とってもしっかりしてるから、このお家に残って、おばあちゃんに通って貰ったら大丈夫よね。」
と。
「両親は、幼い陽香を1人でドイツに行かせるなんて考えもつかなかったんでしょ。だから二人して陽香と一緒にドイツに行っちゃった。日本に残った私の方は、両親の去った家に中学生1人を残しておくわけにもいかない、って言ってくれた祖父母が引き取ってくれて、そこから地元の中学に通ったの。両親にとって私は二の次になってたのよね。私があなたと同じ中学に行かなかったのはこんな理由があったのよ。」
俺はこう話した小山内の、一切の感情が消えた顔を忘れることはないだろう。
けれど、小山内の両親は小山内を二の次だとは思っていなかったとも思う。小山内の話から受ける印象は、ギフテッドである陽香ちゃんの才能を伸ばすことに必死になってる両親の姿だ。
そして、妹があまりに特別な存在で成長が早かったせいで、両親は、お姉ちゃんである小山内の方が、まだ自分達を必要としている小さい子供だということを、意識しなくなってしまったのかもしれない。あるいは、今、小山内が俺に見せている姿のように、当時の小山内自身も普通の子よりずっとしっかりとしていて、両親が錯覚したのかも知れない。
ただ、小山内は言った。陽香ちゃんを恨んではいない。陽香ちゃんは最後までお姉ちゃんと一緒にいたい、お姉ちゃんが好きと言い続けてたそうだ。
今も、両親はドイツにいて、陽香ちゃんと一緒に暮らしてるそうだ。
中学に入って、スマホのアプリを使えるようになった小山内は、日に1度は両親や陽香ちゃんとビデオ通話するようになり、それが現在、小山内と家族をつないでいる唯一の糸だという。
話し終えた小山内は、苦悩と諦めが複雑に入り交じったような表情を浮かべて、氷が溶けて薄くなったアイスティーをすすった。
「薄くなっちゃったわね。」
そう言って、窓の外に目をやる。
しばらく駅に向かう家族の姿を目で追った後、小山内は俺に視線を戻した。
「で、俺君は私を救ってくれるのよね。」
そういう小山内の瞳には挑戦するような光があった。
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