知の部屋




「――――ミアを入学させる?」



翌日保健室に呼び出されたテオとブルーノは、養護教諭アブサロンから突飛なアイデアを聞かされ、ミア本人よりも驚きの声を上げた。



「ミアは魔法を使えないんですよ?とてもドゥンヴェルの授業に付いていけるとは思えません」

「知の部屋ならどうだい」



冷静に反論を返すブルーノに、魔法茶を入れながらご機嫌な様子で答えるアブサロン。


一つの学年の中でも生徒は《占の部屋》《体の部屋》《北の部屋》《知の部屋》に分けられる。

《知の部屋》とは、魔法ではなく座学を重視するクラスであり、特徴として、親がこの学園に多額の支援をしている裕福な家庭の娘息子が多い。



「っつーか、そもそも試験を突破してもいない部外者を、一時的にでも生徒として認めるのは常識的にどうかと思いますケド」



テオが軽く手を挙げて意見する。



「ハラハラして楽しいだろう?最近刺激がなくて退屈だと思っていたんだ。知の部屋一年の担任はぼくに協力的でもあるし、頼んだら快く了承してくれたよ」



が、アブサロンに常識など通用しない。



「もう頼んだんスか!?」

「ああ。思い立ったら行動するのが一番いい」



ご機嫌な様子で、にこやかにミアの頭を撫でるアブサロン。


ブルーノは知の部屋の一年生の担任の顔を思い浮かべ、とても彼女がアブサロンに対して“協力的”で“快く了承”するとは思えない、と内心思った。

彼女はアブサロンの元同期で幼い頃からの知り合いではあるが、アブサロンのことはどちらかと言うと敵対視している。


となると、脅して言うことを聞かせたとしか……。



――相変わらず穏やかな男ではないな。

ブルーノは溜め息を吐き、ミアを見た。



「お前はどうしたいんだ」

「……入学したいって私が言った」

「は?」



てっきりアブサロンが自分の娯楽としてミアを使おうとしているのだと考えていたブルーノとテオは顔を見合わせる。



「記憶がないままじゃ、どこへ行けばいいのかも分からない。それに私、この学校の敷地内から出ちゃいけない気がする」



ミアはそう言いながら、服の上から自身の腕をぎゅっと握った。



「何かに狙われていて、この学園から出たらすぐにでも心臓を抉り取られそうな気がする」



ミアが言っているのはあくまで感覚上の話に過ぎないが、記憶がなくともどこかで何かを覚えているからこそそう感じている可能性もある。

ブルーノはミアの発言から彼女がこの学校から出ないことには賛成することにしたが、仮入学までする必要性は感じられず、止めようとした。


しかし。



「それに、私魔法について学びたい。ブルーノの魔法を見て、すごく綺麗だと思ったから」



あまりにも真っ直ぐで素直な言葉を投げかけられ、ぐっと言葉を飲み込んだ。



「まあ……そういうことなら。ただ、他の教師に知られると面倒なことになる。目立つ行動は控えるといい。お前のためにもだ」

「あーれぇ、ブルーノお前、随分甘くね?」



横から冷やかしを入れてくるテオを肘で付き、ブルーノは続ける。



「魔法を使えるようになれば記憶を取り戻すかもしれないからな。あくまでも生徒として認めるのは記憶が戻るまでだ。分かってるな?」

「うん!」



嬉しそうにはしゃぐミアの明るい返事を聞いて苦笑するブルーノ。

その横でアブサロンはしめしめと口角を上げているが、唯一納得がいっていない様子なのは、意外にもテオである。



(えー……マジで入れんのかよ。問題になっても知らねー。俺は止めましたって言お)



テオは心の中でそんなことを考えながら、しかし口には出さずに、頭の後ろで腕を組み踵を返した。



「……話はそんだけっすか?俺ユニコーンの餌やり頼まれてるんで行ってきますね。じゃあなブルーノとミア、また後で」



それだけ言って保健室を後にしたテオの後ろ姿を見て、私の言動をあまり快くは思っていないのだろうな、とミアはぼんやり察していた。




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一年生の授業は、既に始まって二週間が経過していた。


そんな中新しく入ってきたミアは、案の定浮くことになった。

事故による怪我を理由に二週間休んでいた――ということになっている。



担任のバルバラ先生とは少し話をしたが、バルバラ先生もミアをあまりよく思っていないようだった。


深く関わりたくないと言わんばかりに必要最低限のことしか言わず、聞かずにミアを知の部屋の教室へと案内した。


バルバラ先生は若い女性の先生で、足が長いにも関わらず黒いハイヒールを履いているため、ミアは彼女と目を合わせるために見上げなければならなかった。艶のあるストレートの黒髪を後ろで一つに束ねた、細身の美しい女性。ミアとは目を合わせず、一度も笑ってはくれなかった。



「我がレヒトの国、そして現在は国交を断絶している隣国リンクスの国は、以前まで王政でしたが、魔法軍の反乱により革命が起き、王族が滅び、現在最大権力を持つ行政機関は魔法省であり、魔法軍は防衛軍と名を改め現在も活動しています。32ページを開いてください」



知の部屋は聞いていた通り座学が多く、まだ魔法を使った授業をする気配はない。


魔法史や魔法薬学の記号だらけの黒板を写したり、呪文の暗記をしたりと、初めてのミアにとってなかなか苦痛な授業が続いた。


記憶にないこの地の知識を無理矢理頭に叩き込み続け疲れたミアが、授業が終わってすぐに机に突っ伏していると、ふわりと柑橘系のきつめの匂いがした。




「授業開始早々二週間もお休みなさっていたくせに余裕ですこと」



冷たい声に顔を上げる。


グレーの髪と血のような赤い瞳を持つ、ツインテールの、背丈の短い女子生徒が立っていた。


その両隣には、ずらりと他の女子生徒が並んでいる。



「えっと……」

「あら、何ですのそのお顔。まさかわたくしのことをご存知ないのかしら。……って、そんなわけないですわよね。なんてったってイーゼンブルク家の娘ですもの」



くすくすと可笑しそうに笑う“イーゼンブルク家の娘”の隣で、他の女生徒たちも同様に笑い始めた。

なんだなんだ、とミアは不審がって眉を寄せる。



「……私に何か用事?」



疲れているミアはさっさと寝たいため、用件を急かす。

その態度が気に入らなかったのか、“イーゼンブルク家の娘”はぴくりと眉を動かした。



「あなたはどこの家の子なのかしら」



悪意を持っていることが一発で分かる目付き。

ミアを見下しているかのような、自分の味方にならないのなら排除したがっているような、そんな目だ。



「それって、そんなに必要な情報なの?」



ミアは反発心を疑問として投げかけた。

記憶がないミアは自分の家族のことを答えられないため、質問を回避したい気持ちもあった。


しかし、“イーゼンブルク家の娘”にとってはその返答は自分を舐めてかかっているものであったようで。



「……気に入らないわ。わたくしと勝負なさい」



それを聞いて、途端に教室がざわつき始めた。


(勝負……?)


意味が分からず目をパチパチさせるミアだったが、周りは意味を理解しているようである。



「この者に決闘ドゥエルを申し込むということですか、カトリナ様!?」

「知の部屋初の決闘ドゥエル……楽しみでなりませんわ、カトリナ様」

「カトリナ様なら楽勝です!この生意気な者をボコボコにしてしまいましょう!」



ミアに分かるのは、“イーゼンブルク家の娘”がカトリナという名前であることだけだった。



「入学説明会にも参加していなかったあなたはご存知ないかもしれませんから、説明して差し上げますわ。この学園には決闘ドゥエル制度がありますの。魔法で対決し、負けた方の生徒を停学に追い込めるんです。素敵な制度でしょう?」



――このカトリナという娘は、元よりドゥエルの相手を探していた。

ドゥエルは飛び級判定に利用できたり、内容によっては定期試験の免除に繋がったりするだけでなく――とにかく、目立つ。


ドゥエル用に用意される会場は広く、全校生徒を収容するのに十分なスペースがある。

ドゥエル開催中はドリンクなどの無料サービスも提供されており、多くの観客が集まるため、自身の実力を見せつけるには絶好の機会なのだ。




折角無理を言って授業に出ているのに、停学させられては意味がない。


どう考えてもミアにとって避けるべき事態である。



ご丁寧に説明してくださるカトリナに対し、ミアは立ち上がって言った。



「受けて立つよ」



――ブルーノたちにとっての誤算は、このミアという少女が、彼らが思っているほど後先を考えるタイプの人間ではないことだった。






ミアは授業が終わった後、中庭のベンチに座って学園図書館で借りた魔法書を読むことにした。


書かれている呪文を一ページ目からぶつぶつ呟くが、魔法の発生の気配は見られない。



――困った。これではカトリナに対抗できない。



うんうんと唸っていると、ミアの見ていたページが、不意に誰かの影で暗くなった。


顔を上げると、顔にそばかすのある地味な見た目の、生徒らしき男が立っていた。



「見ない顔じゃな」



中庭に浮かぶ炎の光が二人を照らしている。



「こんにちは」

「名前は」

「ミア」

「何しよるん」



ミアは逡巡した。素直に答えていいのかと。

しかしこの男子生徒は見るからに無害そうな、人のよさそうな男であるため、正直に答えた。



「魔法の練習をしているの。なかなか発動させられなくて」

「ほう?」



どこにでもいそうなその男子生徒は目を細め、薄く笑う。



「唱えるだけで発動させるにはコツが要る。魔法っちゅーのは、最初は動きで発動させるもんじゃ」



男子生徒はミアに木の棒を差し出した。



「これは初心者向けの魔法の杖じゃけぇ、念じながら振るとええ。なあに、お前さんならできるさ」

「念じる……?」

「何かしたいことはないんか。……そうじゃなぁ、例えば、この川に住む恥ずかしがり屋の水妖たちを呼び出したい、とか」



中庭を流れる川に住むウィンディーネやローレライは、人が近付くとすぐに水の中へと逃げてしまう。

この間ミアがブルーノとこの中庭へやってきた時もそうだった。


ちらりと見えた美しい横顔。あの水妖たちをよく見たい――確かに、そう思わないわけではなかった。




ミアは貸してもらった杖をぎゅっと握り締め、川に向かって一振りする。




――――途端、轟音と共に川の水が割れ、眩い光の中に何人もの美しい女性たち――ウィンディーネやローレライが現れた。




「おお、この川、こんなに住んどったんじゃな」



自分で驚いているミアの隣で、男子生徒は楽し気に笑う。




「すごい。私天才では……?」



本当に杖を振るだけでこんなことになるなんて、とミアが呆気にとられたところで、力が抜けたのか川の水が戻っていった。



「そうじゃなあ、天才天才」

「適当に言ってるでしょ」



むっとするミアに、男子生徒はケラケラと笑い続ける。



「上出来やったよ。これだけ魔力をコントロールできれば、練習なんかせんでも一年の初期の授業なんて楽勝じゃと思うが」

「でも私、決闘ドゥエルを申し込まれて。なんかよく分からないけど有名な子らしいから、これじゃ勝てないと思うの」

「ドゥエル?入学早々大変じゃのう。相手は」

「カトリナっていう、同じクラスの子」

「イーゼンブルク家の?」



ぶはっとまた吹き出した男子生徒は、杖を返そうとしたミアに対し、「いらんよ」と首を横に振った。



「ドゥエルが終わるまで預けておこう。お前さんはこの杖と相性がよさげじゃからの」

「えっ……でも、」

「健闘を祈る」



ふわりと蛍のような光が男子生徒の周りをぽつぽつと照らしたかと思えば、ミアが次に瞬きをしたその後、彼はミアの前から姿を消していた。




――――渡り廊下の向こう側。


中庭が見える位置で、ミアと先程別れたばかりの男子生徒は、ミアを改めて眺めていた。



彼の姿は、煙を帯びながら変わっていく。



茶色だった頭髪はモスグリーンに、そばかすのあった肌は透き通るような白色に。




ドゥンケルハイト・ウニヴェルズィテート国内最高峰の魔法学校に入学しておきながら、“魔法が発動させられない”、ねえ……」



クスクスと思い出し笑いをした彼の周りでは、魔力に引き寄せられたカラスやフクロウが飛び交っている。


木の精霊ドライアードも、見失っていたものをようやく見つけたかのように、舞いながら彼の肩に乗った。




「面白いことを言う新入生じゃのう」



まるで猫を可愛がるようにドライアードの顎を撫でながら、彼は楽し気に闇に包まれた空を見上げた。





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