第6話 弁護士VS弁護士
ハゲ校長とハゲがかぶってるじゃないか、と思いながら、志津はハゲ及びブタと一緒に入室してくるその弁護士の姿を見やる。ブタと共に校長の両隣を挟む形でデスクの向かいに腰を下ろす彼の姿は、ひとまずカッパとでも名付けておけばバランスが取れそうだった。
問題は、肝心のハゲ校長が到底、三蔵法師とは似ても似つかないことだが……。
「随分とお早いお着きですな。被害者から本件を受任しました白山
隣の白山が朗々たる口調で名乗った。対して、カッパの声はなんとも枯れていて迫力がない。
「
白山が牽制で放ったのであろう単語に、カッパはきちんと反応して聞き返してくる。そこはまあ、多少ショボくれた見た目をしていても弁護士は弁護士ということなのだろう。
「いやいや、被害者なんてねえ、聞こえの悪い。試用期間後の本採用を見送りにしたら弁護士を連れて怒鳴り込んできた、常識に欠ける社員ですよ」
顧問弁護士を呼び付けたことで気が大きくなったのか、ハゲ校長が息巻いて説明を乗っ取る。志津は白山がどんな反論を繰り出すのか、期待に胸を高鳴らせながら彼の様子を見ていたが、意外にも白山は黙って腕を組んだまま相手のカッパをちらりと見返しただけだった。
「……本採用見送り、ですか」
とハゲに問い返したのは、誰あろうカッパである。
「その理由は……?」
「理由というかねえ、そう、言うなら、本採用する理由がないということでねえ。ねえ、教務部長」
「そうです。彼女の適性や勤務態度を総合的に判断した結果、当社で本採用するにはあたらないと、そう判断したわけで」
「……本採用するに、あたらない……?」
カッパが不思議なものを見るような目でブタとハゲを見返している。そのカサついた頰に、たらり、と汗が流れるのを志津は見た。
白山はなおも黙っている。その鋭い眼光を避けるように、カッパは関係者一同をくるりと見回したあと、諦めたような口調でハゲ校長に「雇用契約書を拝見できますか……?」と要求した。
ハゲが何か言う前にブタ部長が席を立ち、室内の書棚に収められていたファイルを取り出してくる。
「ほら、先生、試用期間の定めはここにちゃんと書いてあるんです」
「いや、そんなのはいいんですけどね……期間の定めのない正社員雇用ですね、これ」
カッパの覇気のない一言が室内の空気を変えた。我が物顔で振りかざしていた試用期間という武器を、味方の筈の顧問弁護士から「そんなの」呼ばわりされ、途端にハゲとブタの顔色が変わったのだ。
「彼女の解雇を正当化できる積極的な理由は、ないんですか……?」
「はぁ?」
カッパに尋ねられ、ハゲは失望と苛立ちが入り交じったような醜い表情になる。
「いやね、理由もなにも、試用期間の後に本採用をするかしないかは、ウチの自由でしょうが」
「……いや、その……雇用は既に始まっているわけであるからして……」
カッパが契約書を片手に頭を掻き、どうしていいものか、という顔でハゲ達と志津達をちらちらと交互に見た。そこでようやく白山が言葉を発した。
「河辺先生、無知蒙昧なクライアント様がお困りであらせられますぞ。正しい法知識の啓蒙は我々法曹の使命であると思慮しますが」
「……はぁ。じゃあ、まあ、ご説明しますか」
カッパは何故か安心したような顔になり、契約書をぱさりと卓上に置いて、
「な、なんだ。何を勝手にあんたらだけ分かったような……。どういうことだ、河辺先生」
「ええとですね、試用期間というのはですね……。一定の条件のもとで解約権を留保しているに過ぎないのであって……。雇用契約自体は、だからそのう、既に始まっているんですよ」
「そ、そんな馬鹿なことがあるもんか。だってね、契約書にハッキリ、最初の二ヶ月は試用期間ってね、書いてあるじゃないか!」
「……まあ、試用期間を設けること自体は御社の自由なんですが……。試用期間中であろうと、なんだろうと、従業員を解雇するには、それなりの理由が必要であるからして……。『客観的に相当な理由』があると認められない限りは、不当解雇ということに……」
「あんたまでそんな世迷い言を言うのか! あんた、ウチの顧問弁護士だろう!」
突如、ハゲは茹で上がったタコのような顔になってデスクをばあんと叩いた。だが、誰もそれに反応はしない。ブタは何も言えず冷や汗をかいて俯いている。カッパは激昂するクライアントの顔をオロオロと困ったような目で見返している。志津はといえば、目の前の状況を見て、先程の白山が述べた言葉の意味を改めて噛み締めていた。「同業者相手ならむしろ話はスムーズに進む」というのは、つまり、こういうことだったのだ。
そして白山は、白スーツの腕を組んだまま、白ブチ眼鏡のレンズ越しにぎろりとハゲを見下ろしていた。
「もはや笑い草にもならんな、ゴミ経営者殿。そろそろ己の負けを認めてはどうだ」
「……こ、この、若造が、教育者たる私に向かって、なんたる口を……!」
「貴様が教育者? 聞いて呆れる。社会の決まりひとつ真っ当に守れんやつは、いっそ小学生からやり直してくるがいい」
白山がフンと息を吐いたところで、突如声を上げたのはブタの教務部長だった。
「ある! あるぞ、それなりの理由は! 理由があれば解雇は認められるんでしょう、河辺先生」
「……はぁ、まあ、客観的かつ合理的な内容でしたらね」
カッパの消極的なお墨付きを得るが早いか、ブタは鼻息も荒く、白山にまっすぐ食ってかかる。
「いいですか、この
無能なブタに好き勝手言われ、志津の顔は燃えるように熱くなった。だが、同時に、白山がその主張をぶっ潰してくれるだろうという期待と信頼もまた抱いていた。
志津は知っている。こんなブタよりも自分のほうが教育業の何たるかに精通していることを。そして、白山がそれを分かってくれていることを。
「彼女の能力がどう低いのだ」
「見ればわかる! 二十五歳のペーペーだぞ」
「年齢で能力が決まるのか? 俺はここに来る前に彼女の職務経歴を聞いた。彼女は学生時代から複数の学習塾や予備校、家庭教師の仕事を掛け持ちし、幾百人の生徒を志望校に送り込んできたという。御社が雇用する凡百の講師達と比べ、彼女の能力、経験、実績が特段劣るとは思えないが」
白山の言葉は志津の期待以上だった。彼が堂々とそう言ってくれたことで、志津は胸がじいんと熱くなるのを感じていた。だが、せっかくの感動をも吹き消すように、ブタはさらに息巻いて反論を続ける。
「他所でバイトしてたから何だというんだ。あんた、ウチのことをわかってないな。ウチは
「彼女が生徒に信頼されていないという客観的な証拠があるのか?」
「苦情が出てるんだよ! 保護者からも、こんな先生には任せられないと!」
そんなはずがない。生徒の苦情の件は数時間前にも聞かされていたが、当初からそんなのはウソに決まっていると志津は思っていた。入社から二ヶ月、志津は無能な同僚どもとは極力無駄なコミュニケーションを取らずにきたが、生徒相手となると話は別だった。
この自分が生徒に信頼されていないなど有り得ない。生徒の進路希望を真剣に聞き、受講する映像授業の組み立てをコーディネートする担任業務において、志津がノロマで無能な同僚どもに後れを取ることなど一度もなかったのだ。
と、そこで、ブタの加勢に勇気付けられたのだろうか、ハゲもまた勢いを取り戻して口を挟んでくる。
「そうだ、それにね、不動先生は、ウチの大事なバイト講師を当然理由もなく怒鳴りつけたりしてね、彼らの業務を妨害したんだよ。許せんよ、こんな社員は。それも、別室でやるならまだいいが、生徒にも聞こえる場所で講師に喧嘩をふっかけたんだよ。それで生徒がウチに不信感を持ったらどうしてくれる? それでウチを辞めるような生徒が出たら、これはもうね、損害賠償ものだよ!」
とんでもないことを言い出すハゲだ。バイト講師が先に志津にナメた口を利いてきたから職務上必要な叱責をしただけだというのに、業務妨害に損害賠償だと。志津は今度こそ怒りで頭が沸騰しそうになったが、白山の手前、胸を押さえて、なんとか己の感情を爆発させるのを抑え込んだ。
「ふん、素人が聞きかじったようなことを得意げに」
白山の冷ややかな一言が、たちまちハゲとブタの勢いをへし折る。
「そこまで断言するなら証拠は出せるのだろうな。彼女の対応に苦情を述べた生徒とやらはどこにいる。彼女に我が子を任せられないと述べた親とやらはどこだ? この白山が直に証言を聞こうじゃないか」
「そ、そんな、生徒のプライバシーに関わることをね、教えられるわけないだろう!」
「ならば法廷にお出まし頂くしかないな。言っておくが、労働審判などと生易しい手は俺は使ってやらんぞ。直ちに通常訴訟だ。不動志津から業務の妨害を受けたと主張するアルバイト講師、彼女の対応に不快感を覚えたと主張する生徒、その保護者……全員まとめて証人として法廷に引き出してやろう。拒むことはできんぞ。証人が正当な理由なく出頭を拒めば、過料ないし罰金を課された上、強制的に裁判所に
「き、脅迫だ! そんなの脅迫じゃないか!」
ハゲがまたバンと机を叩いたが、白山は涼しい口調で言い返した。
「ほう? 俺がいつ脅迫罪の構成要件を満たした。いつ御社に害悪の告知をしたのだ? 俺はただ、彼女にはいつでも訴訟を提起する権利があり、その法廷には事件に関連する証人を強制的に呼び出せる旨を発言したまでだが――」
「そ、そんなこと、できるわけがないだろうが!」
「おっと、失敬失敬。確かに、いかな裁判所の職権といえど、実在しない人間を引っ立てることは出来まいな」
全てを見透かしたような白山の視線。ハゲがぐぐっと唇を噛んでいるのが志津にもわかったが、しかし、このハゲはそれでもなお主張を撤回することをしなかった。
「熱意のない先生には大事な我が子を任せられないと、み、みんな言っているんだ!」
「皆とは誰だ? どこにいる? ぜひ生の声を聞きたいものだが」
「そういう声が他の講師からも上がっているのは事実なんだよ」
「証拠を示せと言ってるだろうが!」
最後は狼の如き咆哮で一喝し、白山はクソ二人を黙り込ませてしまった。その間、カッパは何一つ彼らを擁護することなく、居心地悪そうに雇用契約書に目を落としたり上げたりを繰り返していた。
「……と、今日のところはこんなものだな。御社の貴重なご高説の数々、確かに記録させて頂いた」
白山が椅子を引いて立ち上がりながら、白スーツのポケットに入れていたICレコーダーをちらりとハゲ達に見せつける。志津は慌てて彼に続けて席を立った。
ハゲとブタが恨みに満ちた視線で二人を見上げているなか、白山は無造作に胸ポケットに手を入れ、例の狼の絵が印刷された名刺をカッパに差し出していた。
「河辺先生。今後はプロのやり方で粛々と事を進めましょうぞ」
「はぁ。次は書面ですか」
カッパは最後まで覇気のない声を発しながらも、白山の名刺を受け取り、かわりに自分の名刺を彼に手渡す。
「それでは皆様方、ごきげんよう」
勝手に扉を開けて部屋から出ていく白山の真っ白な背中を、志津はもはやハゲどもに一瞥もくれずに追いかけた。
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