第8話

8.

ききゅうが飛び立って最初の1日は、二人は生きた心地がしませんでした。

いつ電話がかかってくるか、あるいはベルヒアーの大顎が目の前に広がっているか、

気が抜けなかったのです。

しかし電話は鳴りませんでした。

ベルヒアーも姿を現しませんでした。


2日目も不安で不安でたまりませんでした。

ひょっとしたらベルヒアーは(あり得そうもないことですが)今までの仕事の退職金代わりに、1日だけの猶予をくれたのかもしれなかったからです。

でも電話は鳴らず、空に恐ろしい竜の影はありませんでした。


3日目も恐怖の1日でした。

もしかしてベルヒアーは世界一怖がっている少年たちを観察するために、自分たちを少しの間だけ生かしておいているのかもしれない。

そして飽きたらすぐにでも呑み込んでしまうのでは?

二人はそう考えました。

でも電話は鳴りませんし、竜もやってきません。


4日、5日、6日、7日。

恐怖は去りませんでしたが、二人は少し恐怖との付き合い方をおぼえました。


気球は南東に向かっています。

フランの図鑑によると、南東には大地底国という地面の下の国があるのだそうです。

いくらベルヒアーが世界の覇王だとはいえ、地下に隠れてしまえばその目を逃れられるのではないか、というのが、フランの考えです。

シモンは他に良い考えも無いので、それに同意しました。


女の子はよく泣きました。

彼女はまだほとんど言葉を話せませんが、親がいないことには気づいているようでした。二人はどうしていいかわからず、とにかく女の子に毛布をかけ、食べ物を与えました。

特にフランは女の子を泣き止ませようとかかりきりでしたが、あまり成果は上がりませんでした。


8日目は雲の多い日でした。

シモンは相変わらず怯えながらききゅうの周囲を見張っていましたし、フランは相変わらずなんとか女の子をなだめようと苦心していました。

不意にシモンが声を上げました。


「なにかいる」

「なに?」フランが振り向きます。

「その雲の向こうに何かいた」

シモンが雲を指さしました。

「鳥か何かじゃないか」

「いや違う。もっと大きな何かだ」

「そんなはずがない。もしベルヒアーが来たなら僕たちはとっくに殺されているし、

空にベルヒアーと鳥以外のものがいるはずがない」

「でもいたんだ」


少年たちは大きな雲を不安そうに見つめました。

ききゅうは飛び、やがて雲を通り過ぎました。

すると雲の向こう側から、少年たちが良く知っているものが現れました。


ききゅうです。

ほかのききゅうでした。

シモンは大急ぎで望遠鏡を取り出して、のぞきました。

あちらのききゅうにも、少年と少女がのっていました。

あちらのききゅうの少年と少女も帽子をかぶっています。


シモンとフランはすっかり驚いて、ききゅうの操縦も忘れてしまいました。

その間にあちらのききゅうは、こちらに近づいてきました。


「あの子たちはなんだろう」シモンがフランに尋ねました。

「ききゅうに乗っているからには、僕たちと同じだ。ベルヒアーに雇われてるんだろう」

「じゃあ逃げた方がいいんじゃないかな」

「そうだな」

二人はようやく行動に移りました。

しかしその時には、もう一つのききゅうはかなり近づいていました。


ぱん。と軽快な音がしました。

あちらの少年がピストルを撃ったのです。

幸いにも誰にも当たりませんでした。


シモンはピストルを撃ち返しました。

たちまち銃撃戦がはじまりました。

フランはききゅうを操縦して引き離そうとしましたが無駄でした。

あちらのききゅうはぴったりとついてきます。


シモンが叫びます。

「僕たちを行かせてくれ」

あちらの少年が叫びます。

「駄目だ。こっちはベルヒアーに雇われてるんだ!」

シモンが叫びます。

「僕たちも同じだ。行かせてくれ」

あちらの少年が叫びます。

「駄目だ。ベルヒアーの命令だ!」


銃弾が飛び交います。

何発かはシモンとフランと女の子のききゅうに命中しました。

でも運がどのように作用したのかはわかりませんが、シモンの撃ったピストルの11発目の弾丸が、あちらの少年の眉間に命中しました。

あちらのききゅうの少年は血をふいてばたんと倒れました。


こんどは少女が立ち上がり、ピストルで撃ってきました。

しかし2つのききゅうはだんだんと離れていき、やがて粒ほどの大きさになり、

見えなくなりました。


少年たちが安堵の息をつくと、今度は前方に大きな大きな山脈が見えてきました。

どっしりして高い山脈です。黒くて雪が白く化粧をしています。

このままではぶつかってしまいます。


フランはききゅうの高さを上げて、なんとか山脈を越えました。

稜線の向こうには広大な森が広がっていて、深く透き通った青い空に、何十機ものききゅうが浮かんでいました。


「こんなにたくさん、ききゅうがあるなんてびっくりだよ」

シモンは望遠鏡をのぞきました。

どのききゅうにも帽子をかぶった少年や少女がのっていました。

どの少年や少女も、手にピストルを持っています。


「あいつら僕たちを殺すつもりだよ。フラン、引き返せるかい」

「だめだ。きりゅうがあっちに向かっている」

「じゃあ突っ切れるかい」

「あのききゅうたちの間を抜けるころには、僕らは穴ぼこチーズだ」


シモンとフランは穴ぼこチーズになるのはどんな気分なのか少しのあいだ考えました。


「なぁフラン。もう少し良い考えはないかな。どうも穴ぼこになるのは素敵なこととは考えづらいよ」

「同感だ。ここは森に降りてなんとか隠れるしかないだろう。もしかしたら僕らを見失ってくれるかもしれない」


そういうわけで少年たちはききゅうを森に降ろしました。

山脈のふもとです。

木々の間に息をひそめました。

この時ばかりは、女の子も泣きませんでした。


何機かのききゅうがすぐ頭上を通過しましたが、少年たちには気づきませんでした。

やがて日が暮れてきました。

さくせんは上手くいったかのように思えました。

ところが不意に、地面が大きく揺れました。

シモンとフランの目の前で、山脈が波打ち立ち上がり、どしんどしんと歩いて頭をこちらに向けました。

山脈はベルヒアーだったのです。

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