Kapitel 1 一年生編

空が光った日




「唱えるだけで願いが叶うなら。そう思ったことはありませんか?」



冷え切った教室内を、天井に吊るされた不気味なランプが橙色に照らしていた。

同じ空間を共有する五十名の生徒たちは黒を基調とした制服に身を包み、魔法の杖を古びた勉強机の前方に置いている。



「信じることが重要です。有り得ないという先入観で物事を見ない。いいですか」



詠唱の担当教員の魔法使いは、魔法の杖をトントンと教卓に当てる癖があった。

その一定のリズムが生徒たちの眠気を誘う。



レヒトの国で初めて設立された歴史ある魔法学校であり、多数の検査で高水準を記録した国内で最も “可能性のある” 魔法使いの卵たちが揃う、国防省に隣接した名誉ある教育機関。


その一年次で習う“詠唱”は、魔法学の基礎であり覚えることの多い科目である。


分厚い教科書をぺらぺらと捲る者、入学後さっそくできた友達と手紙のやり取りをする者、先生の目を見てしっかり話を聞くやる気に満ち溢れた者。

授業を受ける態度は様々だが、彼らの心に共通して在るのは選民意識と「この学校に入学したからには偉大なる魔法使いになれる」という自負心だった。



「繰り返しますが、詠唱をするうえで重要なのは、有り得ないと思わないことです。可能性を信じること、それが詠唱を成功させるコツです」



今日もレヒトの国の上空は厚い雲で覆われており、この惑星マギーの唯一の衛星からの光を遮っている。

空の上は変わらない闇夜。“レヒトの国に朝は来ない”という言葉もあるくらいだ。


入学して二週間。徐々に新しい学校生活にも慣れつつあり、生徒たちはこの変わらない日々を楽しんでいた。




しかし、この日は少し違ったのだ。





――――空が、

――――――――光った。



厚い雲を吹き飛ばすように、空間を裂いて無から有を生み出すように、


ほんの数秒、レヒトが光に照らされた。



生徒たちは立ち上がって窓へと駆け寄り、詠唱の教師も口をぽかんと開けたまま窓の外を見上げる。


しかしその現象はすぐに終わりを迎え、辺りは暗くなった。



ざわつく生徒たちの大半は怯えていた。

闇の国とも呼ばれるレヒトの民にとって自然の光は不吉なものであるからだ。



「……席に戻ってください。授業を続けますよ」



教師が一度教卓に置いた杖を持ち直すのを合図に、生徒たちは不安そうな顔をしながら戻っていく。


学内は防衛魔法による強力なシールドで守られており、多少の異常現象で大きな影響が出るとは考えにくい。

問題なく授業を再開できると判断した教師は、「12ページを開いてください」と生徒に教科書を開かせるのだった。





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がたんごとん、がたんごとん。

もくもくと煙を上げながら、学校の敷地内を走る蒸気機関車が青年の前を通り過ぎてゆく。

線路は途中から上空へと浮き始め、蒸気機関車もそれに合わせて坂を上がるように登っていった。


青年の青みがかった黒色の前髪が風で揺れる。

彼の名前はブルーノ。きりっとした眉に高い鼻、さっぱりとした短髪、すらりと長い脚、綺麗な横顔。

異性が放っておかないであろう容姿をしたこの男は、この魔法学校に通う新三年生である。



と、その後ろから、靴の踵を踏んだ状態でそこへ走ってくる男子生徒がいた。

少しウェーブのかかったグレーの髪を持つ彼の両腕には、フェニックスのタトゥーが彫られている。

気温の低いレヒトの国で登校時マントも纏わず半袖で来るのは彼くらいのものだ。



「クソ、乗り遅れた!」



彼は上空へと見えなくなっていく蒸気機関車を見上げ、悔しそうに吐き捨てる。



その後、ずっとそこに居たにも関わらず蒸気機関車を乗らずに見送り、ただ一点を見つめたまま黙って佇んでいる同級生を見つけ、


「…………ブルーノ、お前何やってんの?」


と不可解そうに近付いた。



「テオか」


ブルーノは今気付いたかのように、久しぶりに会う彼の名を呼んで振り返る。



「向こう側が光った気がした」

「そりゃ、照らされてるからな」

「そうじゃない。空が光ったんだ」

「空が?」



不可解そうに眉を顰めたテオは、「見間違いじゃねえの」と鼻で笑って、結びかけていたネクタイを結び、靴を履き直した。



「どうだったよ、帰省は」



彼ら三年生の授業開始日は二日後。長期休みを終えての新学期である。

長期休みは学年が上がる際の一度しかなく、大抵の人間は実家に帰省するのが一般的だ。



「一年生はもう授業始まってるらしいぞ。お前入学式来なかったから新入生の知り合いいねえだろ」

「必要ないだろ。年下は嫌いなんだ」

「お前そんなんだから顔はいいのに彼女いねえんだよ。もっと他人に興味持てって。可愛い子も結構いたぞ。紹介してやろうか」

「いらない」



テオはいつもの調子のブルーノの返答に「つれねーの。」とケラケラ笑う。



「旅行とか行った?」

「手続きが面倒だ」

「ま、そうね。俺は離島行ってきたケドね。彼女と」



ふふんと得意げに笑ってみせるテオ。

それを自慢だと感じていないブルーノは、「そうか」と返事しただけで話を広げる素振りがない。



そうこうしているうちに、霧の向こうから次の蒸気機関車がブルーノたちの元へやってくる。


プーーー、と間抜けな音を立てて停車した蒸気機関車。今日の車内は空いていた。

向かい合って座った二人は、荷物を自分たちの隣に置く。



「俺魔法史のレポートやってねえわ」

「二日で終わる量じゃないぞ」

「まあ、大丈夫っしょ。あのセンセー優しいし」

「生徒の未提出を無条件に許容する教師が“優しい”とは思えないが」

「そんな風にクソ真面目だから友達いねーんだよ、お前」



やれやれとまるで自分が正しいかのような発言をするテオを、ブルーノもまた呆れたように見ていた。




ゆっくりと前へ進んでいく蒸気機関車。

位置が高くなるにつれて、この学校の上空からの景色がよく見える。


学校の敷地内は百万を優に超える数のライトによって四六時中豪華に煌びやかに照らされており、レヒトの国で最も美しい夜景と言われている。


二年間通い、もう三年目になる彼らにとっては見慣れたものだが、それでも久しぶりに見ると圧倒されるものがあった。




蒸気機関車は徐々に降下してゆく。


メインの校舎に入るための校門が見えてきた。



  “ フィンゼル魔法学校 ”


校門前に存在感のある大きさで描かれたその文字の羅列は、この魔法学校の名前である。



二人がまず向かうのは校舎の横にある男子寮だ。


学園の生徒五百人が住む男子寮の最上階にある二人部屋にブルーノとテオは住んでいる。


一面ガラス張りのその部屋に住むことが許されるのは、学年のツートップのみだ。



広い室内はおそらく休み期間中に不法侵入したであろう悪戯好きの妖精ピクシーたちによって散らかされている。


これは毎度のことなので予想はできていたが、テオはぐちゃぐちゃに裂かれた状態で床に落ちている枕を指先で拾い、「ここのセキュリティ、どうにかならねーのかよ」と勘弁してくれという風に項垂れた。学内の野良ピクシーたちは魔力が強く、寮内のセキュリティを突破してくる。


そのうえピクシーは小型で可愛らしく女子の心を奪うことがうまいため、野良猫同様、餌付けされており寮の近くを離れない。


鞄から魔法の杖を出し、少し時間はかかるにせよ修繕魔法で一気に部屋を片付けようとしたテオを、ブルーノが言葉で止める。



「後にしないか。うまいワインを持ってきてるんだ」



テオは可笑しそうに片側の口角を上げた。



「俺おめーのそういう意外と雑なとこ好きよ」



荒れ果てた部屋の中で唯一無事だった大きな円卓テーブルを挟んで向かい合う二人。

テオが杖を軽く動かすと、食器棚に仕舞われたワイングラスが二つ、彼らの方向へと飛んできた。



「すげ、これ高ぇやつじゃねーの」

「誕生日だったからな」



長期休みの期間中に誕生日があるブルーノは、親族以外に誕生日を祝われることがない。

と言っても、この学校にブルーノの誕生日を祝うほどブルーノと親しい人間がいるかと言われれば、答えはノーだ。テオが先程言っていた通り、ブルーノには友人と呼べる友人がいない。それはブルーノの性格的な親しみにくさと家柄、優秀すぎる成績が災いしている。



「マジ久しぶり。家じゃ飲めねーもん」

「弟たちか」

「それもある。つか、俺んち誰も飲まねえから置いてねえし」



ボトルネックの出っ張りの下の部分にまずは半周、ソムリエナイフの刃で切り込みを入れる。



「それに、ここで飲むワインが一番うまい」

「……そうだな」



景色を一瞥して言ったテオに、ふっと破顔し同意を示すブルーノ。

コルクを抜いて、テオと自分のワイングラスに中身を注ぐ。



「乾杯」



かちゃんとグラスの合わさる音がした、その時。




――――天窓を突き破り、

――――――降ってきた“ソレ”。




ブルーノとテオの目にはスローモーションのように映った。




視界に広がる暗い金色。

それが女の髪であることに気付くのに数秒。



構える間もなく、ブルーノの体に女一人が落ちてくる分の衝撃が走った。




テオは咄嗟に防御魔法でガラスの破片から自分とブルーノの身を守ったのだが、人間一人分の重みは防ぎ切れなかったようだ。


女を受け止めて椅子ごと床に倒れたブルーノは、苦痛の表情を浮かべながら起き上がろうとする。と、こちらをじっと見つめる腹の上の女の茶色の瞳と目が合った。



「お前……、誰だ」



突然女が空から降ってくるという奇怪な現象に遭ったのは、さすがのブルーノも人生で初めてである。


ワイングラスはひっくり返り、床にワインが広がっていく。



「……ミア」



女の口から発されたのは、どうやら名前のようだった。


ミアと名乗った女。


本来ならば最初に疑うべきは怪しい侵入者という線だが、二人の目にはこの可愛らしい女子が敵のようには見えず、何らかの事故に巻き込まれたのだろうと予想した。



「ここ、どこ」

「分からないのか?どうやってここへ来た」



ミアはブルーノたちに自分を攻撃する意思がないと感じると、ゆっくりと上半身を起こして、痛みに耐えるように自身の頭を手で押さえ、苦しそうに目を瞑る。

ミアの首にぶらさがったネックレスと、そこに繋がる鍵が揺れた。



「……、……思い出せない」



ブルーノとテオは顔を見合わせる。

「分からない」「思い出せない」「ここはどこ」を繰り返すミアに、彼らは推測した。



このミアという女が――



「私、今まで、何やってたんだろう」



――――記憶を喪失しているであろうことを。




「刺激的な新学期の始まり方だな」



テオは思いがけない出来事を楽しむようにクックッと笑い、杖先を振って床に零れたワインを魔法で元に戻す。その様子を見たミアは一瞬ぎょっとした顔をしたが、すぐにブルーノへ視線を戻した。


ブルーノはテオとは違い険しい表情で起き上がり、まだ膝の上にいるミアに問いかける。



「ここまで飛ばされた経緯は。自分で飛んできたのか?」

「……分からない」

「何か分かることはないのか」

「名前とか、年齢とか、自分のことは少しだけ。でも……何があったのかは思い出せない」



ある程度冷静さを取り戻したらしいミアは、質問にゆっくりと答えていく。

その様子を椅子に腰かけたまま見下ろしているテオは、「制服着てねえけど、多分この学校の生徒だろ。問い合わせりゃすぐ分かる」と言った。



大方、悪い生徒にいじめられでもしたのだろう。


闇の魔力を主軸とするこの国では、人間としての器ごと成長しなければ、魔法の力が強いほど魔法に呑まれる。内に燻る闇の魔力で人格が歪み、耳を疑うほど残酷なことをする輩もたまにいるのだ。


この小さな女子を男子寮の天辺まで弾き飛ばすくらいのことはやってのけるかもしれない。



それがテオの予想だった。




「……養護教諭の元へ連れていく。俺達にはどうしようもない」



ブルーノがミアを立たせながら言う。

ブルーノを下敷きにしたため、幸いにも怪我はないようだった。




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   :

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「面白い子を連れてきたね」



養護教諭アブサロンは気だるげに白衣のポケットに手を突っ込んだまま、ブルーノとテオを保健室の中へ招く。


ミアは奥のベッドに腰をかけて休んでいるようだった。アブサロンの魔法で調合されたリラックス作用のある魔法茶の香りがする。



「大した異常はなかったよ。多少疲れている様子ではあったけれど」



耳にぶら下がるローズクォーツのピアスを揺らし、クスクスと色気のある笑い方をするアブサロン。


「記憶がないようなんですが」とすかさずブルーノが言う。



「命に別条はないよ。まぁ、そっとしておけばいい。記憶が飛ぶなんてよくあることだろう?」

「ねぇよ……」



アブサロンに聞こえない程度の声でぼそりとツッコミを入れるテオ。


聞こえているのかいないのか、アブサロンはその言葉には反応せず、優雅に紅茶を啜った。



「学内のデータを見たけれど、あの子のような生徒はいないようだね」

「は?生徒じゃない?」

「どうやら外部の人間らしい。加えて、国内でそれらしい行方不明者の捜索願はまだ出ていない。今できることはあまりないね。彼女の記憶が戻るのを待とう」

「治安部隊に預けないんですか」

「本人が嫌がったからねえ」



ちらりとカーテンで閉ざされた奥のベッドに目をやるアブサロン。


この国の治安部隊は手荒な手段を取りがちだ。彼としても、小さな女の子を引き渡すには気が引けた。



「そもそもどうやって外部の人間がこの学園の結界を破ってうちの寮に……」

「さぁ、ぼくには何とも。ただ、」



アブサロンは少し声を潜めた。



「腕に大きな傷がある。相当最近のものだよ」



「そりゃ、天窓突き破って入ってきたからな……」

「いや――傷というよりあれは……」



何か言いかけたアブサロンは、しかしすぐに口を閉ざし、パッと顔を上げた。



「ところで、君たち、お腹空いてるんじゃないのかい」




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