トーアの魔法使い

淡雪みさ

Prolog



水の滴り落ちる音がした。


その音で目を覚ました少女は、空っぽの浴槽の中からむくりと体を起こし、蛇口からぽたりぽたりと零れ落ちる水滴をぼんやり眺める。


次に少女の耳に届いたのは外の音。外では歴史的豪雨と落雷が三週間続いていた。


少女はバスルームから外へ出て、洗濯機の上に置いていた分厚い本を手に取り、自室へと向かう。


リビングの前を通った時、少女の義母が少女に声を掛けた。



「ミア、どこへ行っていたの」



ミア。少女の名前だった。

暗い金髪と明るい茶色の瞳を持つ、十九歳ばかりの彼女は、その透き通るような声で、今朝家を出ていた理由を答える。



「図書館へ」



それだけ言ったミアは、無表情のまま階段を上がっていった。


残された義母とその母親は困ったように顔を見合わせる。彼女たちは年頃の少女をどう扱って良いのかまだ分からなかった。



「度胸のある子ねえ。今は誰も外へ出たがらないのに」

「あの子は少し変わっているから」



二人の会話を背で聞きながら、ミアは自室の扉を開けた。






この世界がどこかおかしくなったのはほんの十年前のこと。



十年前、大規模な天体衝突が起こった。

地球の半分は既に一度滅びている。


世界は霧に包まれ、大陸が急速に移動し、異常気象が起こり、数多くの生物が絶滅し、また、急速な進化を経て新たな生物が生まれた。


この間、たった十年。


地球上には不規則に謎めいた扉――奥の見えない真っ黒な穴のような空間が出現するようになった。


その扉に近付いた者は誰一人として帰らない。


人々はその扉を“ 誘いの扉 ”と呼び、宗教的に魔界への入り口として恐れ、忌み嫌った。



「オフネン・トーア」



扉をこじ開けるものがいるなど

誰が考えただろうか





  :

  :

  :



「エグモント様、何者かが我が国の領空に出現しました」



レヒトの国の統率者の一人エグモントは、その報告を耳にしてぴくりと眉を動かした。



「空に?」

「はい、空にです」

「何かの間違いでしょう。あの厚い雲の中はとても生物が生存し続けられる寒さではありませんし、恐ろしい強風が起きているはずです。どんな魔法を使おうと、空からレヒトに侵入することは不可能ですよ」



「しかし実際に……」と言って口籠る家来を一瞥し、万年筆を置いたエグモント。

椅子から立ち上がり、統率者の華美な軍服のマントを翻し、カツカツと靴音を立てて部屋を出た。


近くにいた家来たちがさっと頭を下げる。彼らはエグモントに怯えているようだった。



「僕が魔法で撃墜しましょう。無能な防衛軍には任せていられませんからね」






彼らがいるのはレヒトの国――


魔法の惑星

マギーにある一国


地球上に不規則に現れる

“ 誘いの扉 ”を超えた先にある、

荒廃した国だった





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