イーゼンブルク家 ②
ミアがブルーノの頬に触れ、慣れない治癒魔法で何とかその顔に付いた傷を治した。
ミアの手からは温かい光が漏れている。治癒魔法は基本的に杖を使わずに発動する魔法のため少し難易度が高く、あまりうまくはできなかった。
自分のレベルではこの程度の治癒が限界だろうと思い手を離したミアだが、ブルーノがじっと見つめてくるため、疑問に思って問いかける。
「痛い?大丈夫?」
「心配するほどじゃない」
「そっか……ならよかった。あのさ、ブルーノ」
「ミア」
「私今から……ん?あ、うん、何?」
「スヴェンはやめておけ」
「…………ん?」
走るロッティの後ろでは、ドン、ドドォン、と魔女の魂の攻撃が地面にぶつかる爆音がしている。
ミアはその五月蝿さ故に聞き間違えたのかと思って聞き返した。あまりにも脈絡がないものだから。
「スヴェンよりもっと優しくしてくれる男は他にも沢山いる」
一瞬フリーズしたミアだったが、記憶を巻き戻すと、スヴェンを押し倒しているところを見られたばかりであることを思い出した。
「……えっと色々誤解があると思うんだけどそんなこと考えながら魔女の魂と戦ってたの?」
「お前がスヴェンを押し倒していた光景が頭から離れなかった」
「有り難いけど心配しすぎだよ、ブルーノ。さっきも否定した通りそもそもスヴェンが好きとかじゃ全くないよ」
「全くないならどうしてあんなに近かったんだ」
「あれは諍いの勢いで体勢がああなっただけで別にスヴェンに迫ってたわけじゃない。もしそうだとしたら私悠長すぎるでしょ」
まるで父親のように心配してくれるブルーノが可笑しく、少し笑いそうになりながらミアが言う。
「……そうか」
ほっとしたようにブルーノが目を瞑った。かなり疲労が溜まっているようだ。
「ねえブルーノ、もう少し頑張れる?今から転移魔法を使うから、私がマジックアイテムを使用している間、私の肉体にダメージがないようにずっと保護魔法をかけていてほしい」
「……あの魂を転移させる気か?」
「うん。マギーの外へ持っていく。」
「そんなこと、」
「できると思う」
「……」
「私ならできると思う」
ずっと傍でミアの魔法の練習に付き合っていたブルーノには――ミアならもしかしたらやってのけるかもしれないという――確かで不確かな信頼があった。
加えて、ミーズの魂は加速度的にその巨大さを増しており、推測するにもうあまり時間がない。できるだけ早く片を付けるなら転移魔法が一番だ。やらない手はない。
「でもマジックアイテムを使うの今日二回目だから何が起こるか分からないし、自分の身体を支えられる自信がない。私のこと、ブルーノに託していい?」
魔女の魂を見上げていたミアが、覚悟を決めたようにブルーノに視線を戻し、ブルーノの手首をぎゅっと握った。
その手が少し震えていることにブルーノは気付いた。ミアは基本的に怖いもの知らずで度胸もある。しかし、怖い時は怖いのだ。
ブルーノがミアの指に指を絡めぎゅっとその手を握り、真っ直ぐに目を見つめて名乗った。
「ブルーノ・フリードリヒの名にかけて必ずお前を死なせない。俺はお前を信じるから、お前は俺と自分を信じてくれ」
ミアはその言葉で勇気を得たようにコクリと頷き、ブルーノの手を握り返した。
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ん、と小さな呻き声を上げて、石化されていたカトリナが目を覚ました。
目を開けた時、目の前に居たのは姉のイザベルである。
夢かと思いしばらくイザベルを凝視した後、状況を把握しきれないまま起き上がろうとしたカトリナだが、頭痛がして動けない。
カトリナには、保健室の前で靴を見てからの記憶がなかった。その場に寝転んだまま改めて周りを見るが、それでもやはり何が起こっているのか分からなかった。
「カトリナ様!!」
複数のカトリナのクラスメイトたちがカトリナの周りに集まると同時に、イザベルが立ち上がってカトリナの隣に横たわっている生徒の石化を解き始める。
洞窟の入り口付近はテオの張った結界のおかげで暖かい。酷く喉が乾き咳き込むカトリナに、クラスメイトたちが水を差し出す。
「カトリナ、スヴェンを手伝ってきなさい」
水を飲みながら、魔法でクラスメイトたちのこれまでの記憶を映像として見せてもらっている途中のカトリナに、イザベルがそう指示する。
クラスメイトたちが驚き、
「イザベル様、カトリナ様は病み上がりですよ!?」
と抵抗する。
しかしイザベルはふんと鼻で笑った。
「何が病み上がりよ。ただ石化していただけでしょう?それに、攫われた生徒の中でまだ魔力が残っているのはカトリナだけよ。他の生徒は魔力をほぼ全て吸い取られているからしばらく魔法を使えないでしょうね。アンタたちは無理な探索魔法と飛行での長距離移動で体力を消耗してしまっているし、この場で戦力になるのはカトリナだけ。カトリナに
テオは戦闘の巻き添えを食わないようこの場に強力な結界を張り、イザベルは生徒たちの石化魔法を一刻も早く解除する必要がある。
必要とあらば妹でも甘やかさないのがイザベルだった。
「しかし……!」
「――分かりましたわ。散々ご迷惑をおかけしたようですし、少しは働かなければいけませんわね」
他の生徒からの記憶の転送を完了させたカトリナが、少しよろけながらも立ち上がった。
軽く準備運動をして身体に動かせないところがないか確認した後、結界の外へと歩いていく。
(あの子があれだけ体を張っているのに、わたくしが止まっているわけにはいかないですもの)
クラスメイトから魔法で見せられた記憶の映像の中で、ミアはいつも自分を探そうと必死だった。
(……本当に、バカな子)
雪の中を一歩一歩と進みながら、カトリナはきゅっと唇を噛んだ。
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「うざ。キリないやん」
辺り一帯の草木はスヴェンの魔法によって全て吹き飛ばされ、荒廃した土地と化してしまった。環境破壊どころの騒ぎではない。
――しかし、魔女の魂は未だ消えていなかった。
それどころか、分裂し、自由自在に形を変え、四方八方からスヴェンを攻撃してくる。
防衛魔法で全ての攻撃を防ぎ無傷でいるだけでも凄いのだが、これでは攻撃をするタイミングがない。
(さっきより弱体化しとるんは確実やし、攻撃に集中できれば一瞬なんやけど……)
煩わしさにイライラしてきたスヴェンが舌打ちをした時、クラスメイトにホウキを借りてスヴェンの元まで飛んできたのは、カトリナだ。
「――――ツーリュック・コンメン!!」
石化され、ずっと魔法を使っていなかったにしては上出来な攻撃魔法を発動して魔女の魂からの攻撃を打ち返したカトリナが、スヴェンの真後ろに降り立つ。
「あれ、生きとったんや」
「前からの攻撃に集中なさい。後ろはわたくしが守りますわ」
カトリナがスヴェンに背中を合わせた。
「それとも、わたくしじゃ頼りにならないですかしら?」
後ろから聞こえてくる挑戦的なカトリナの言葉に、ククッとスヴェンが肩を揺らして笑う。
「オネーチャンにそっくりやなあ、その態度」
「無駄口を叩いていたら後輩のわたくしに遅れを取りましてよ! ほら――ブラーゼン!」
カトリナがクラスメイトの一人に借りてきた杖を大きく振り、風の魔法を発動する。
魔女の魂の分身は吹き飛ばされて塵となり消えていく。
カトリナはいつもより機嫌が良く、元気で、ずっと眠っていたにも関わらず魔法の精度が高かった。
(あの方は、わたくしならできるとおっしゃいましたわ)
それは――偏に、実の姉イザベルからの信頼を受けたからであった。
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「お前、何でわざわざここへ来たんだ?」
《知の部屋》の生徒たちが探索魔法を使って割り出した情報を頼りにこの場にやってきたイザベルに対し、テオは不審がっている。
「行方不明者の件を担当させられてるあたしがここに居ちゃおかしい?」
「……いや」
そもそもイザベルはどちらかと言えばオペラの中では不良で、真面目にオペラの仕事をしたことがない。
そこからテオは違和感を覚えたのだが、人手が増えるに越したことはないので、余計なことは言わないでおいた。
その直後轟音が轟き、驚いたテオが外を見る。
ブルーノとミアが魔女の魂の前に立ちはだかり、何かをしようとしていた。
ブルーノがミアの横で、ミアを支えるように抱きとめている。
その手には杖はなく、周りにはロッティも居ない。
「……あいつまさか……!」
嘘だろ、とテオが息を呑む。
ミーズの魂を転移させようとしている?
これだけ大規模な魔力を孕んだ魂を、そのまま転移させるつもりか?
ウニヴェルズィテートの獣を転移させることができた彼女ならできるのかもしれない。いやけれど、しかし――。
テオの手が震え、杖がその手から落ち、カランと音を立てて洞窟の地面にぶつかった。
同時に結界が解け、冷たい空気が洞窟内に吹き込んでくる。
強い風がテオの髪とローブを激しく揺らした。
「ちょっとテオ、どうしたのよ?」
結界が解けたことで異常に気付いたイザベルが、顔を上げてテオを見る。しかしテオは返事をしなかった。
杖を落としたまま、見惚れるように、ブルーノとミアの方向を見ている。
――――空が、
――――――――光った。
厚い雲を吹き飛ばすように、空間を裂いて無から有を生み出すように、
ほんの数秒、辺り一帯が光に照らされた。
テオの手の震えは心配から来るものではなかった。
突然降ってきた謎の女。
分かるのは名前がミアであること、ここの生徒ではないこと。
優等生であるブルーノとテオ――彼らが、無理矢理にでも彼女を追い出さなかったのは何故か。
彼らは退屈していたのだ。
簡単な魔法。
簡単な授業。
何も起こらない、何一つ困難ではない、容易で単調で退屈な日々。
――そんな日々を破壊してくれる者の存在を、彼らは待ちわびていた。
「オフネン・トーア!」
ミアが呪文を唱える声が辺りに響き渡り、
全てを光で埋め尽くすほどの影響力を持つ強大な転移魔法が発動した。
共闘して一気にセオドラの魂を滅ぼしたスヴェンとカトリナも、その光の輝きに顔を上げた。
レヒトの国の上空は厚い雲で覆われており、この惑星マギーの唯一の衛星からの光を遮っている。
空の上は常に変わらない闇夜であり、“レヒトの国に朝は来ない”という言葉もあるほど。
それ故、レヒトの国の国民はこれほどの光を間近で見たことがなかった。
氷の洞窟の入り口にいる《知の部屋》の生徒たちも、イザベルも、その未知の眩しさに何もできぬままただ眺めていた。
巨大な光の渦が巨大化したミーズの魂を丸ごと飲み込み、跡形もなく消えてゆく。
魔力を消耗し気を失いそうになっているミアを保護魔法で支えているのはブルーノだ。
ミアの間近で、激しい風に吹き飛ばされそうになりながらも、ミアが発動した転移魔法の光を真っ直ぐ見つめている。
ミーズの魂が完全に惑星の外へと転移されたことを手応えで感じ取ったミアは、同時に体の力が抜けた。
ブルーノがその体を抱きかかえ、スヴェンの居た方向が静かになっていることを確認し、「……終わったな」と呟いた。
「へへ、私すごいでしょ」
「ああ。お前がいて助かった」
ミアはへらへらと笑っているがその実かなり疲れているようで、少しの間ブルーノの顔をぼんやりと見上げていたが、そのうち安心したように目を瞑った。
すー、すー、と可愛らしい寝息を立てたかと思えば、突然グガー!と激しいイビキをかき始めたため、ブルーノはぶっと吹き出す。
それはブルーノらしくない笑い方だった。
ミアが自分たちの生活に彩り――よく言えばだが――を加えていることに、そこでブルーノはようやく気付くのだった。
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