最終話 栄光の仮面

『以上をもちまして……2032年度全国中学校野球大会……関東予選会の全日程を終了いたします』

 照りつける真夏の日差しの下、どこかの偉いオッサンの声を球場のスピーカーが幾重にも反響させている。

 剣吾けんごらの汗と涙の日々はここで終わった。明日からはひとまずバットを置き、高校受験に専念する地獄が待っているだろう。


 夕陽の落ちる帰り道。スポーツバッグの肩紐が、疲れた肩にいつになくずっしり重くのしかかる。

「あーあ。終わっちまったんだなあ、俺達の夏」

 先頭を歩く剣吾の後ろで、三年間、共に白球を追って汗を流したチームメイトの一人が、たっぷりと汗を吸った天然パーマの頭をぐしゃぐしゃと掻きながら言った。

「何言ってんだよ。高校上がってからが本番だろ」

 一昔前の高校球児のような坊主頭をしたもう一人が、夏の終わりにも挫けない声でそう言い返す。

「お前、本気で甲子園目指すの?」

「当たり前だろ。夢はでっかくメジャーリーガーだぜ」

 その瞳に真剣な炎を燃やし続ける坊主頭と、ひょうきんな笑いでそれを流す天然パーマ。

 二人と並んで部活から帰ることももう無くなるのかと思うと、剣吾は若干の寂しさを隠せない。

「剣吾はどうすんだよ。高校でも野球続けんの?」

「んー」

 天パに訊かれて剣吾が振り返ると、「うお、コワっ」と天パはぎょっとしたような表情を顔に貼り付かせた。

「あー、ビビったあ。お前、疲れてるときメチャクチャ顔コワくなんの、どうにかならねえの」

「そんなこと俺に言われても」

 チームメイトはからからと笑っているが、剣吾は微妙な気持ちで返すしかない。

「なんでお前の姉ちゃんはあんな美人なのに、お前はそんなケダモノなんだろーな」

「知らねえよ」

 そこで、剣吾と天パの応酬を黙って聞いていた坊主頭が、助け舟のように話題を引き戻してくれた。

「それで、どうすんだ。剣吾もスポーツ推薦取るの?」

 かく言う彼は、既に神奈川の強豪校に入学が内定していると聞く。スポーツ推薦を取るということは、即ち高校でも野球一筋の青春を送るということを意味する。

「いや……俺は」

 本気でプロ選手を目指しているらしき友人を前に、剣吾は言い淀んだ。だが、言わずにいても仕方がない。

「高校からは、他にやりたいことが――」

「ええ、マジかよ。俺と一緒に甲子園目指してくれねーのかよ」

 坊主が口をとがらせる。彼が本気で残念がっているのか、軽口で言っているのかは、イマイチ剣吾にはわからなかった。

「何やんの。何か他のスポーツ?」

「いや、まあ……運動といえば運動だけど」

 いつしか抱き始めた将来の夢について、剣吾はまだ友人の誰にも話したことがなかった。

 だが、チームメイトに言わなくても心は決まっている。高校に入ったら、に通うのだ。訓練を積むのは早い方がいい。

「将来の夢……つーか」

 剣吾がそこまで口を滑らせてしまうと、案の定、天パが「何、何」とうるさく噛み付いてきた。

「秘密だよ、秘密。そういうお前こそ何になるんだよ」

「俺? 俺は……まあ、フツーに高校行って大学行って、どっかの会社に入るんだろーな。親からはそう言われてる」

「フツー……か」

「俺は絶対ぜってーメジャー行くから。見てろよお前ら」

 坊主の自信満々の宣言に、剣吾と天パは「おうおう」と適当に調子を合わせる。

 メジャーリーグどころか日本のプロだって、それどころか甲子園だって、誰もが行きたいと願って行けるようなところではない。……だけど、まあ、剣吾自身も普通ではない夢を抱いている手前、お調子者の友人をバカにする気にはなれなかった。

「メジャーと言えば、『ジゴラ・ジュニア』、引退するらしいな」

 と、携帯ミラホを片手の中で弄びながら天パが話題を変えた。剣吾は初めて聞くその話に驚く。

「え、マジかよ?」

「マジだよ、ミラホのニュースに出てたもん。いいよなぁ。球団辞めても年収オクなんだろ。人生勝ち組だよなー」

「あー、俺も早くメジャーでプレイしてぇーっ!」

 夕暮れの空に向かって坊主が張り上げる声に、カラスがカアと答える。

「しかもジュニアの奥さんって、女優の豊橋レナじゃん。なんつーかもう、野球の上手いヤツは全てを制する、って感じだよな」

 天パが溜息ぎみに述べた言葉に、坊主がまた叫びを上げる。

「あー、俺もメジャーリーガーになって芸能人と結婚してぇーっ!」

 豊橋レナ。親世代の芸能人だが、剣吾にとっては親しみのある名前の一つだった。

「豊橋レナって昔、『バイカーマスク』に出てたんだぜ」

「はぁー?」

 剣吾の口をついて出た言葉に、チームメイトの二人は揃って怪訝そうな顔をした。

「あの有名女優がバイカーマスク? 嘘だろぉ」

「いや、ホントホント。俺、ガキの頃から散々その映画観てるもん」

「あ、マジだ。……え、しかもTAKUYAも出てんじゃん。何これ」

 すぐに携帯ミラホで情報を見つけたらしく、天パが目を丸くしている。坊主もその画面を横から覗いて、へー、と声を出していた。

 公園そばの電柱に取り付けられた地域放送のスピーカーが、よいこの皆さんはお家に帰りましょう、と女の声を辺りに響かせている。

「そんで、剣吾の将来の夢って何なんだよ」

 天パが何事もないように先程の質問を繰り返してきた。――流していなかったのか、その話。

 仕方ないな、と思いながら、剣吾は答える。

「……まあ、正義の味方、ってやつ?」

「へ? 正義の味方ぁ?」

「似合わねー。お前の顔は悪役だろ」

 友人二人が彼の顔と発言のギャップにひとしきり笑う。どうせそうなることは目に見えていたので、剣吾も一緒に笑った。


 二人と別れて自宅のマンションに帰り着くと、玄関の鍵は開いていなかった。つまり、両親も姉もまだ帰ってきていないらしい。

 指紋認証でロックを開けて玄関に入り、どさりとスポーツバッグを降ろすと、三年分の疲れがどっと身体に押し寄せてくるような気がした。

 冷蔵庫の牛乳をコップ一杯飲み干し、土にまみれたユニフォームを洗面所に脱ぎ散らして、剣吾は熱いシャワーで汗を流す。

 そういえば、両親はともに撮影で遅くなると言っていた。姉も塾通いの日だったっけ。

 冷凍室から適当なメニューを選び、電子RFレンジで加熱して、剣吾は一人きりの食卓に着く。――食べ始める前に、投影シアターの準備を万端にして。

 剣吾が久々に引っ張り出したのは、彼が生まれる数年前に作られた映画のブルーレイ・ディスク。

 今や数年に一度の恒例行事となった、角屋プロダクションと北映ほくえいの共同制作による「アルファイターVSたいバイカーマスク」シリーズ――その伝説の始まりとなった一作である。

 幼稚園こどもえん、小学校と学年が上がり、周囲が次々と子供番組を「卒業」していっても、剣吾の興味が特撮ヒーローから逸れることは一度もなかった。

 だって、彼にとってそれは、単なる子供の頃の憧れではなく――

 いつしか真剣に目指し始めた、将来の自分自身の姿だったからだ。


『リーナとか言ったな。やっとわかったようじゃねえか、力の本当の使い道が』

『あなたが教えてくれたのよ。この力は、大切なものを守るために使うんだって』

 往年の大スターであるTAKUYAと、まだアイドルグループの一員だった若き日の豊橋レナが、背中合わせに並んで変身の構えを取る。

 光に包まれて画面に現れるのは、筋骨隆々の端正な身体から雄々しき輝きを放つ銀河の巨神と、美しくしなやかな身体につやめくオーラを纏ったかすみの女騎士。

 その身体がTAKUYAと豊橋レナのものではないことを、剣吾は知っている。


 スーツアクター――ヒーローや怪獣、怪人のスーツの中に入り、変身前の役者にかわって激しいアクションを繰り広げる、誇りある仕事。

 その道に邁進する両親の姿こそ、幼い頃からの剣吾の憧れだったのだ。


 いつの日かきっと、自分も継いでみせる――

 栄光の仮面に素顔を隠し、戦い続ける者達の物語を。


(完)

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