その他の単独短編

雪国のアイドル

 最後のトンネルを抜けると美しい街が近付くという。文豪が綴った夜の底の白さは今も昔も変わらぬようであった。駅の真新しいホームに新幹線が滑り込み、他の乗客達に押し出されるようにして私は生涯二度目のその地を踏んだ。

 目的地に着けば最早電車になど用はないとばかりに、我先にと改札へのエスカレーターを下ってゆく外套コートの群れを横目に、私はホームで雪国の寒さを噛み締めたまま新幹線の車体を見やっていた。白と紺の色取いろどりの合間に、車輌の名の由来となった朱鷺ときいろが鮮やかなべにを引いたようであった。

 先年デビューしたばかりの若き朱鷺達の歌に惹かれ、その題名に冠された便をわざわざ選んで乗ってきたというのに、この街に住む希望達は惜しくも東京のコンサートに出払っていた。仕事でもなければ来ることのないこの街で、折角なら彼女達の公演をこの目に焼き付けておきたかったが、「会いに行けるアイドル」といえど劇場が休演では致し方なかった。

 ホテルに荷物を置き、翌日の仕事の支度を一通り整えると、私の足は申し訳程度の繁華街を辿り、記憶の片隅に残るメイドカフェを目指していた。この辺境の雪国が巨大資本のアイドルグループの足場の一つにされた今でも、そのカフェは変わらずそこにあった。前に訪れた時と変わらず、ご当地メイドアイドルというよく分からぬ看板を掲げ続けていた。

「よくここを覚えていて下さいましたわね」

 お帰りなさいませ云々という通り一遍の挨拶の後、メイドの娘はそう言ってはにかんだが、私には彼女が私の顔を覚えていたことの方が意外だった。なぜ覚えていたのかと問うと、彼女は澄ました顔で「ご主人様のお顔を忘れるメイドがありますか」と返した。メイドでありアイドルであるというコンセプトにたがわず、彼女のミニスカートの裾はひらひらとフリルに縁取られ、彼女の顔立ちの清潔さと絶対領域の危うさの釣り合いが絶妙な背徳感を醸し出していた。

「あれが来て以来、この街は変わりましたわ」

 私に熱いコーヒーを出しながらメイドは言った。どうせ他のご主人様のお帰りはもう無いだろうからと、私の対面に座り、娘は黒黒とした瞳で上目遣いに私を見た。

「それは良い方にかい、それとも悪い方にかい」

「この街のアイドルファンの方達は大喜びでしょうね。お陰様でこのお店は風前の灯火ともしび。私達だけじゃありませんわ、この街で長く頑張ってきたローカルアイドルの皆様方も、進退を迫られています」

 言われてみれば、前に来たときには数人のメイドアイドルが満席のご主人様達をさばいていたこの店も、今夜は彼女と私きりであった。聞けば、進学や就職のために円満卒業した者もあるにはあるが、やはり最大の理由は客足の激減による人件費削減であるらしかった。メイドの透き通った顔に、ふと寂しげな色が差した。

「私達は、CDなんて買って頂かなくても、コーヒー一杯の注文でこうして幾らでもお喋り致しますのに。それでも、皆様、たった五秒の握手の方がいいらしいですわ」

 私が答えずにいると、彼女は薄紅うすくれないの唇を滑らかに動かして矢継ぎ早に続けた。

「あなただって、きっとそうだわ。彼女達の公演がお休みだから、仕方なくメイドを冷やかしに来たんでしょう」

「そんなこと」

 ないとは言えない自分が恨めしかった。私とて、今夜が上演日であれば、その抽選に申し込んでいたに違いなかった。割が合わないので握手会には行かない主義だが、ランチ代に毛が生えた程度の料金で本物のアイドルを間近に見られる機会があるならば飛び付かない方が阿呆である。そしてきっと、抽選に外れたら、その悔しさを紛らすために同じくこのカフェの扉をくぐっていたのだ。

「よくってよ。どうせ、私達は永遠に一軍にはなれないんだわ。せめて、秋葉原の足音が響きっこない地方都市いなかでなら、街角のメイドもアイドルとして輝けると思っていたけれど……そんなの、大資本の気紛れで容易く覚まされる夢だったんだわ」

「君もオーディションを受けて、彼女達の仲間に入ればいいじゃないか」

「いやよ。メイドはね、純粋な感謝の気持ちからご主人様の手を握るの」

 コーヒーカップの取っ手を摘んだままの私の手を、すっと伸びた彼女の両手が包み込んでくる。手の甲を覆うその暖かさには、コーヒーの温度よりも高い熱が籠もっているように感じられた。

 私がカップをソーサーに置くと、自然の成行きのように彼女の両手は私の手の両側を包み直した。

「覚えていて? その手で」

 お嬢様口調で覚えているか否かを問われたのか、普通の娘の口調で覚えているようにお願いされたのか、ようやく雪風の寒さから血行を取り戻したばかりの私の耳は直ちに判別できなかった。

「ああ、覚えているよ」

 私もまた、どちらとも取れるように言葉を返した。この街を三度みたび訪れる日が来るのかは分からないが、秋葉原の息吹を吹き込まれた若き朱鷺達の城と、減りゆくご主人様を街の片隅で待ち続けるメイドの棲家すみか、どちらを楽しみにこの地を踏むことになるのかは輪を掛けて分からなかった。(了)

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