お姉ちゃん屋さん

夜辺

愛しい姉のからあげ


「 お姉ちゃん、ようやく明日だよ!」


スーパーから帰るなり、弟は上機嫌な声をあげて私に声を掛けた。悪ふざけに寄り掛かられると、鞄につけたストラップの金具が小さく鳴る。

 日毎に重くなっていく弟の身体を支えるのに少しふらついて、すっかり大きくなったなあと破顔した。

 早く冷蔵庫にしまってきなさい、と弟を台所に追いやりながらも彼の後ろ姿を眺めてしみじみとする。

マスコットのようにぽてぽて歩いていた日がつい昨日のように思えるのに。彼が産まれてからもう随分と時間が経った。なんたって一夜過ごせばもう成人なのだ。

 そして成人の記念に、明日私は弟に食べられる。

 

 お姉ちゃん料理、そしてお姉ちゃん屋さんの出店は姉がいる家にだけ訪れる一大イベントだった。

 十五になる男女に姉がいる場合、彼らの成人の記念に姉を食す。そういう伝統なのだ。

 とはいえ人間というものはなんだかんだ大きな生き物だから、傷む前に一人で食べ切れるわけがないし、家族で協力してもやっぱり難しい。

 美味しい食肉になるために日々努力してきた姉への敬意と食品ロスへの配慮を込め、食べきれない分は専用の貸し屋台で売り捌くことが推奨されている。

 大事なお姉ちゃんを美味しく食べられるよう幾度も練習を重ねるのが定番なので、お姉ちゃん料理のクオリティは軒並み高い。

 安くて絶品のお姉ちゃん料理は買い食いにもってこいだから、私もよくお世話になったものだ。

 難があるとすれば、姉肉には限りがあるため、どんなに気に入った店があったとしてももう一度は食べられないことくらいだった。

 私の弟も、どんな家より僕が一番美味しい料理にするから、とここ数ヶ月ずっと料理の練習をしている。

 ろくに料理もしたことのない手で火を扱う様はとっても心配になるけれど、これは弟の仕事なのだ、そう我慢して手を出さずに見守ってきた。

 私が弟に美味しく食べてもらえるよう日々の食事や運動量に気を遣って努力し続けたのと同じことで、それは弟に課された義務、そして特権と言っていいものだ。

 お姉ちゃん料理は文字通り、姉がいる家庭でだけの特別なイベントなのだから。

 指折り数えたその日が明日に迫っている。

 私も弟も、浮ついた気持ちを隠すことが出来なかった。

 両親は微笑ましそうに私達の様子を見守って、ママは姉さんを料理した日を思い出すわ、なんて呟いている。

 姉の中には時折食べられるのを恐れて家族から逃げていくものもいるという。なんと愚かしいことだろう。

 文字通り自分の全てを受け入れてもらえるような人生は私達姉にしか得られないものなのに、その幸運を嘆くなんて。

 まったく私には理解できないことだったけれど、逃げるほどに恐ろしくて仕方がないことを運命として生まれてきたその姉達は哀れなものだとも思えた。

 私は食べられることに疑問や恐怖を抱いたことは一度もない。どこにでもいるような、食べられることを心待ちにしてきた幸福な姉の一人だ。

 弟は必ず私を大事に料理してくれるし、仮に失敗したとしても弟が努力した結果なのだ。私は明日に対して何の不満も抱いていなかった。

 最後の練習にと唐揚げを揚げている弟の横顔を伺う。

 油の音と香ばしい香りに食欲を刺激されたけれど、私の腹は捌きやすいよう出来るだけ空っぽにしておかなければならないから、彼の練習結果を味わうことはもうない。

 弟は私を調理するのに大好物の唐揚げを選んだ。私はからりと揚がって、彼の唇を油で潤わせるのだろう。

 屋台に出されれば、晩酌のおつまみにと疲れたサラリーマン達が私のことを買うのかもしれない。私がそうしていたみたいに、学校帰りに買い食いする子もいるのかな。

 私にとって一番大事なのは家族が腹を満たしてくれることだから、屋台で売られるときのことはあまり興味がないけれど、どうせならより多くの人が私を美味しく食べて、癒されて、明日の活力にしてくれたら。……それは少し傲慢だったろうか。明日の私は所詮、食卓の一品に過ぎないものね。

 調理後の私がどうなろうが不安も恐怖もない。私は私の運命を受け入れている。それは本当。

 でも、心配事が少しもないかといえば嘘になる。

 流れる汗を拭う弟の額に残るあどけなさに胸が詰まるような気持ちになりながら、火を扱う彼を動揺させないように、何気なく尋ねる。


 「私がいなくなっても寂しくない?」


 唯一の、そして大きな心配事だった。

 私はもう弟の成長を見られない。悩みも聞けない。頬に涙が流れても拭うこともできない。

 成人だなんだと言っても私にとってはまだまだ頼りない男の子である彼を残していくのだけは、本当は、ほんの少し、嫌だった。

 せっかくそっと聞いたのに、弟はきょとんと私の顔を見た。ぎょっとして、火から目を離さないでと叱る。

 彼は油に目をやりながらも、呆れたように私に返した。


 「寂しいかってなんだよ。これからずーっと僕のお腹にいるくせに」


 「……確かにね」


 確かに。

 私はおかしくなって、思わず笑ってしまった。

 これから私はずっと弟の中で生きていく。

 まだまだ背を伸ばしていく彼の血肉になって、悩んでいるときも、泣いてる時も、彼自身として同じように苦しむのだ。

 私が心配しなくちゃいけないのは、弟じゃなくて、これから男の子の肉になってしまう自分自身だったのかもしれないなあ。

 だけどそれも大した心配じゃなくて、弟が寂しがっていないならやっぱり不安もなくて、テーブルに並べられた解体用器具を見つめて微笑んだ。

 私は明日、幸せな肉になる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

お姉ちゃん屋さん 夜辺 @umiumuume

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ