第12話 あっけない過去

白山しろやまさん。視点キャラをエピソードごとに切り替えるのってどうですかね」

 ホワイトウルフ法律事務所での勤務が始まって三日。隅から隅まで真っ白なこのオフィスの内装にもやっと目が慣れてきた頃。

 志津しづは出前のカツ丼を頬張りながら、同じく食事中の白山白狼はくろうに話を振った。

 先輩事務員のおばさんは外に食事に出ており、雇われ弁護士の男性は自分の席で食事もとらずに何かの資料と格闘している。

「三人称複視点ふくしてんのことかね?」

 白山がのんびりと、だがハッキリと聞こえる声で聞き返してきた。ちなみに白山が食しているのはうなぎの白焼きじゅうである。この弁護士は日常の何から何までを白で整えなければ気が済まないらしい。

 麻雀をやったらハクばかりポンするんだろうなあ、とどうでもいいことを考えながら、志津は「そういう呼び方があるのかは知らないですけど」と口を動かした。

「文才に溢れたシーズー君のことだ、視点の切り替えなどお手のものだろう。……依頼者の視点に切り替えないと事件のあらましが書けないことに気付いたかね」

 白山の鋭い瞳が、白ブチ眼鏡のレンズの向こうからきらりと志津を見据えてくる。彼の慧眼にどきりとさせられるのも、今に始まったことではない。

「そう、そうなんです。個人的にはあまり視点をぶらしたくはないんですけど、主人公わたし視点で固定しちゃうと、毎度毎度、エピソードの始まりはこの事務所で依頼者の方の相談を聴いてるところからになっちゃいますし……。相談に毎回わたしが同席させてもらう訳でもないですし」

 志津にとって目下の悩みは、職業小説コンテストに応募する作品の書き方をどうするかということだった。

 序章というか第一章というか、作品の導入となる志津自身の不当解雇事件の顛末については、彼女自身の見聞きしたことを書くだけなので視点について迷うことはない。だが、これから様々な依頼者のエピソードを連作の事件簿として記述していくとすると、全編通じて志津の視点だけで通すのか、それとも依頼者の視点を交えることを許すのか、そこが大きな問題となる。

 ――それにしても、と志津は思う。

 なぜ白山は、これほどまでに小説技法に詳しいのだろう。仮にも自分は作家志望なのに、創作談義ではいつも白山に上を行かれる。司法試験に小説の項目があるわけでもないだろうに。

「白山さんって、昔小説を書いてたんですか?」

 丼をカラにして箸を置いた志津が、白山にそう尋ねてみたくなったのは無理からぬことである。

「まあ、遠い昔の話だがね」

 白山は堂々と胸を張った。やはりそうだったのか――。隠す気がさらさら無いところが彼らしいのだろうな、と、まだ付き合いの浅い志津でもよくわかる。

 と、そこで、雇われ弁護士の男性が資料をめくる手を止め、くいっと振り向いて話に入ってきた。

「先生は、弁護士にならなければ売れっ子作家になってたんですよね」

 いやいや、と白山が珍しく苦笑しながら答える。

「その理解は間違っている。俺は文筆を断念してから初めて法曹の道を志したのであって、両者の選択肢が分岐点のごとく俺の前に存在していたわけではない」

「何かあったんですか?」

 志津は思わず質問を投げ込んでいた。生まれた時からホワイト弁護士だったかのように見える白山白狼に、まさか弁護士を目指さず小説を書いていた時期があったなんて。なんだかドラマが広がりそうな話ではないか。

 と思いきや――。

「先生はね、推理小説を書いて出版直前まで行ってたんですよ。でも担当編集に付いてた若い女の子が過労死しちゃって、それでブラック企業を撲滅する正義の弁護士を志したんです。ね、先生」

 雇われの男性は白山と志津に交互に目をやりながら、あっさりと正義の味方の過去をバラしてしまった。ぺらぺらと淀みない口調の、文章にしてたった二行くらいの台詞で。

「まあ、それだけではないがね」

「え……ええっ」

 白山は涼しい顔をしているが、志津は驚きの声だけを上げて絶句してしまう。いや、白山の過去が意外だったとかでは全くなく――。

 こんなところであっさり言うような話か? と。

 心に浮かんだ文句は、男性にぶつけるべきか、白山にぶつけるべきか。

「それ、こんなとこで明かしちゃいます? 明かしちゃっていいんですか? 普通、その手の過去って、わたしと白山さんの付き合いがそれなりに長くなっていく中で、無敵の白山さんの横顔にたまに覗く寂しそうな影みたいなのを度々描写しておいた上で、あるとき若い女の子の過労死の案件か何かに直面して、なんか白山さんがいつになく意味ありげな寂しい目をしてたりして、そんで、夜のビルの屋上かどこかで、散々勿体ぶった末に切ない雰囲気たっぷりに長台詞で述懐してくれるものじゃないんですか? なんでこんな日常のなんでもない食事中に、しかも本人以外の口からさらっと明かされてるんですか」

「……そんなこと言われても、ねえ」

「キミがそう書きたいならそう書けばよいではないか」

 しれっと言ってのけ、湯呑みの茶を啜る白山。志津は一気にまくし立てたことで喉が嗄れ、やはり自分の湯呑みの茶を煽る。

 と、そこで、各デスクに置かれた固定電話が一斉にを響かせた。志津はことりと湯呑みを置き、自分が出ますよ、と二人に目線で断って目の前の受話器を取る。初めは何かの冗談ではないかと思われたこの呼び出し音にも、今ではすっかり慣れ……たりは断じてしない。

「はい、ホワイトウルフ法律事務所です」

「……あの」

 電話の向こうから聴こえたのは、若そうな男性の声だった。

「そちらの事務所のことを、ネットで見て……。相談したいんですけど、今日は弁護士さんはいらっしゃいますか」

「法律相談をご希望ですね。労働絡みの案件でしょうか?」

 勤務初日に白山から言われた通り、志津はまず、相談者の悩みがブラック企業にまつわるものなのかどうかを確認する。もっとも、それ以外の相談事でわざわざこの事務所を選ぶ人など、滅多にいないという話ではあったのだが。

「そうです。あの……会社を辞めようと思ってるんですけど、その、残業代の請求ができるってネットで見て」

「残業代の請求に関するご相談ということですね。少々お待ちください」

 志津は通話を保留に入れようとしたが、既につかつかと音を立てて彼女のそばまで歩み寄っていた白山が、さっと彼女に向かって手を差し出してくる。

 志津から受話器を受け取ると、白山は朗々と声を張った。

「代わりました、ホワイトウルフ法律事務所所長の白山白狼はくろうです。本日の来所をご希望ですかな? ……ほう、すぐに来たいと。結構、歓迎しましょう。貴君のお名前と、勤め先の社名は」

 電話口の声にふんふんと頷き、白山は「お待ちしています」と言って受話器を置いてから、志津に振り返ってぴしりと言った。

「鈴木スバル氏、株式会社ワイ・イー・エスにお勤めだそうだ。面談準備を」

「はいっ」

 志津は返事をして立ち上がる。準備といっても、志津がすることといえば、既に印刷してストックしてある記入用紙を相談室に持っていくくらいだが。

 白山は早くも自分のデスクに戻り、パソコンに向かっていた。彼は相談者の勤め先の情報を検索しているのに違いない。毎度のことだが、自分の目で情報を集めるのが一番だと言って、そうした雑務すら彼は志津ら事務員に振ってはくれないのだ。

 志津が相談室のテーブルを綺麗に整えたところで、来客のブザーが鳴った。

「お早いご到着だな」

 白山の一歩後ろに立ち、志津は相談者を出迎える――。

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