第4話 誘導尋問

「いいかね。改めて念押ししておくが、普通の弁護士はこんなことはしない。いきなりこんな暴挙に打って出る弁護士など、日本でこの白山しろやま白狼はくろうただ一人だろう」

 ブタ部長とハゲ校長に「試用期間限りで辞めてもらう」と言い渡されてから僅か数時間後、志津しづは弁護士・白山白狼はくろうと並んで再び西進せいしんサテライト予備校が入居するビルへの道を辿っていた。

 ホワイトウルフ法律事務所の白すぎる相談ブースで、志津が入社から今日に至るまでのあらましを説明し終えるや否や、白山は唐突に「今からそのクソ会社に乗り込むぞ」と宣言したのだ。自分は普通の弁護士とは違うから、という一言を申し添えて。

 そして、「我がホワイトウルフ法律事務所に着手金などという概念はない」という白山の言葉のもと、委任契約書をちゃちゃっと取り交わし、志津は白山に付いてホワイトタワーを出たのである。

「並の弁護士なら、キミの話にのんびりと耳を傾け、今日のところはキミを帰し――そのとき抱えている他の事件の起案に忙殺されながら、キミの話を一旦忘れる。そして数日後、他の起案が一段落したところでやっとキミの依頼のファイルを開き、話をイチから思い出して既存の解雇事件のパターンに当てはめ、パソコンに保存されている過去の受任案件の起案をコピペして流れ作業で内容証明郵便を作る。それをe電子サービスで送信おくれば、晴れて仕事は終了。あとは相手方の反応を待つのみだが、無論その間にもその弁護士は日々多くの事件に忙殺されており、キミがブラック企業から受けた仕打ちのことなど思い出しもしない」

 志津の案内する道を白スーツでつかつかと闊歩しながら、白山はラジカセのような勢いでぺらぺらと言葉を並べ続ける。

「……じゃあ、あなたは、わたしの事件だけに専念して下さるんですか?」

「まさか。日本全土からブラック企業の殲滅せんめつを誓う正義の味方、この辣腕らつわん弁護士・白山白狼はくろうの元には日々多くの犠牲者からの依頼が舞い込む。俺はその一つ一つに決して手を抜かないだけだ。こと、キミのような事件では、僅かな初動の遅れが命取りになるからな」

「はぁ」

「だが、くれぐれも意識に留めておきたまえ。俺のような弁護士は極めてイレギュラーであり、そんな俺といきなり出会えたキミは極めて幸運なのだ。例えばこれが並のドキュメンタリー小説であれば、不当解雇の憂き目に遭ったキミはまず有象無象の弁護士の事務所を駆けずり周り、そこで出会うごく普通の弁護士達の頼りなさを目の当たりにして憤慨する。万策尽きたと思ったところにようやく満を持してこの白山白狼が現れ、キミを絶望の淵から救い上げるのだ。キミは今、そうしたプロットの一切合切を無視して、いきなり奇跡の救済を体験しようとしているわけだが――。ああ、わかるかね、プロットという言葉」

「わかりますよ。これでもわたし、作家志望ですから」

 若干むっとした口調で答えながら、志津は驚きと少しの喜びを覚えていた。言動の何もかもがぶっ飛んでおり、自分との共通点など何一つないと思われた白山の口から、まさか日々自分が格闘している文芸用語が飛び出してくるとは。

「ほう? 作家志望? キミが?」

 ちょうどそこで信号待ちに差し掛かったこともあり、白山は自身の顎に指を当ててしげしげと志津の顔を覗き込んでくる。志津はなんだか急に恥ずかしくなってきて、「はぁ、まあ」と生返事を返すことしかできなかった。

「それならば、キミは今まさに最適の題材を得たわけだな。己の人生経験にまさる創作の材料などあるまい。まして、この白山白狼の働きぶりを間近に目撃することは、何物にも代えがたい体験となろう。――さあ、付いてきたまえ、チワワくん!」

 歩行者信号が青に変わった瞬間、白山は長い足を踏み出して横断歩道を歩きだす。渡った先の目の前にそびえるのが西進せいしんサテライト予備校の入居ビルだ。――だが、敵地に乗り込む緊張より何より、志津が真っ先に気になったのは、いま白山が発した謎の呼びかけだった。……わたしのことを、チワワ、と言ったか?

「なんですか、チワワ君って」

「キミの名は志津シーズーと言ったろう。小型犬を思わせる名前をしているからチワワだ。覚えやすくて助かる」

「ハァ?」

 白山の意味不明な発言に、怒りより先に戸惑いが溢れ出す。

 実際、志津をもじってシーズーというのは、小学生の頃から何度もからかいのネタにされてきた定番のこじつけだった。教育の仕事を始めてからも、今まで何十人の生徒が彼女をシーズーと呼んできたことか。……だから、それはいい。今さら名前をいじられたところで逐一腹を立てるほど志津も子供ではない。だが?

「いやいやいや、ならシーズーでしょ! なんですか、チワワどこから出てきたんですか!」

「俺は小型犬といえばチワワの方が覚えやすいからだ。シーズーなんてマイナーな犬、ニックネームに採用してもすぐに忘れるのが落ちだ」

「シーズーのどこがマイナーなんですか! ていうか、名前が志津でシーズーなんだから忘れようがないでしょ!」

「……そんなに自分をシーズーと呼んでほしいのか? やはり変人だな、キミは」

「やめてください! あなたに変人なんて言われたらこの世の終わりですよ」

「ふむ。遊びはこのくらいにして、来たまえ、チワワ君」

「シーズーだっつってるでしょうがぁぁ」

 自分の頭から蒸気が噴き出すのを感じながら、志津が白山の背中を追いかけようとすると――

 白山はくるりと振り返り、急に真面目な顔になって人差し指を立てた。

「とまぁ、今のようなテクニックを誘導尋問という。キミも聞いたことはあろう。相手の反駁はんばくを巧みに誘導し、こちらの望む言葉を引き出す。キミは、まんまと、幼少期からの屈辱の象徴ともいえるニックネームで俺がキミを呼んでも構わないという言質を与えてしまったわけだ。シーズー君」

 志津がぽかんと口を開けていると、白山は彼女を置いてさっさとビルのエントランスに足を踏み入れていく。彼は予備校の入居階を確かめるように、ちらりと案内表示ディレクトリを見やると、つかつかとエレベーターに歩み寄ってボタンを押していた。

 高校の授業も既に終わったこの時間、予備校に出入りする現役生の姿もちらほらと見られる。顔なじみの女子生徒達がエレベーターから降りてきて、志津に挨拶をしながらビルを出て行くのを見て、志津は少し後ろめたい気分にもなったが、白山が早く来いとばかりに手招きするので慌てて彼の後を追った。

 志津が乗り込むと、白山のボタン操作でエレベーターが動き始める。

「さっきの誘導尋問っていうの、ココでやるつもりなんですか」

 白山が内容証明郵便の送付といった通常通りの戦いの始め方ではなく、当日いきなり敵陣に乗り込むという大胆な手を選択した理由は、先程のやり取りを経て志津にもおぼろげにわかった気がした。この男、まだ相手の脳裏に弁護士や訴訟といった言葉が浮かんでいない内に奇襲攻撃をかけ、相手から何らかのミスを引き出すつもりなのか。

「当然だ。誘導尋問というのは、法廷においては異議申し立ての対象ともなる禁じ手だが――」

 どくん、と志津の心臓が脈打つ。西進サテライト予備校の入居階に達するまでの僅かな間に、白山は白いきばを見せてにやりと笑ってきた――獲物を狩る狼のように。

「裁判外なら使い放題だ」

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