使いの魔獣





カトリナに歯向かってからというもの、ミアは《知の部屋》で案の定クラスの異分子のような存在になっていた。



教室へ入った瞬間にクラス中がシーンと静まり返り、机へ向かって歩くとひそひそと何か囁かれる。


古びた椅子に腰をかけ、教科書を開くミアに話しかける者は誰もいない。


大方予想通りだ。


ミアは動揺する素振りも見せずに、黙々と今日の小テストの勉強をする。



知の部屋の担任バルバラにミアについての報告を受けていた養護教諭アブサロンは、黒猫の姿になって知の部屋の様子を見にきていたが、これならば心配は要らないだろうと思い、カラスへと姿を変えて帰っていった。





次の日も、そのまた次の日も、ミアは明らかに自分への敵意を持った集団の中へと平気で入っていく。



ミアは意外にも勤勉で、なかなか高得点を取れずにいた小テストでも徐々に最高点近い点数を叩き出すようになった。


この知性を武器として入学した、よりすぐりの生徒の中でだ。




カトリナはそれを見てやはり気に入らないと思った。


知の部屋の成績順位は毎日新しく出されるが、一位はカトリナ、二位はミアという状況が続く。



(平民の家の子と並ぶなんて……。)



ミアがどこの家の娘かは未だに教えてもらっていないが、イーゼンブルク家にいて名前を聞いたことがないということは、さほど有名な家の出ではないのだろうとカトリナは推測する。


知の部屋に所属する生徒は、イーゼンブルク家ほどではないにしてもその名前を一度は聞いたことがあるような金持ちのご子息・ご令嬢ばかりだ。


あのような庶民的な女が二位を取れるようなクラスなのか、ここは。



知の部屋に所属する身としてのプライドが傷付いたカトリナは、その日の休み時間、ミアを廊下に連れ出した。



「ズルをしているのではなくって?」



長い髪を手で払いながら、カトリナはミアを壁に追い詰めて聞く。



「あなたのような途中から参加した身の人間がどうやってあんな高得点を取るんですの?おかしいですわ」

「授業に追いつけるように、頑張って勉強してるからだよ。本当にズルをしているなら、どうして二位なんていう中途半端な位置で止まるわけ?ズルをするなら徹底的に、あなたのことも追い抜いてる」



決闘ドゥエルがあることもあり、ミアは授業の予習復習はもちろん、寮でテオやブルーノにも一年の授業で重要なポイントを教わっていた。


ミアがテストで高得点を取る理由は、元々勉強が得意な性質であるのと、魔法に対しての興味が多分にあるのと、努力の量に他ならない。



「へえ。頑張ったけれど、わたくしには勝てなかったんですのね。所詮その程度ということですわ」



難癖をつけたことを謝罪する素振りもなしに、くすくす、と口元に手を当てて嘲るカトリナ。


しかしミアは、平然とした様子で同意した。



「うん。結構頑張ったんだけど勝てなかったよ」



ミアが悔しそうでも何でもないことにカトリナは驚き、目を見開く。



「あなたはとても知的で、頑張り屋さんなんだね。カトリナ」



美しい瞳でまっすぐに見つめられ、カトリナは怯んだ。


壁に追い詰められているミアの方が立ち位置的には弱者であるはずなのに、ミアにはカトリナを制するほどのオーラがあった。



「当然ですわ!」



語気鋭く言い放ち、くるりと踵を返したカトリナは、カッカッ!とヒールを鳴らして教室へと戻っていってしまう。



何だったんだ一体……と半ば呆れながら、ミアはふと自分の喉が渇いていることに気付く。

そういえば二限目は魔法体術の授業で、かなり体を動かしたのだ。



ドゥンケルハイト・ウニヴェルズィテートの廊下では、小さな妖精の売り子たちが食べ物や飲み物を生徒に売ろうと飛び回っている。


学内での買い物は、決して燃えない型紙でできた名刺――学生証として使われているやや茶色がかった紙を提示すればできる。



ミアは昨日養護教諭アブサロンにその名刺をもらったばかりだった。


早速使ってみようと思い、言葉を喋れない売り子の妖精たちに名刺を差し出し、欲しい飲み物とパンを指差すと、妖精はにっこりと目を細めて指示されたものを渡してきた。



(すごい、本当に買い物できた……)



返してもらった名刺を握り締め、正式な生徒でもない自分にこの学校の制服や学生証を与えられる養護教諭アブサロンは一体何者なのだろうと疑問に思う。



毎日お昼休みには保健室へ行き、アブサロンとお茶をするほどの仲になったが、ミアにとっては未だによく分からない人である。



ミアが呑気に考え事をして教室へ向かっていると、学内のあちこちを飛び交うゴーストたちが歌い始め、授業の開始を知らせた。



――まずい。もう始まる。


ミアは焦って走り出すが、教室のドアや窓はぐにゃぐにゃと歪み始め、姿を消し、ただの壁と化す。



授業が始まると、外に居る者は教室へは一切入れなくなるのだ。



(……またやっちゃった)



この学校の時計はミアが記憶している時計とは異なり数字の数が少なく、記憶と合致しているのは円形に数字が配置されているという点のみであるため、未だにミアは時計が読めない。


休み時間は感覚で、このくらいだろうという時間に教室へ戻っている。


そのため、読みを外すと授業に遅れるのだ。



授業が終わるまでどこかで時間を潰そうと思ったミアは、知らない方向へと歩き始める。




授業をサボる時は、学校の敷地内の探索をすると決めていた。





動く階段を降り、校舎の外へ出て、魔法の噴水を通り過ぎ、飛び回る炎を頼りに川に沿って歩く。


フィンゼル魔法学校の敷地は広大で、一年かけても全て回れるか分からないほどだ。


ミアにとって校舎の外を歩き回ることはまるで冒険のようだった。



しばらく歩いていると、深い霧に包まれた、針葉樹林が並び立つ怪しい森があった。


多くの生徒が見つけても脅えて立ち入らないその場所を見て、ミアは秘密基地を見つけたかのような喜びを得た。



この森は“惑いの森”と呼ばれる、学内のマップには表示されていないスポットだ。


この場所自体が魔力を持ち、生きている。そのため移動する。


見つけようと思っても見つけられないことが多いが、ごくたまに迷い込む生徒もいるようだ。



悪いゴーストも沢山住むその森からは、不気味な唸り声が聞こえているが――ミアは特に気にする様子もなく入っていった。



ミアが森に足を踏み入れた瞬間、付いてきてくれていた炎がふっと消えた。


突然周囲が冷ややかに、真っ暗になる。



ミアはあの男子生徒にもらった杖を取り出し、魔法で明かりをつけた。


炎ではなく光の玉が、今度はミアの行く先を照らしてくれている。


足元は見えるようになったが、濃い霧のために先が見えない。



目を凝らしながら先へ進んでいた――その刹那、どす黒く嫌な気配が凄いスピードで自分の方へ迫ってくるのを感じたミアは、ばっと振り返って杖を構えた。



「ブラーゼン!!」



ミアが呪文を唱えると、ミアを包み込もうとして襲い掛かった悪のゴーストは、風で吹き飛んでいく。




(ちょうどいい魔力で魔法を発動できるようになってきた気がする)




以前のミアであればまだ魔力のコントロールができなかったため、巻き起こった風でこの森の木々をなぎ倒していただろう。


大切な臓器である木に乱暴をされたとなれば、この恐ろしい森は黙っていない。


永遠にミアを内に閉じ込め、死ぬまで飼うことも有り得た――そのような危機を乗り越えたこと、ミアは知る由もないが。



迷子になっては困るので、通った道に印を付けることにした。


魔法で生成した光の玉が通った道は、ミアが光の玉を消すまで光り続ける。



先程の一撃で他のゴーストたちはミアが強い魔法使いであると認識し、身を潜めるようにして森の奥へと帰っていった。


ミアは目を閉じて嫌な気配が完全に消えたことを確認すると、一歩一歩と足場の悪い森を進んだ。



(びっくりした……襲ってくるゴーストなんているんだ)



校舎内にいるゴーストたちは、大抵この学校の歴代の先生で、生徒に危害を加えることはない。


悪意を持って近付いてくるゴーストに、ミアは初めて出くわした。



場所によってゴーストの性質は変わるのだと認識し、できるだけ気を付けながら歩いていると、あるところで、ミアの隣に浮かぶ光の玉ではない光が見えた。


その光の周りには霧がなく、澄んだ空気を感じた。



より近付くと、その光の中心に、額の中央に角が生えた、白い馬のような生物がいるのが見えた。臀部からはライオンの尾が生えている。

――この生物をユニコーンと呼ぶことを、ミアは知らない。


ユニコーンのあまりの神秘的な雰囲気、美しさに見惚れたミアは、しかしユニコーンがこちらに対し好意的でないことを悟る。


緋色の瞳からは獰猛さしか感じられない。


今にもこちらを襲ってきそうだ――嫌な予感がしたミアは、方向転換して走り出した。



(ほうきを持ってくればよかった)



飛行魔法の授業で、ほうきに跨って飛ぶ方法は習った。


ミアはまだ安定して空を飛べないものの、その方が走るよりもずっと速く長距離移動ができる。



(……いや、ここで飛行は使えないか)



邪魔な木が多すぎる。この間を潜り抜けていくなど、かなり飛行魔法のコントロールがうまくないとできない。


どちらにしろ走って逃げるしかない。


先程のゴーストは一撃で追い払うことができたが――あの生物は何かもっと強大な力を持っている気がする。



魔法を勉強し始めてまだ日の浅い自分では対抗できないと考えたミアは、ひたすらに光の玉を隣に連れて走った。




森のかなり奥に到達した時、ミアの息は切れていた。


ぜえっぜえっと激しい呼吸したミアは、息切れが落ち着いたところで先程買った水を半分飲んだ。



それにしても、少し探索するつもりが、随分遠いところまで来てしまった。


しかも、戻っていたらまたあのユニコーンと遭遇してしまうかもしれない。





また走ることになる可能性があるなら、ここで少し休もう。



そう思って地面に座ると、ふさ、と何かの毛がミアの背中に当たった。




びっくりして立ち上がると――



金眼の、美しい黒オオカミが横になっていた。



オオカミの目は短く細められ、ミアの方をじっと見つめている。



体高は見たところ立てば130センチメートルほど、頭部はミアの身長より頭一つ分低い程度だろう。



ミアは不思議とそのオオカミが怖くなかった。


その瞳をじっと見つめ、胴体に視線を移動させると、次に足。


オオカミの下の地面に広がる赤黒い血を見て、冷静に声を掛ける。



「怪我をしてるの?」



オオカミは何も答えない。


ミアはオオカミにより近付き、足の付け根を触った。


どろりとした血がミアの手のひらにべったりと付着する。



「治してあげる。それから、水もあげるね。こんな場所で倒れていたら、水分補給もできていないでしょう」



ミアは水の残りを汚れていない方の手の平に垂らし、オオカミに差し出す。


オオカミは厚く温かい舌を出し、その水を少しずつ舐めた。



ミアはオオカミが飲まなくなるまで水を与えると、杖を使って治癒魔法をかけた。


足の付け根に干渉するが効かなかったので、今度は腹に向かって呪文を唱える。


すると、みるみるうちに血が消えていった。どうやら杖の先が怪我をした部位に向いていないと効かないらしい。


オオカミが怪我をしていたのは腹部で、足の付け根には血が垂れていただけだったのだ。



オオカミは立ち上がり、ミアの顔に頬を擦りつける。


もふもふした毛で顔を撫でられ、「あはは、くすぐったいよ」とミアはけらけら笑った。



本当に治ったかどうか確認するために、綺麗になったオオカミの腹部を見ると、そこにはミアの腕にあるのと同じマークがあった。


同じ形、同じ色。偶然とは思えないほど全く同じ花のマーク。



「……お揃いだね」



これが意味するところが、ミアには分からない。


でもこのオオカミはきっと自分と同じだと感じたミアは、ようやく仲間を見つけたかのように、オオカミの体にもたれ掛かった。



ぐう、と腹が鳴ったので先程買ったパンを千切って食べる。


オオカミに凭れたまま空を見上げると、相変わらずどこまでも続く黒だった。



「ここは一日中月も太陽もないから風情がないね」



言葉を喋れないであろうオオカミに語り掛ける。オオカミは何も言わないが、不思議と通じている気がした。



「私の記憶ではね、空に丸い光が浮かんでたんだ。でもここから見る空は真っ暗」



自分のことは全然思い出せないけれど、常識的な記憶はあるのだ。


例えば、文字の書き方。言葉。天体。食べていたもの。


言葉や文字や食べ物は同種だが、この国はその他のほとんどのものが自分の知る常識と異なっている。


おかしな時計。おかしな世界。おかしな空。おかしな時間の流れ方。自分の知らない“魔法”という術。



自分は何らかの理由で記憶に障害を抱えたのだ。


忘れている事柄、覚えている事柄、記憶違いを起こしている事柄、そのどれもあっておかしくはない。



けれど――



「あの空に浮かぶ光だけは、正しい記憶であってほしかったなあ」



ミアがぽつりと呟いたその時、がさりと木が揺れる音がした。



そういえば、先程からやけに周囲が明るい。


それどころか、徐々により明るくなっていく。



ミアは慌てて姿勢を正し、周囲を見回した。




オオカミの影に隠れて見えなかったが――――あの緋色の目をしたユニコーンが、仲間を何頭も引き連れて、一直線にこちらへと走ってきていた。






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