第24話 危険な戦場

 ――アルファイター・エイトだ。間違いない、あれはアルファイター・エイトだ!

 自室のベッドの枕に、ぼふ、と顔をうずめ、サヤカは噴き上がる恥ずかしさに身悶えていた。

 よくもあんなことができたものだ。顔も名前も知らない男性を待ち伏せした挙句、自ら話しかけてしまうなんて。

 いや、知らないなんてことはない。自分はあの身体を何度もDVDで観て知っている――。

 瞼の裏に焼き付いた、筋骨隆々の端正な身体。

 ナントカは盲目、というのが間違った当てはまり方をしているのでもない限り、己の目に誤りははない。レンタルビデオ店の男性の身体は、アルファイター・エイトの身体だった。つまり――彼こそが、正体不明のスーツアクター「大吾」なのだ。

 だけど。だけど。どうするんだ、これから。

 撮影現場で普通に顔を合わせる機会を待ちきれず、オフの方の彼を待ち伏せして話しかけてしまったことに、今更ながらサヤカは途方もない恥ずかしさを感じていた。

 だって、だって、今後はきっと現場でも会うというのに、一体どんな顔をして挨拶をすればいいのだ。

 しかも、勢い余って「好きです」なんて言ってしまった。ヒーローが、だけど。

 これじゃもう、見ている方が恥ずかしくなるような漫画やドラマの展開そのものじゃないか。

「姉ちゃん、何バタバタやってんの」

 うつ伏せのままベッドを蹴り続けていたのが余程うるさかったのか、弟の匠が部屋の外からサヤカに突っ込みを入れてきた。

「なんでもないっ!」

「男にフラれた?」

「フラれてないっ!」

 ひょっとしたら、と思う気持ちと、いやいや有り得ない、と否定する気持ちがサヤカの中でぶつかり合う。

 何しろサヤカは――自分の中に今沸き上がっているのと同様の感情に、しっかり名前をつけたことが、生まれてこの方一度もない。

 わたしが色恋沙汰? この顔のために一度も男性とまともに付き合えたことなどない、このわたしが?

 ――サヤカさんって、いま誰かに恋してます?

 ――恋ですよ、こーい。

 豊橋レナのほわんとした声が鼓膜の奥に蘇る。

 ……とりあえず、明日の撮影の合間に二人きりになれる時間があったら、レナに今日のことを聞いてもらおう。

 そう決意して、スマホで改めて明日の撮影スケジュールを確認しようとしたとき、サヤカはふと思い出した。今の今まで気にも留めなかった、しかし重大な事実を。

 今日もまた、あの男性の顔を見そびれてしまったのだ。


 なんだか長い夢を見ていたような気がする一晩が明け、翌日は絶好の野外オープン撮影日和だった。

 爆発ナパーム使い放題の工場跡地に木枯らしが吹き抜ける。今日のサヤカは女バイカーマスクのスーツではなく、豊橋レナと同じブレザーにミニスカートの高校制服コスチュームに身を包んでいた。もちろん、男性の出演者やスタッフの手前、顔はマスクとサングラスで隠しているのだが。

 変身スーツを纏ってのアクションのみならず、変身前のシーンでの身代わりスタント役も裏方アクターに欠かせない仕事だ。

 豊橋レナには激しいダンスのレッスンで培った身のこなしがあるため、大抵のアクションシーンは本人で十分なのだが、さすがにワイヤーや爆発ナパームを使った危険な撮影にはスタントを立てる必要がある。

「ねぇー、サヤカさぁーん。サヤカさんみたいになるには、何年も訓練が必要なんですよね?」

 撮影前の打ち合わせを終え、本番まで一息ついていたサヤカに、レナが擦り寄って上目遣いを向けてきた。

「うーん、まあ、そうですね」

 サヤカ自身もアクトレスとして駆け出しに近いため、あまり偉そうなことは言えないが、レナの尋ねんとしていること自体は間違いではない。

「どうしたんですか?」

「んー、わたしも爆発ナパームの撮影やってみたいなあ、って。やっぱり、特撮に出るって言ったら、夢じゃないですか。間近でナパームが、ちゅどーん、ってなるの。ねえサヤカさんー、今度わたしのかわりに名古屋の劇場出ていいですから、わたしにも一度ナパーム体験させてくださいよー」

 レナが顔の前で両の拳を合わせ、つぶらな瞳をキラキラさせてくる。後半のくだりは明らかに冗談だとわかるからいいとして、ナパーム撮影を体験したいという要望自体は本気マジで言っているようで侮れない。

 すると、その話が聴こえていたらしく、酒田監督が快活に笑いながら「それは無理だな」ときっちり釘を刺してきた。

「いくらレナちゃんの頼みでもそれはimpossibleインパッセボゥだ。アイドルに危険な撮影をやらせて、万一のことがあったら責任取りきれんからな。初代バイカーの撮影で、スタントを使ってなくて事故が起きたのは知ってるだろ?」

 酒田の言葉に、たちまちレナはしゅんとなって「はぁい」と答える。

 今日では信じられないことではあるが、昭和の時代に最初の「バイカーマスク」が制作された頃には、変身前の役者と別にアクション用のスタントを立てることはそれほど一般的ではなかった。初代バイカーマスク役の俳優が撮影中にバイクで転倒して大怪我をし、あわや番組が制作中止にまで追い込まれかけたのは、その筋では知らぬ人は居ないエピソードである。

 結果を見れば、番組を保たせるために別の役者を起用した「バイカーマスク2号」路線が大ヒットし、変身ヒーローブームの牽引と、今日に至る「バイカーマスク」のシリーズ化に繋がったのであるから、まさしく怪我の功名というべき事件だったのだが……。

 豊橋レナほどの特撮マニアが、その一件を知らないはずはなかった。

 サヤカだって北映ほくえいのアクションクラブに入門した際に先輩から散々聞かされたものだ。そうした事故を未然に防ぐことも、我々スーツアクターの存在意義の一つなのだと。

「サヤカさん、ワガママ言ってごめんなさい。スタント宜しくお願いしますねっ」

「ハイ。もちろん」

 サヤカはレナと笑顔を交わしあった。

 だが、この直後、撮影班一同は思い知ることになる。

 どれほど万難を排したつもりでも、特撮の撮影は常に危険と隣り合わせだということを――。


「わたしの国を滅ぼしただけじゃ事足りず……この惑星ほしの人達にまで血の涙を流させようというの!?」

 気合の入ったレナの台詞が瓦礫の山の中に木霊する。偉そうなマントを纏った醜悪な怪人の着ぐるみスーツが、ブレザー姿のレナに向かってじりじりと歩を詰める。

 サヤカはカメラのすぐ後ろに陣取らせてもらい、レナの熱演を片時も見逃すまいと意識を集中させていた。

「ならば、どうする。貴様が守ってみせるか? 何の力も持たぬ小娘の分際で!」

 怪人が大仰な動きで両手を広げ、哄笑を響かせた。

 そこで一瞬カメラが止まり、小道具スタッフからサッと手渡された変身ベルトの造形プロップをレナは片手に握りしめる。再び回り始めるカメラの前で、どこからともなく取り出したかのようなベルトのバックルを彼女は顔の横に構えた。

「力ならあるわ。復讐のためなんかじゃない……皆を守りたいから、わたしはこの力を使う!」

 銀河の巨神、アルファイター・エイトから力の本当の意味を教わった亡国の姫君が、邪悪の権化に向かって澄んだ声で啖呵を突きつける。

「小癪な!」

 怪人がその場で大きく腕を振りかぶり、開いた片手をレナの立つ方向へ向かって振り出した。怪人の手のひらから放たれる火球は後ほどCGで合成される手筈だ。眼前に迫る幻の火球を、キッと鋭い視線で見切り、レナの足が地面を蹴る。

「ハッ!」

 ミニスカートの裾をふわりと弾ませ、彼女の華奢な身体は後方へと跳んだ。

 そのしなやかな肢体が、虚空に弧を描き――

「――レナさん! 距離がっ!」

 サヤカは咄嗟に叫んでいた。カメラが回っているのにも関わらず。

 だって、レナの跳んだ軌跡は、予定よりもずっと長く――

 その予測されうる着地点には、平坦なコンクリートではなく、複雑に積み重なった瓦礫の山が待ち受けていたからだ。

「NO WAY!」

 サヤカより更に早くそれに気付いていたらしい酒田が、撮影などそっちのけでレナの方へ駆け出す。宙を舞うレナの目が、えっ、と叫んでいる。

 極限に引き延ばされる一瞬のなか――

「あ……っ!」

 平らな地面を鋭く捉える筈だったレナの片足は、あらぬ角度で乱雑な瓦礫を踏みしめ――

「レナさんっ!」

 サヤカの叫びも虚しく。

 人気アイドルの苦悶の声が、戦場に響いた。

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