第26話 降板の二文字

 豊橋レナの負傷事故から二晩が明け、北映ほくえい社内はメディアの取材対応と、ひっきりなしに寄せられるクレームの「火消し」に右往左往していた。

 梅野は早朝からデスクにかじりつき、部下が印刷してきたWEB上の掲示板の書き込みや、パソコンの画面上でリアルタイムに勢いを増し続けるSNSのコメントの流れを目にして頭を抱えている。

 今や、彼女は現実のものとして受け止めざるを得なかった。子供番組を作っている限りはほとんど無縁だった「炎上」という言葉を。

 ネットの住人いわく――

『北映は特撮の現場に現役アイドルを引っ張り出して傷物にした責任を取れ』

『危険な撮影でレナちゃんに怪我をさせた酒田とやらを許すな』

 ――という。酒田監督がバッシングの槍玉に上げられているのは、名前のよく知られている者、もっと言うなら叩きやすい者を叩いておけばいいという単純な群集心理だろう。

 名古屋エイトミリオンの運営サイドは、劇場公演や握手会への豊橋レナの不在の理由を、単なる「体調不良」ではなくハッキリ「撮影中の負傷」と公表していた。入院は最短でも半月には及ぶというのだから、不明瞭な理由での欠席を続けてファンの不信感を煽るくらいなら正直に状況を明かした方が得策だという判断は、梅野にも十分理解できるものだった。

 そして、エイトミリオン側が負傷の事実を公表してしまった以上、北映や角屋プロダクションとしてもメディアとファンに向けて声明を出さない訳にはいかなかった。名古屋エイトミリオンの公式サイトに告知が載った数時間後には、北映・角屋ともに、自社サイトに「お詫びとお知らせ」と題した案内を掲載する運びになったのである。

 事故の事実を公表することでアイドルファンからの批判を呼び込むとしても、下手に事実を隠して後から数倍叩かれるよりは幾分マシだという判断だった。


『そもそも人気アイドルを起用してジャリ番の客寄せをしようとしたのが図々しい』

『生身アクションを多用する酒田なんかに撮らせなければこんなことにはならなかった』

『酒田は特撮界隈ではエロ監督で通っている。豊橋レナのことも厭らしい目で見ていたのに違いない』

 特撮に詳しい者、そうでない者。様々な立場から寄せられる掲示板やSNSへのコメントは、不自然なまでに酒田監督への批判一本に収斂しゅうれんしていた。

 ネットでは誰も彼もが無責任なことを書き散らすものだが、酒田監督の実際の仕事ぶりを知っている梅野としては、現場のことを知りもしないで書かれた批判に対しては憤りの気持ちを抑えきれなかった。

 だが、仮に北映サイドがこうしたバッシングに公然と反論し、酒田を擁護などしようものなら、炎上騒ぎに余計に油を注いでしまうのは火を見るより明らかだ。撮影現場で負傷事故が起きたのは事実であり、その全責任は監督が負うものだという理屈もまた正論である。

 企画の責任者たる梅野に課せられたものは多かった。映画の制作継続の可否や、酒田監督の進退についても上席と摺り合わせなければならないし、名古屋エイトミリオンの事務所プロダクションへの賠償問題もある。撮影中の事故に関しては会社として保険にも加入しているが、仁義を重んじる芸能界において、保険屋に対応を任せて自分達が知らぬ存ぜぬというのは通らない。

「おい、梅野」

 彼女がパソコンの画面を見て嘆息していたところで、ふらりと彼女の部署に顔を覗かせたのは上役の黒部だった。

「はい」

 周りの社員達がかしこまって黒部に頭を下げているのを横目に、梅野は慌てて席を立ち、彼の待つ廊下へ出る。そこには北映の撮影現場の重鎮、銅元どうもと監督の姿もあった。

「大したザマだな、ネエちゃん。俺の心配した通りになったじゃねえか」

 銅元は腕を組んで壁によりかかり、相変わらず梅野を見下した視線を向けてきた。何をしに来たのかは知らないが、こんなときに老害の難癖に付き合っている余裕はないのに。

「銅元さんが何を心配されてたと仰るんですか」

「言っただろうが。酒田みてえな若造じゃ、大舞台を任せるには貫目かんめが足りねえってな」

 梅野には、銅元の言葉は意地の悪いイチャモンにしか聞こえなかった。

 誰が監督をしていたって、事故は起きる時には起きるのだ。それなのに、たまたま酒田の現場で事故が起きたのを、鬼の首を取ったようにあげつらうなんて――。

 黒部はその傍らに立って事態を静観している。上役の手前とはいえ、梅野は銅元にひとこと言い返さなければ気が済まなかった。

「お言葉ですが、酒田監督はアクションの本場の米国アメリカで数多くの実績を上げてこられた方ですよ」

「海の向こうでチヤホヤされて天狗になった結果がこれだろうが。どうせ豊橋とかいう小娘のことも甘やかしてやがったんだろうよ。メガホンを握る奴がちゃんと責任持って仕切らねえから、下らねえ事故なんか起きやがるんだ」

「じゃあ何ですか、銅元さんは一度も役者を怪我させたことがないって言うんですか!?」

「梅野!」

 そこで初めて黒部が割って入ってきた。彼はなぜか銅元監督を庇うように一歩前へ歩み出て、険しい目を梅野に向けてくる。

「お前、ネットは見てるんだろうな。この分だと酒田さんの降板が決まるのは時間の問題だ。配給の枠を押さえてる以上、会社として映画をポシャらせる訳には行かんが……急ピッチで撮影を間に合わせるとなれば、お前が頭を下げなきゃならん相手は誰か、よく考えることだぞ」

 黒部の肩の向こうで、壁にもたれたままの銅元がフンと鼻を鳴らす。

「そんな、黒部さん。銅元さんに続きの撮影をお願いするって言うんですか?」

「お前に酒田バッシングを抑えきれるのか? お前の酔狂で北映の看板を汚す訳には行かないんだぞ」

 黒部の口調は静かだったが、その言葉に込められた叱責は苛烈なものだった。

 梅野は何も言い返す言葉を見つけられず、黙って唇を噛むことしかできなかった。

 チーフプロデューサーを務めながら自分を鍛えてくれていた頃の黒部なら、そこまでのことは言わなかったかもしれない。だが――今の彼は、北映の役員の一人。勤め人ではなく経営ボードの一員なのだ。その彼が、映画一本の出来よりも、会社全体の利益を優先して動くのは当然のことだった。

「ネエちゃん。一応、酒田ガキの尻拭いのために身体は空けといてやるからよ」

 銅元が厭味ったらしく吐き捨てて、黒部とともに廊下を去ってゆく。

 彼らの背中が通路を曲がって見えなくなってから、梅野はバンと壁に拳を叩きつけた。硬質な壁からの反作用が骨をじいんと痺れさせた。


「梅野さん。『文芸スプリング』が北映のプロデューサーのコメントを貰いたいと言ってきてるんですが」

 部署に戻るやいなや、男性部下が、保留に入れた受話器を片手にして告げてきた。

 ――文芸スプリングだと?

 その不穏な名前に自分の眉がぴくりと反応するのを自覚しつつ、梅野は言う。

「お断りして。そんなところに燃料を投下してあげる必要はないわ」

「そうですよね」

 部下は納得の表情で頷き、電話機のボタンを押して、受話器に向かって何か話し始める。

「スプリング……」

 梅野は知らぬ内にその名を呟いていた。まさか、そんなものまで関わってくるなんて――。

 出版界に悪名高き「週刊文芸スプリング」。芸能人のゴシップを追い回し、憶測、捏造お構いなしでスキャンダルを食い物にすることを生業としている大衆誌の連中だ。

 電話を終えた部下が、怪訝そうな顔で梅野に話しかけてくる。

「なんで『スプリング』が出てくるんでしょうね。豊橋レナは怪我しただけで、別に問題を起こしたわけじゃないでしょうに」

「……彼らは、酒田さんをターゲットにしようとしてるのよ」

 梅野は「スプリング」の記者と関わったことなど一度もない。だが、ネットでの炎上模様を見ていれば、ゴシップ誌の考えそうなことは容易に想像がついた。

 口さがないネット住人達の声は、今や以下のような論調で統一されつつある。即ち、

『清純派アイドルにエロ目的で生足アクションを押し付けた挙句、無茶な撮影で致命的な怪我を負わせた酒田監督を断じて許してはならない』

 ――という声だ。週刊誌の連中は、この炎上騒ぎを取り込んで販売部数に繋げようとしているのに違いない。

 気が向けばアイドルグループのメンバーのスキャンダルだって平気ででっち上げるくせに、都合のいいときにはアイドルを悲劇の犠牲者として祭り上げ、「エロ監督」の野蛮な素顔を暴く正義の報道者を気取ってみせる――。いかにも下衆ゲスな奴らの考えそうなことではないか。

「梅野さん、なんとかして酒田監督の名誉を守れないですかね」

「……少し、一人にして」

 部下の心配そうな顔を省みもせず、梅野は一人で部屋を出てしまった。

 どこへともなく廊下を歩き、爪を噛みながら彼女は考える。

 何が間違っていたのだろう。自分は暴走しすぎてしまったのだろうか。

 春映画のたびに中身のないシナリオでヒーロー同士に小競り合いをさせる、北映の悪習を断ち切りたかった。女性バイカーを主役に据えた映画を成功させることで、バイカーシリーズの幅を更に広げたかった。

 女性を撮ることに定評のある酒田監督と、期待の新人スーツアクトレスと、特撮ファンとして知られる人気アイドル――これら三者を自分の手腕で引き合わせ、特撮の歴史に残るヒロインを生み出したかった。

 ……だが、黒部ら重役にハッタリをかませ、多忙な酒田監督を引っ張り出し、あげく角屋プロダクションまで巻き込んだ挙句がこの炎上騒ぎだ。豊橋レナにも酒田にも悪いことをしてしまった。それに――スーツアクトレスのサヤカにも。

 梅野はふと、かつて黒部との勢力争いに敗れ、会社を追われた先輩プロデューサーのことを思い出した。九十年代の五色戦団シリーズを支え、またバイカーマスクを平成の世に蘇らせた功労者であったにも関わらず、視聴率と玩具売上の不振によって通年番組の途中でチーフプロデューサーから更迭こうてつされた人物のことを。

 北映という組織は、失態を演じた者に決して寛容ではない。

 最悪の場合は辞表を書くことも覚悟しておかなければならないな、と、無意識に爪の端を噛みちぎりながら梅野は思った。

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