6 湖底

 俺は二人の凍てついた亡骸なきがらを大事に抱えて、湖の底に潜った。

 古狸はなまずでも山椒魚でもなく、獣とも魚ともつかぬ奇態な生き物に化けてついてくる。

「おい、狸よ。その姿は、いったいなんなのだ」

海豹あざらしさ。北の海に住む獣だよ。鯰に化けたのでは寒くて身がたぬ」

「……この世には珍妙な獣がいるものだな」

 氷の天井が粉々のザラメになったせいか、水の中は朝より仄暗い。

 湖岸から水底に至る少し前の岩場に、俺の『心当たり』への入口があった。

「あの岩棚の下から入る」

「ほう。こんなところに洞窟があったか」

 洞窟は入口あたりが狭苦しいだけで、体をくねらせながら斜め下に抜けると、すぐに眼界が開ける。

「おお、伽藍がらんのように立派ではないか。しかも、けっこう明るい。どこからこんな光が入る」

「天窓があるのさ。上をよく見ろ。小さな光がいくつも見えるだろう。それぞれ山の泉や滝壺に通じておる」

「水さえなければ、化ける修行にうってつけの造作だな。――しかし寒い。湖より水が冷たいぞ」

「冷たいはずだ。四方をよく見ろ」

「――なんと、岩壁ではなく氷の壁――ここは氷室ひむろか!」

「おう。ここの氷は真夏にも融けぬ。なぜ融けぬのか、俺にはわからぬがな」

「外の山にも万年雪の雪渓があろう。異国の山には、もっと大きい氷河とやらがあるそうだ。大昔には、この世界全体が凍りついていた時代さえあるらしい。その頃の氷が融けずに残っている場所も、世界中にはけっこうあると聞くぞ」

「さすが、おぬしは学があるな」

「……氷の奥のあちこちで、妙な連中が何匹も凍っておるが、おぬしの親戚たちか?」

「知らぬ。俺がここを見つけたときは、もう凍っておった」

「……思い出したぞ。村長の家の書物に、あんな生き物の絵が描いてあった。あれらは何万年も昔の生き物たちよ。確か『首長竜』とかいったな。きっとおぬしの御先祖様に相違ない」

「俺はあんなに腹が出ておらぬ。だいたい、あれらには立派な髭や角がない」

「目元あたりは、そっくりだがなあ」

「そんなことより――ほら、あそこだよ」

 伽藍の奥の氷壁に、俺がとこに見立てた一坪ほどの四角い棚場がある。

「これはよいな。ここなら健児と繭子も落ち着けよう」

 古狸の海豹も満足そうなので、俺は二人の亡骸を、そっと氷の棚に据えた。

「おお、奥に立派な墓印まで置いてあるではないか。こんなにどでかい水晶玉、どこで見つけた。三尺近くもあるぞ」

「俺の宝珠ほうじゅだよ。龍ならみんな、生まれつき一つは持っておる」

「ほう、これが噂に聞く龍の玉か。どうりで豪儀だ」

「日の出の時刻など、上の泉からの光がまっすぐに届いて、とても美しい。だからここに隠したのだ」

 古狸の海豹はふむふむとうなずきながら、しばらく床の間の周りを泳ぎ回っていたが、

「ならば――ここは、こうしたほうがよかろう」

 ぶつぶつとそんなことを言いながら、奥の宝珠を鼻先で転がし、健児と繭子の横に据えた。

「龍よ、二人を玉のほうに向かせてくれ。俺のひれではうまく動かせぬ」

「こうか?」

 言われたように向きを変えると、健児が繭子を背負ったまま、宝珠を伏し拝んでいるような形になった。

 古狸の海豹は、感に堪えぬ顔で、

「……まるで一幅いっぷく泰西名画たいせいめいがではないか」

 俺もすっかり見惚れてしまい、

「うむ、なんとも神々こうごうしい」

「日の出にはまっすぐに光が射すと言ったな。明日の朝にでも、ぜひ拝みに来よう」

「やめておけ。せっかくの夫婦水入らず、邪魔するのは野暮であろう」

「……そうさな。来年の命日にでも拝もうか」

 古狸の海豹は、しみじみとうなずいて、

「この二人も、ようやく蜜月を迎えたのだなあ……」

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