「誰そ彼に海は泣く」 櫛森ゆうき

@Talkstand_bungeibu

誰そ彼に海は泣く

「音に打ちのめされて傷つくものはいない」

髪を赤色に戻した日、僕はなぜだかその言葉を思い出していた。

かの名高きボブ・マーリィが世に放った一言とは流石だ。意味はわからずとも、それなりの精神的重量を感じるものである。

この名言を、たんに「音楽によって傷つけられるものはいない」という意味にとらえたとき、僕はそれが間違いであると、断固として主張するだろう。


2年前、僕は音楽をやめた。

そのために、一体何を失って、一体何を得たのか、未だにわからないでいる。

黒いスーツを着ることに抵抗がなくなったころ、僕は心を病んで社会からはじき出された。

歌えないことは苦痛だった。

苦しみがあった。次第にその苦しみが痛みに変わって、何も感じなくなったとき、僕はもうだめだ、死のうと思った。

夏が本格的にはじまった、八月十五日、終戦記念日のことだった。


僕には天才の親友がいた。

僕らは二人、気がつけばいつでも一緒にいて、お互いのことを半身だと考えていた。

親友はまごうことなく神に愛された人間だった。

耳でも、目でも、触覚でも、世界との関わり方がおそらく凡人とは違うのだろう。

彼はこんなにも美しい世界を見ている。

その事実だけが、僕を何度も打ちのめした。


髪を赤色に染めたのは、自分が彼になりたかったからだ。

「一緒に社会不適合者の楽園をつくろう。お前と俺はその国の王様と女王様だ」

一人称を「僕」に戻した日、そう言って私を海まで連れて行ってくれた。

ここから先、どこまでも遠くに、本当にそんなものがあるのだろうか。

ただ、二人でならばそこに行けるとそのときは本気で思っていた。


彼と二人なら、どこまでも行けるのだと、今でも信じている。

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