魔法使いの弟子 ②



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「いいのに、お金のことなんて考えなくて。」



翌日の昼休み、保健室に遊びに行ったミアが学内掲示板に貼られていた求人募集のメモを広げていると、養護教諭アブサロンが魔法茶を飲みながらふわりと笑った。



「うまい話には気を付けろってよく言うから」

「やだなぁ、ぼくが信用できない?」



くすくすと肩を揺らす、机の角に腰をかけるアブサロンの白衣は皺になっている。



「お金なんてね、簡単に作れるんだよ。君が気にすることじゃない」



アブサロンの不穏な言葉に、ミアはより不安を感じた。


この国のお金の価値は、求人募集に書かれていた時給を見れば何となく理解できた。


学生証さえあれば学内で売られている大抵の物は変えてしまうため、値段など気にしたことがなかったが……


テオに聞いた学生証の毎月の額と時給を比べて考えると、学生証はそこそこに高い。



「アブサロン先生は、何で私にここまでしてくれるの?」



この学校に居させてほしいというのはミアの我が儘だ。


テオに言われたこともあり、ミアだってそこはきちんと理解していた。



「それはね……」



意味深げに次の言葉までの間を空けるアブサロン。ミアがごくりと唾を飲む。



「気紛れだよ」



溜めたわりにはあっさりした答えが返ってきたため、ミアは白けたようにテーブルの上の求人募集のメモに視線を戻した。


アブサロンはハハッと可笑しそうにまた笑って、「ところで、腕の傷はどうだい」とミアの調子を聞く。


ミアはシャツの袖を捲り上げ、腕を見せた。


そこには、赤黒い華の形をした、タトゥーのような傷跡がある。


偶然この形になったにしては出来すぎた、美しい華だ。



それを見てミアはぎょっとした。


この傷は、以前までこんな形ではなかったはずなのだ。華の形であることは分かっていたが、偶然と言ってもいいレベルのものだった。日に日にはっきりしてきている。いつの間にこんな、くっきりとした形を描くようになったのだろう。




驚くミアの隣で、アブサロンは「やっぱりね」と言い、急にミアの腕を強く掴んだ。


多少ではあるがアブサロンに乱暴に扱われたのは初めてであるため、ミアは瞠目する。





「これは“キスマーク”だよ。ぼくの大っ嫌いな男のね」



息がかかるほどの至近距離で、アブサロンがミアを覗き込み、その茶色の双眸をじっと見つめた。





「君は何者なのかな。――記憶がないのは本当?」





相手の発言が嘘か本当かを見抜く魔法は、こうして至近距離で相手と目を合わせた場合にのみ有効に発動する。


探るように、疑うように問うたアブサロンが、今何かの魔法を発動していることを、ミアは魔力の動きの気配で敏感に感じ取った。アブサロンがこちらを試していることを理解したそのうえで、慎重に発言をする。



「ここで過ごして、全く何も思い出さなかったかと言うと、嘘になる」

「へえ。何を思い出したの?」

「一つだけ。私はずっとこの世界に来たがっていたんだってこと」

「この世界?」



ミアの言葉に嘘がないことを確認したアブサロンは、姿勢を戻してまた元の位置に戻った。





「私には、こことは別の地球っていう惑星で過ごしていた記憶がある。それで、私はどうしてだか、どうにかこの惑星……マギーだっけ、マギーに来ようとしてた。初めて転移魔法を発動した直後に、それだけ思い出した」




アブサロンは考える素振りを見せた。


テオやブルーノに言っても信じてもらえないと思い、ミアはこれをあの二人にも伝えていない。ほんの一つ思い出したことがあることを、人に言うのはこれが初めてだった。


アブサロンなら、何だか信じてくれそうな気がしたのだ。




「月」

「え?」

「傍に月があるだろう、その惑星には」




ミアは目を見開いて顔を上げた。


アブサロンはいたって真面目な様子でミアを見下ろしている。




「……知ってるんですか。地球を」

「知っているというか、この国の誰もが知っている御伽噺に出てくる惑星だよ。実在が確認されたことはない」



言いながら、アブサロンは本棚に並ぶ本を順番に指でなぞり、あるところでぴたりとその動きを止めた。アブサロンが取り出したのは、古びた絵本だ。



アブサロンに促されるまま、ミアはその絵本を開いた。





 むかし、地球というところに、

 トーアの魔法使いが住んでいました。


 地球の傍には月と太陽があり、

 地球は太陽の周りをぐるぐる、

 月は地球の周りをぐるぐるしていました。


 トーアの魔法使いは、月の魔力を引き付ける力を利用して魔法の惑星マギーが滅ぼします。


 トーアの魔法使いは、

 マギーと魔法使いを滅ぼす者なのです。





絵本はそこで止まっていた。




「……これだけ?」

「いや。ぼくが持っているのは簡易的な絵本で、原作はもう少し詳しく長いらしい。でも原作は古すぎてもうこの世にないんだよねえ」



ミアと一緒に懐かしそうに絵本を覗き込んでいたアブサロンは、魔法で椅子を引き寄せてミアに対してテーブルを挟んだ向かい側に腰をかけた。



「考えられることは3つあるね。1つは、記憶喪失の君がこの絵本のことだけは断片的に覚えていて、失った記憶を埋めるために絵本の中の世界に自分を置き、そのまま記憶を書き換えてしまったという可能性。2つ目は、地球が実在していて、この絵本の作者が何らかの形でそれを知っていて、この話を作ったという可能性。で、もう1つは……


君がトーアの魔法使いである可能性」



ミアの中にある“地球”の情景は鮮明すぎる。ミアはそれが自分の脳が作り上げた景色であるとは到底思えなかった。


ミアにとって最も現実的なのは、作者が地球を知っていた可能性だ。




しかしアブサロンは三本目の指を立てて、もう1つ、ミアがこの絵本の登場人物である可能性を提示した。



「この御伽噺がどうしてこの国の誰もが知るほど普及したかと言うと、この学園の創設者である、魔王と呼ばれた偉大なる魔法使いが残したものだからだ」



ドゥンケルハイト・ウニヴェルズィテートの創設者は、この学園とこの絵本をこの世に残して死に、灰となって消えた。


この絵本は遺言と言っていい物だ。




「誰もがこの話を、ただの絵本だと思っている。けどこれが予言だったとしたら?」




予知魔法は高度な魔法で、魔法使い自身がかなり精密な魔力のコントロールと魔力量を身に付けていなければ成立しない。優秀な魔法使いが集まるこの学校でも、予知魔法を扱える魔法使いは百年に一人いるかいないか。それも、鮮明な予知ができる人間はほぼいない。


大抵、モノクロでぼやけていて、起こりうるとは思えないほど現実とかけ離れた、曖昧な予知。十回に一回当たる程度の、少しだけ信頼性の高い占いのようなものだ。


しかし、魔王の発動した予知魔法ならどうだろう。

その有り余る魔力を自在に扱い、千年先のことだって容易に予言できたかもしれない。




「君はマギーと魔法使いを滅ぼすためにやってきたってことになる」




アブサロンの表情があまりに真剣なため、ミアはまたごくりと唾を飲んだ。



自分が魔法使いを滅ぼす存在?

そのために地球からここまでやってきた?




急にズキズキと頭が痛み始め、ミアは思わず額を押さえた。




激しい痛みの中、頭の中に見知らぬ美しい女性の姿が浮かび上がってきて、何かをミアに伝えている。


その口の動きを必死に追っていたその時、



「……なーんてことがあったら面白いよね!映画みたいで」



パッとアブサロンの表情が明るくなり、美しい女性の姿がミアの中から消えた。





一瞬にしてびっしょり汗をかいていたミアは、ふう、と大きく息を吐き、直後寒くなってきてマントを羽織った。



(何、今の……? 誰?)



困惑しながらテーブルの上の絵本を凝視するミアを、アブサロンがずずっと魔法茶を啜りながら、何か深く思考するかのようにじっと見ていた。







――時間は進み、その日の放課後。



「ここで働かせてください!」



ミアがバイト先として選んだのは―――少し前に大量の椅子や飾りを破壊したカフェ、【魔法使いの弟子】だった。





「ふぉっふぉっふぉ。図太くてよろしい」



オーナーは肩を大きく揺らして笑い、あっさりとミアの顔を上げさせた。


ドキドキしながらオーナーの顔色を窺うミアだが、オーナーの機嫌は予想外にもかなり良く、後ろを振り返ってそこにいる男に指示をする。



「スヴェン。面倒を見てやりなさい」



薄暗くてよく見えなかったスタッフオンリーの個室から、良い香りのする男が出てきた。


褐色の肌とミルクチョコレート色の髪、眼鏡と黒手袋をした、色男という言葉がぴったりの色気溢れるその男は、店員用のエプロンをかけていた。



そしてミアを見下ろして数秒、


「あれ?決闘ドゥエルする子ちゃうん。一年の」


とこの国の西部訛りのイントネーションで問いかけた。



「僕、4年のスヴェン。知っとると思うけど。そっちはミアやろ?」



こくこくと頷くミア。



カトリナとドゥエルすることになったためにここの生徒にかなり顔が割れていることは分かっていたが、まさか3つ上の学年にまで顔を覚えられているとは思わなかった。




「珍しいな。何でここにしたん?給料ええけど重労働やで。僕もおるし。」

「剣がほしくて……」

「剣?」

「戦うための魔法剣が買いたくて」

「ふぅん?」



腰を曲げ、ミアの顔にかかる前髪を指でかき上げてミアの顔を覗き込み、じーっと見つめたスヴェンは、



「そら、馬車馬のように働かなあかんなぁ」



――――まるで奴隷を見つけたかのような悪役じみた笑みを浮かべた。




「スープの材料買ってき。3分以内な。僕、待つん嫌いやねん」




首根っこを掴まれ材料のメモだけを渡され、店の外へ出される。



(こ、怖……っ。あんな悪い顔してる人の下に付いていいんだろうか……)



ミアは不安に思いながら、“3分以内”などという無茶を言われたのをハッと思い出し、急いで走り始めた。





「さて。どういう風の吹き回しなん?爺さん」



ミアを追い出した後、スヴェンは腰に掛けていたじゃらじゃらした鍵掛けから鍵を一つを外し、コーヒー豆の蓋を開ける。豆の良い香りが漂った。



「ここ、大切な店なんやろ。本来もっときっつぅい面接やってるやん」



【魔法使いの弟子】は、求人募集を出してはいるものの、ほぼ人を求めていないような店である。


歴代オペラであるオーナーから出される過酷な試練を突破し、オーナー自身に気に入られなければ店員としては働けない。採用基準は特になく、オーナーがただ漠然と強いと認めなければ入ることができないのだ。


おかげで、アルバイト店員は現在スヴェンしかいない状態である。人手不足はオーナーの魔法で補っているため店は回っており、それでも問題はなかった。



「ふぉっふぉ。あの子はわしのお気に入りじゃから」



スヴェンはコーヒーをカップに注ぎ、温度が下がらない魔法をかけながら、オーナーの発言に不可解さを感じていた。



オーナーは度重なる魔法戦争で多くの友人をなくしている。


知り合いなどごく少数であるはずだが……。



(親戚の孫か何かか)



そこまで考えるほどの興味もなかったので、そこで思考することをやめたスヴェンは、パっと笑顔を作って客の元にコーヒーを運んだ。


スヴェンを目的に来店したため、キャーと黄色い声を上げて沸き立つ女子生徒たち。


スヴェンは女子生徒たちに頼まれてツーショットを撮影し良い気分になりながら、ご機嫌でフードメニューの準備に戻った。




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ミアがアルバイトを始めて一週間ほどが経った頃。



「お前、最近やつれてね?」



魔法図書館での勉強を終え、いつもの如く待ち合わせ場所にミアを迎えに来たテオは、ミアがあまりにもげっそりしているため思わずそうツっこんだ。



ミアは疲れた様子で「やつれても美人でしょ」と茶化した。


授業が終わればブルーノによる召喚魔法の特訓、予習復習、ドゥエルのための特訓があり、バイト先ではスヴェンにこき使われ、心が休まる暇もないのだ。




「そんなんで大丈夫なのかよ。明日ドゥエルだろ」

「大丈夫ですー。あ、そう、バイトの仕入れしてる時にね、良いもの見つけちゃって、魔法剣買わずにそれで戦おうと思ってるんだ」

「良いものぉ?」

「ふふ、楽しみにしてて」



目の下にクマを作ったままにやりと笑うミアを、テオはいくらか不安な気持ちで見つめた。



「今日はよく寝ろよ。明日の朝飯、ブルーノが作ってくれるらしいし」

「うん!楽しみ」

「ブルーノの飯マジうまいからな。それ食って元気いっぱいで行け」



むにっとミアの片方の頬を抓って笑うテオ。



テオは、ミアがあのカトリナに勝てるなどとは思っていない。


ただ、ミアのここ最近の努力は評価しているのだ。


ブルーノとの特訓でも弱音を吐いたことがなく、昼間の勉学にも励み、宿題もこなし、バイトもして、個人的な魔法の練習もしていることをテオは知っている。



負けても労いだけはしてやろう、そういう親のような気持ちでテオはミアを見ていた。




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