オラクル

 そうやってぼくらは知性を失ったんだ、とウェイはいった、それまで特権的に扱われていたものが、演算の守備範囲になってしまったってことさ。

 むかしむかし、あるところはいたるところに。

 そもそもぼくらの思考なんてふたつしかなかった。

 問題を解くための演算と、その問題を作り上げること。

 かんたんなのは演算のほうさ、というウェイはポケットのなかからくしゃくしゃのレシートを取り出し、その裏側に下に凸の放物線を描いてみせる。演算っていうのは、行き先の決まった散歩みたいなもんで、じゃあどこにいくのかって話になれば、それはここさ。かれは放物線の頂点を、ボールペンの先で二度たたいた。こんなこと、古代文明のできそこないの機械にだってできた。それから飲みくさしの缶コーヒーをぼくから奪って一口飲んだ、そしていう。でもさ、真っ白なこの紙の上になんとなく放物線を描くことは演算じゃなかった。ぼくらがどこに向かうのかってことを見出す力を、みんな知性って呼びたがったんだ。


 十三歳にしてマサチューセッツ工科大学で博士号をとり、十八歳でこの宇宙からすべての知性を消し去ってしまったウェイにはすることがない。両親が死んでしまって空き家になったピッツバーグの生家に戻って、悠々自適のニート生活を満喫している。ニートというのはかれの自称であって、実際には株やら為替やら、ぼくには一生縁遠いものでお金を稼いでいるらしい。昼間っから田舎のコンビニの駐車場でタバコをふかし、近所のおじさんに向かって爆竹を投げているようなやつだけれど、なかなかどうして、ひとは見かけによらない。株も為替も、すべて自作のプログラムが利益を最大にするように適当に売り買いしてくれるから、というウェイのことばを、ぼくはかれが毎日おごってくれる缶コーヒーとガムで信じることにしている。

 ウェイのことについてのあれこれは、ネットで調べればだいたいがでてくる。博士論文はチューリング・マシンを現代的にモデリングしなおした思想色のつよい論文で、いちおうは工学の分野に身を置いていたということもあって、専攻の教授陣からの評価はイマイチだった。当時の世の中は(かれがいうに)どいつもこいつもバカのひとつ覚えみたいに「ビッグデータ」やら「機械学習」やら「ニューラルネットワーク」やら「ディープラーニング」やらばかり。そんな不満を持った科学者なんてもちろんウェイだけじゃなかったけれども、とりあえずそれをいっておけば研究費はかんたんにとれてしまう。これからの人事採用は人工知能が行います。かったるい書類業務はすべて人工知能が行います。あなたのご家庭の最適な生命保険・医療保険のプランのご提案を人工知能が行います。チェスが打ちたいなら一生打っていればいい、というのがかれのいいぶん。そんなものは単なる演算処理能力だけの問題であって、きょうび知性と呼ぶには時代遅れもいいところだ、そいつはもはや学問でもないってわけさ。

 じゅうぶんな理解を得られなかったとはいえ博士号を取得できたかれは、続く五年で理論を工学にまで応用することに成功した。かれがその研究を語る際にしきりに口にしたことばは「発想の観測」。それまで、人工知能の自発的な問題設定モデルは、それが内部に溜め込んだ情報の順位付けされた相関と、モンテカルロ法を援用した乱数的なノイズを組み合わせることで確率的に生成されるという仕組みだったが、ウェイは乱数を使わない100%論理的な演算として導入するという方法を導入したのだった。現在、それは「オラクル理論」と呼ばれる。

「神が作りし空間で、神が作りし問題を、神が作りし論理でもって解決する」

 オラクル理論の議論は、かれの指導教官であるジョン・カルリマン教授の部屋でチェスを打ちながら行われた。発表当時の新聞やニュースにはそのように記録されているものの、ウェイ本人はナイトの動きかたすら知らない。

「神が指し手を、指し手が駒を動かす。

 神の背後にいかなる神がいて、塵と時間、

 夢との苦悶のからくりを編み出したのだろうか?」

「ボルヘスかい?」

 かれの家のリビングの片隅で埃をかぶったチェス盤を挟んで向かいあい、ぼくらはビールを飲む。

「きみはなにも知らないくせに、詩は読むんだな」

「ジャパニーズ・アニメと乳首の話以外にも知ってることはあるさ」

「ああ、悪かったな」

 ぼくは灰皿の上にガムを吐き出す。ウェイは右手でポーンをつまみ、様々な角度からそれを視線で舐めまわす。

「オラクル理論のゴールは神を作ることじゃなかった。適当なことばがおもいつかないけれど、神の視点を獲得するっていえば、個人的にはまだ許容範囲だな」

「それは神になるってことかい?」

 ぼくはクイーンの前のポーンをニマス前に進める。

「だれがさ?」

「人工知能。あるいは……」

「それを作り出した人間とでも?」

「それになにか不都合でも?」

 かれは持っていたポーンをもとの位置に戻す。

「やめてくれ、ぼくはチェスが嫌いなんだ」


 計算機が無条件に与えられる情報、命題のことを二〇世紀の科学者はオラクル、すなわち神のお告げと呼んだ。論理演算の地平の先には最適化された単調なやさしい世界が広がっていて、数式によりモデリングされた空間における世界の終わりとでも呼べば悲壮感は出るだろう。あるいは、エントロピーが極大化した熱力学的な死の状態か。とりあえず、世界の終わりでも死でもなんでもいいのだが、耳ざわりのいいことばを当てるなら、オラクルとはその世界に新しい風景を創出するものである。風景を変えることは、すなわち世界に対する立ち位置を変えることに等しい。そう考えたものたちは、演算が終わるころに、素朴に演算条件を人為的にすり替えることで、終わることのない思考を実現しようとした。計算系は自身の計算可能性についての思考を許されておらず、それゆえにあらゆる世界を思考するためには無条件の正しさを持った「神」なる存在を仮定せねばならなかった。

 ウェイはその「神」の存在を仮定せず、それどころか「神」の観測すら問題にしなかった。かれが唯一興味を持ったものは「神が見ていたもの」であり、世界の外部からささやく声なしに、世界そのものの内部に、あらたな世界を見出すことを目指していた。

「むかしむかし、あるところはいたるところに。

 ぼくらが身をおくこの場所が時間の最先端を光の速さで切り裂いていき、3ケルビンの暗闇に無数の過去をばら撒いていた」

 ウェイはそういって、ぼくにウィスキーをすすめる。

「あいにくぼくは弱くてね」

「チェスがか?」

「それもあるけどね」

 そうか、といってかれはじぶんのグラスに注ぎ、ストレートで飲む。開けっ放しの窓から黒い野良猫が飛び込んできて、意識しなければあったことさえ気づかなかった地球儀を蹴っ飛ばした。ヒステリックな、しかしいくぶん鈍い音を立ててフローリングに落ちた地球儀の首がへし折られた。

 地続きではない風景へワープできるこの「神のお告げ」についての研究例はほとんどない。とウェイはいう、おもうにね、それは研究できなかったんじゃなくて、されなかったんだ。なにもないところから、突拍子もなくアイデアが浮かんでくることを神秘のままにしておきたかったんだろうな。演算じゃなくて発想することを機械にはない、人間だけの特権として、そう、それに知性と名付けてね。

「夢を見たんだよ」

 ウェイはウィスキーを一気に飲み干し、またグラスになみなみと注ぐ。

「きみもずいぶん、つまらないことをいうんだな」

「そういうな」

「それがきみから、いや、この世から知性を消し去ったってわけか」

「急ぐな。落ち着けよ」

「ガムをくれ」

 返事を待たず、テーブルの上のガムをひとつ口の中へ運んだ。ミント味だった。

「たとえばぼくの発想といのは、土星の輪にひっかかっているんだ」

「ほう」

「しかし、問題は発想がどこにあったかじゃない。ぼくは発想を観測できたということにあるんだ」

 夢を見ればいいというわけではないらしい。いわく、夢がどこにあるのかさえわかれば話がはやい。この世を生きると同時にあの世を生き、むかしで死んで未来に生まれ、宇宙人として地球人のわたしに出会う。そういうことをひとつの閉じた計算系として表現することができれば、もはや発想は計算の領域に引きずり出され、知性は演算と等価になる。

「で、夢はどこにあるんだい?」

 目がすわって、ソファに食われているみたいに身体をめり込ませたウェイの左手から、ぼくはグラスを奪う。

「みんなすぐそんなことを聞きたがる」ウェイはぼくからグラスを奪い返し、ウィスキーをあおった。「そうやってぼくらは知性を失ったんだ」




 むかしむかし、あるところはいたるところに。

 ぼくらが身をおくこの場所が時間の最先端を光の速さで切り裂いていき、三ケルビンの暗闇に無数の過去をばら撒いていた。

 どこぞのユダヤ人が最初に光があったなどといったらしいが、たいした科学技術も持たないやつらにしては悪くない見解だ。光は知的生命体たちの認知を促し、そして同時にその認知は光の速さに基づくタイムラグを潜在的に孕んでいるのだとしたら、ぼく以外のだれもかれもが過去を生きていることになるだろう。すくなくとも、ぼくの世界にとっては。

 ぼくが君に触れるとき、現在は過去に触れる。そうやってぼくはぼくの世界を膨らませることができて、同時にそれはあらゆる時間が同一空間内に配置されているという描像を立ち上げる。しかしこの瞬間のぼくというのは次の一秒後には決して触れることのできないはるか遠方に置き去りにされて、一枚の写真のような物質として宇宙のどこかで永遠に凍りついているだろう。そこにぼくはもういない、けれどなによりも重要だったのは、かつてぼくがそこにいたということだった。

 記憶であり人格でありというものが、宇宙のはるか遠方で凍りついている過去という星々をつないだ星座であるとするならば、ぼくは次にどこへ行けばいいのだろう。行き先があろうがなかろうが、どこかにたどりついてしまう以上、同一空間内に未来が存在してしまった。時間をパラメータとした物理法則たちはたちまち地図にとって代わられ、すべての可能な未来はあらかじめ用意されている集合的世界を俯瞰する場所にはるばるやってきて、ぼくはオラクルに出会うのだった。

 オラクルはブルックリンの壁にスプレーで即興的な絵を描いたり、だれかのおなじような落書きに自作の詩を書きつけたり、スラム地区で拾った1度限りで解散してしまうバンドのライブ広告を拾いって作ったポストカードを露天で売ったりしながら生きていた。かれはけっして生まれながらのアーティストってタイプじゃなかったし、作品のすべてが優れているわけでもなかった。それに、そういった創作活動みたいなことが好きだったわけでもなく、かれ自身、なぜそんなことをしているのかなんて考えたことは一度もなかったのだった。

 かれの作品は売れた。だれもがかれの作品を買った。タイムズ・スクウェアの前に露天を出せば交通規制がかかって、おまわりさんもやってきたけれど、かれらだってオラクルの作品をとりあえず買う。けれどもだれもが買ったことなんて買ったそばから忘れていったし、オラクルの顔も名前も生きているあいだはぜったいにおもいださなかった。オラクルはそのことに気づいていたけれど、エンパイア・ステートビルから飛び降りた女のひとが微笑んでくれたことがうれしかったし、この宇宙でかのじょのような絵画的な完成がいたるところで生まれていることを、ポケットのなかにあった小銭をかき集めて駅前で買ったホットドックを食べながらこっそりと祈った。

 だれもかれもが捨ててしまうようなものが好きなんだ、とオラクルはぼくに語った。ぼくは生きていくために絵や詩を作るのだけれども、たとえばみんなが欲しいとおもっているものを作るたびぼくは生きているような気がしないというか、いかにこの世界が恣意的にできているのかを強く感じる。かれらが買うものっていうのは最初から決まっていて、ぼくはその場所にかれらを導いてやればいいだけなんだ。だけど、かれらにそれを気づかれちゃならない。自由であるためには、いまここにいる理由を問うようなことは御法度なんだよ。だからぼくはかれらと出会ったらすぐに消えなくちゃいけないし、かれらが買ったものがすぐにいらないものになるようにしなくちゃいけない。でもみんなが捨ててしまうようなもの、もっといえば見向きもされないようなものは、そうじゃない。世界っていう恣意から、きちんと距離を置くことができているものだから。だれも見向きもしないからこそ新しい。だれも見向きもしないから、まだ「それ」が起こっていない。


 オラクルとはオラクル座を形作るひとつの星を指すけれど、肝心なオラクル座はその巨大さゆえに未だ観測されていない。近接する星と星の間隔がこの世とあの世ぐらい離れていて、ひとつの星が観測できる頃にはある星がもうなくなっている。ただ、その時事刻々と姿を変えているという事実もまた観測するのは困難を極めており、その事実を知っているのはオラクル以外にありえないとオラクルはいう。オラクルがこの宇宙に撒き散らしてきた過去の世界たちの総体がかれ「オラクルよしのぶ」という一個人をなしているのと同様に、はるか過去から続いているその縁者たちがオラクルという一族を構成していた。

 記録に残るもっとも古いオラクルはアルタミラで壁画職人をやっていたらしく、世界史の資料集で見れるその作品のタッチはどことなくオラクルよしのぶを感じさせるものがある。ヒッタイト族に紛れ込み鉄製の武器をせっせとこしらえていたオラクルもいれば、楔を打って法典を書いていたオラクルもいるし、日本で奇想奇天烈な娯楽絵巻物を書いていたものもいるし、遺伝子で知恵の輪を作っていた者もいた。曰く、一通りのことはやってきた。そしてこうともいう、

「まだまだ足りない」

 オラクルよしのぶの兄であるオラクル龍之介の職はデイ・トレーダーらしいのだが、それはその収入が一番多いからだという一応の理由らしい。実際、かれが現在やっているのは地球をキャンバスに絵を描くことらしいのだが、それをやるにはできるだけ金を回せる場所にいるのが好都合という。二〇三〇年現在での地球は陸地が三五%、海が六五%を占めていて、やり方は国生み神話的なもので、海にポツポツと島を作り、それは次第に巨大な点描画をなしていく。

「絵を描くことに理由がいるなら、絵を描き出せる者などいない」オラクルは人工知能の議論でもはや使い古された思考実験を口走る。「すくなくとも、すべての行動に論理的妥当性を必要とするのならば、ね」

「絵を描く、という行動を前提にすれば、とりあえずはだれでも絵を描ける。できたものを絵と呼べるのなら」

「きみはずいぶんと頭が硬い」オラクルは宙に右手を彷徨わせる。「夏目漱石は読んだことはあるか?」

「あいにく日本は苦手でね」

 と答えるとかれは微笑み、

「こんな夢を見た」

 と口を開いた。

 運慶が仁王を彫っている手つきは一見無造作に見えるが、運慶にとっては木のなかに仁王がいて、それを探しているにすぎない。兄貴がやっていることはそれにおなじで、この地球アートの完成形はこの計画を着手する前に、もっといえばこの宇宙なんかが存在しなくても、はじめからここにあったんだよ。地球アートの場合は、単純に情報の通信速度を最速にするように海に人工島が作られたり、大陸が延長されたりする。ある特定の評価軸があって、それを最大化するように物事が進んでいるだけの話だ。そしてたとえなんの評価軸を与えられなく無造作に作られた絵であっても、その絵を見た奴が新たな評価軸が発掘されて、絵が絵として受け入れられる。星の連なりに意味を見出したがるようにね。あらゆることは、この宇宙に先立ってすべて存在してしまっていて、だからこそ発想なんてものに知性なんてものはない。そいつがいつか発見されることもこの宇宙のどこかに落ちているのだから。なにもかも、移動の問題なんだよ。

「きみの絵は、ブルックリンのスラム地区で拾ったというのか?」

「頭が固すぎるよ」オラクルは深いため息をついた。「画材が落ちていたのはそこだっただけだ」

 傍にあったチェス盤が視界に飛び込んできて、ぼくは白いポーンをおもむろに持ち上げる。あざ笑うようなオラクルの視線にさらされていると、

「ぼくはどこへ行けばいいんだ?」

 ということばがこぼれた。オラクルは黒のクイーンをひょいっとつかむ。

「どこかへ行けば、なにかが見つかるさ」

「それがわかれば苦労しないよ」

「とりあえず、」オラクルはクイーンをジーンズのポケットに入れる。「土星の輪にでも座って待ってるよ」

 そしてオラクルはぼくの前を去り、静寂が残された世界を支配した。

(了)

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