どちらでいたいか



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ホールに行く途中で道に迷ってしまい、結局始業式に遅刻したミアは、ホールのベランダから中の様子を窺う。


(今から入っていったら目立つよね……)


ホールの扉は既に閉まっている。フィンゼル魔法学校の全校生徒が揃っている中、遅刻しておいて堂々と入っていく度胸はない。


ミアはハァと溜め息を吐き、ホールの中の様子を盗み見た。舞台の上にはオペラの面々が立っており、イザベルが代表者として生徒への挨拶をしている様子だった。ブルーノやテオ、スヴェンもいる。その横には顔に包帯を巻いた女生徒。彼女も確かオペラの元五年生のはずだ。つまり、今年度からは六年生である。



「六年生ってまだ引退はしてないんだ……」

「オペラ見習いが決定するまでは六年生でも働かされるんよ。全く人使い荒いじゃろ」



ミアの独り言に答えた人物がいた。


びっくりして横を見れば、顔にそばかすのある地味な見た目の男子生徒が立っている。いつの間にか近くに来ていたらしい。全く気配がなかった。


ミアはその男子生徒を一年次にも見たことがある。――変身しているラルフだ。



「ラルフはあっちに行かなくていいの? オペラ、皆揃ってるけど」

「人前に出るのは好かんのじゃ」

「……何で?」

「恥ずかしいじゃろ」

「……」



ラルフは冗談か本気か分からないようなことを言ってクスクスと笑った。



「お前さん、よう頑張っとるんじゃって? 一年次の最終試験で学年総合一位って聞いたわ」

「うん、魔法で頑張ったからね。勉強面はまだまだカトリナに勝てないんだけど、総合では何とか……」

「教員の間でも話題になっちょったよ。“あの”イーゼンブルク家のご令嬢と張り合っとる言うてな」

「ふふん。凄いでしょ」

「凄いとは思わん。お前さんなら当然じゃ」



意味深げに言ったラルフの言葉に引っかかり、ミアは冗談っぽく問いかけた。



「――ラルフって、私が誰か知ってる?」



数秒、沈黙が走る。ラルフは壁にもたれ掛かりながら横目にミアを見た。



「さあ、どうじゃろ。しかしその様子じゃと、記憶は取り戻しとるみたいじゃのぉ」

「全部じゃないよ。でも、ほとんどは思い出したかも」

「ほお?」

「私、地球にいたんだ」

「地球。おとぎ話のか」

「うん。マギーの遥か遠くに地球は実在する。太陽系の第3惑星だよ。私がこっちに来る前にはもう崩壊しかけてたけどね」

「惑星間の移動は相当な魔力を消費するじゃろ。よう体が保ったのう」

「私が使ったのは、お母さんが命をかけて遺してくれたお母さんの魔力だからね」



そこまで言って、ミアは試すようにラルフを覗き込んだ。



「――ところで、ラルフ、やっぱり私のこと知ってるよね?」

「何でそう思うんじゃ?」

「だって初めて会った気しないだもん」

「ふ、女の勘っちゅうやつか」



ラルフににじり寄って壁に追い詰める。



「何か知ってるなら教えてほしい。地球にいた頃の記憶はあるけど、それ以前の記憶はお母さんのことだけなんだ。私の目的を果たすためにも情報が必要で――」

「そないに近付くとキスしてしまうよ?」

「え」



ミアは慌ててラルフから距離を取る。


ラルフはくっくっと肩を揺らして笑いながら、「冗談じゃ」と言った。


からかわれたと気付き、ミアはぐぬぬと悔しがる。ラルフはその様子が面白かったのか更に笑った。そして、一通り笑い終えた後で問う。



「“私の目的”っち言うたな。お前さんの目的は何じゃ?」

「……私が言ったらそっちも隠してること話してくれる?」

「それはそっちの内容次第じゃなあ」

「じゃあ言わない」



ミアは誰にも相談せずに一人で動いている。


それは、この場所で築いた人間関係を壊すのが怖いからだ。怖いから遠ざけた。明確に線を引いた。


ミアはよそ者である。ただのよそ者ではない。ここで出会った人々を全員滅ぼす可能性のある、よそ者である。


――話したところで、そんなミアを信じる人間は果たして何人いるだろうか。


ブルーノは勘付いていた。今は泳がせてくれているようだが、あの日おそらくミアを敵とみなしただろう。それを少しだけ寂しく思いつつ、ブルーノの判断が正解だとも思う。



「私とロッティは同じなんだよ」



ミアは舞台の上のオペラたちを窓越しに見下ろしながら呟いた。



「この学園にとって危険な魔獣。今は私が使役しているけど、以前はそう言われていたでしょう。私の管理下になければ殺されていた存在だった」

「……自分もそうじゃって?」

「うん。だから、秘密を明かすより先に信頼を得られるように頑張りたいの。今は自信がないんだもん。私自身、私がこのマギーにとって悪なのか正義なのか確信できない。私ですら信じられないのに、相手に信じてもらえるとは思えない」



そこまで言ったところで、これまでカトリナにも言えなかった心の内を、何故ラルフにはすんなり言えるのだろうと不思議に思った。


記憶を取り戻してから、ラルフのことだけは信頼に足る人物であるように感じている。それは本能的なもので、理由は分からない。



「――お前さんはどっちでありたいん?」



ラルフの問いかけに顔を上げる。


ざあっと風が吹いた。木の葉と一緒に妖精たちが飛んでいく。



「……私は、予言通りにはしたくない」



魔王の予言では、ミアはマギーを滅ぼす存在だ。しかし、母親だけはミアを信じてくれた。マギーを救う存在であると言ってくれた。だからミアは――魔王の予言を覆したいと思っている。



「なーんじゃ。単独行動ばっかしよるから何を企んどるのじゃろう思うとったが、ただビビっとっただけか」



ラルフがニヤニヤしながらミアを見てきた。



「ビビってる……? 私が?」

「折角友達になった人たちに嫌われるのが怖いんじゃろう? 実に人間らしゅうてええことじゃ」

「……」



ミアは心の弱さを指摘された気がして黙り込んだ。



「ま、何かあったら俺を頼るとええ。お前さんは俺の特別じゃからな」



そう言ってミアの頭を軽く撫でたラルフは、次の瞬間にはいなくなっていた。


魔法の痕跡すら残さず消えている。それだけでも、ラルフが圧倒的な実力者であることをひしひし感じて少し悔しくなった。



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新学期が始まって最初の昼休み、ミアが椅子に座ってボーッとしていると、突然机の上に高そうな箱が置かれた。顔を上げるとカトリナが偉そうに腕を組んで立っている。



「長期休みに滞在したリゾート地で購入した、リンクス発祥のチョコレートですわ。貴女がどうしてもと言うのならくれてやってもいいですわよ?」



カトリナはクラスメイトたちにお土産を配っているらしい。国交を断絶している隣国リンクスで人気のチョコレートは、今では仕入れるのがかなり難しく値段も高騰しているはずだ。そんなものを無料でクラスメイト全員に配るカトリナの財力に恐れ慄く。さすがイーゼンブルク家のご令嬢である。



「嘘ぉ……いいの?」



垂れそうになった涎をじゅるりと啜った。



「――その前に」



チョコレートの箱を取ろうとしたミアから、カトリナが箱を遠ざける。



「貴女、どうしたんですの?」

「え?」

「ずっとボーッとしていません? 始業式にも出ていませんでしたし。貴女にそんな間抜け顔でいられたら《知の部屋》の名誉を損ないますわ」

「ご、ごめん。始業式に出なかったのは、道に迷ったから……」

「貴女ともあろう方が迷うなんて注意散漫ですわ。休暇中はちゃんと休みましたの? 今日の授業も集中できていないようでしたし、貴女らしくありません」



少し怒った様子でジトッと見下ろしてくるカトリナ。ミアはそんなカトリナの発言に何だか嬉しくなってしまった。



「カトリナって、めちゃくちゃ私のこと見てるんだね……むふふ」

「はぁ!? 自惚れないでくださいまし!」



カトリナは顔を真っ赤にしてチョコレートの箱をミアの机に叩きつける。



「わたくしはボーッと生きている貴女と違って観察力がありますから? クラスメイトの些細な変化にも気付くんですのよ」



そして捨て台詞のようにそう言って、グレーの髪をなびかせながら教室を出ていってしまった。その後ろをカトリナの信者たちが追いかけていく。長期休みが開け、いつもの日常が戻ってきたように感じて少しほっとした。



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