第23話 再会
「わっ、兄ちゃん、テレビテレビ!」
大吾が洗面所で顔を洗っていると、妹の
そこに映っているのは、昨日メディア向けに行われたばかりの、今回の新作映画の制作発表の模様だった。
『四月公開の特撮ヒーロー映画、「アルファイター
テレビの映像はそこで、壇上に並ぶ酒田監督やTAKUYAら出演陣の光景から、キャスター達のいるスタジオへと切り替わった。
『いやぁ、ビックリですね。アルファイターとバイカーマスクが一つの映画で一緒に戦うんですか』
『そうみたいですね。今回、この映画への出演が明らかになったTAKUYAさんといえば、三年前の映画「アルファイター
『楽しみですね』
それからニュースはすぐに別の話題に切り替わった。僅か一分足らずの取り上げで、コメントも一般向けに希釈された極めて薄いものだったが――
大吾としては、自分達が頑張って制作に励んでいる映画がこうしてメディアに取り上げてもらえるのは、単純に嬉しい出来事だった。
同時に、これも北映とのコラボや人気芸能人の出演あってのことなのだろうな、と大吾は考える。これが角屋プロ単体の映画で、TAKUYAらの出演もなければ、おそらくこの程度の取り上げすらされていなかったのかもしれない。
……と、大吾が前向きな気持ちを新たにしていると、彼の胸中を知ってか知らずか、妹ののほほんと軽い声。
「ねえねえ、兄ちゃんって、TAKUYAや豊橋レナと現場で会ってるんだよね?」
片手でスマホをいじり、彼と視線のひとつも合わせようとしないまま、千佳は問いかけてくる。
「そりゃあな。豊橋レナのほうは、読み合わせでいっぺん顔合わせたくらいだけど」
「えっ、顔合わせたの!? よく逃げられなかったね」
千佳は笑いながらそんなことを言ってきた。豊橋レナに逃げられないために、わざわざ強盗チックな目出し帽まで被っていた自分の苦労も知らず……。
「いや、顔つっても覆面とグラサン越しに決まってんだろ」
「よかったぁ。兄ちゃんのせいで、せっかくの人気アイドルが降板しちゃったら大変だもんね」
いつもの妹のからかいを適当にあしらって、大吾が食パンをトースターに放り込んでいると、千佳はふとスマホから顔を上げて「それにしてもー」と付け加えた。
「兄ちゃんって、思った以上にスゴイ仕事してるんだ」
「なんだ、思った以上にって」
「だってさあ、TAKUYAっていったら、あのTAKUYAだよ? それに豊橋レナっていえば、アイドルにキョーミないあたしでも知ってるレベルだし。そんな人たちと同じ現場にいるとか、なんか改めて考えたら兄ちゃんってヤバイ」
やれやれ、と大吾は思いながら、カップにインスタントコーヒーの粉を入れ、ポットの湯を注ぐ。
特撮の現場が誇りあるものであることは間違いないが、あまり持ち上げられるのもくすぐったい。どんな大スターと関わっていようとも、大吾自身が芸能人になったわけではないのだ。
「ヤバイよほら、TAKUYAも豊橋レナも昨日からツイートのトレンドに入ってる。……あ、そうそう、こないだ笑える記事見つけたんだった。兄ちゃんのことネットニュースに出てるんだけどさあ」
「はあ?」
じりじりと焼ける食パンの様子が気になるが、千佳が一緒にスマホの画面を見てほしそうな様子をしているので、大吾は仕方なくコーヒーのカップを食卓に置いて、千佳の背後に回ってやった。
「これこれ。『確かな関係者筋からの情報によると、スーツアクター大吾の正体は、実は途方もないイケメンだというのです。裏方である彼が表に顔を出すと俳優が嫉妬してしまうので、顔を隠すことを義務付けられているのです』……だって。マジ受ける」
手渡されたスマホの画面を大吾が見てみると、そこには確かに千佳が読み上げた通りの文章が掲載されていた。第三者の憶測というテイで書いておけばいいものを、わざわざ「確かな関係者筋」などというデタラメを持ち出したために、本物の関係者が見ればひと目で捏造記事とわかるシロモノだ。なんというか、ネットニュースというのは随分といい加減なものらしい。
絶世の美女とウワサの「あちらさん」ならまだしも、この自分が「途方もないイケメン」だなどと書かれているのを見ると、大吾自身も笑ってしまう。
「そういえば、『顔を隠してる』っていえば、こないだ本屋さんですっごいキレイな特撮ファンの女の人いたよ」
「あ?」
いきなり別件にジャンプした千佳の話に大吾が何とか付いていこうとしたところで、トースターがチンと軽快な音を立てて彼を呼んだ。パンを取りに行く彼に構わず、千佳は話し続ける。
「グラサンとマスクと帽子でカンペキに顔隠してたんだけど、もうね、メチャクチャ美人なオーラが全身からキラキラしてるの。ある意味、兄ちゃんと真逆?っていうか。あれは百パー芸能人だね」
顔を隠しているのに美人とわかる?
そんなことがあるはずがない、と大吾は思うが。
――考えてみれば、この自分だって、サングラスで顔を隠していても
食卓に着き、トーストにマーガリンを塗りながら、大吾は妹に問い返す。
「なんでその人が特撮ファンだってわかるんだよ」
「あたし達の目の前で特撮の雑誌を買ってったんだよ。エイトが表紙に出てたやつ」
「ふうん……」
まあ、そんなこともあるか、と聞き流してトーストをかじろうとしたところで――
――特撮ファンの素敵な女性?
ふと、渋谷のレンタルビデオ店で「アルファイター
特撮ファンで素敵な女性と言われれば、大吾が唯一知っているのは彼女だ。いや、知っているなどと、おこがましく言うのも変な話だ。たった一度行き合っただけで、顔も名前も知らないのだから。
だが、そう――あの女性の顔は覚えていないが、あれだけ素敵な身体つきをした人なら、ひょっとしたら顔のほうも美人だったのかもしれない。たとえ顔が見えなくとも、自分が見た彼女は、千佳の言う「メチャクチャ美人なオーラ」とやらを発していたのかもしれない。
と、そこでもうひとつ――大吾の頭に思い当たる可能性があった。
顔を隠した女性。
全身から発する美しさのオーラ。
そして、特撮。
「……サヤカ?」
大吾が思わず声に出して呟いてしまったその名前を、千佳は耳ざとく聴き取ったようだ。
「あっ、兄ちゃん。だーれー、サヤカって。カノジョ……なわけないか。どんなヒト?」
「知らねえよ。会ったこともねえ同業者だ」
寄ってくる妹をしっしっと追い払い、ようやくトーストにありつきながらも、大吾は自分の中で首をもたげてくるその疑念を振り切れない。
まさかとは思うが――
自分がビデオ店で会ったのは、スーツアクトレスのサヤカだったのか……?
そしてその日、慣れ親しんだスタジオ内での撮影を終え、熱いシャワーを浴びて汗を落とした大吾が、撮影所からの帰りにふとまた渋谷のレンタルビデオ店に足を向ける気になったのは――
もしかしたら、あの女性がまた来るかもしれないという、微かな予感に身を動かされたからに他ならない。
――サヤカさんってのが誰か知らないけど、兄ちゃんが顔を知られちゃったらそのヒトとも終わりだね。
朝方、生意気な妹が吐いていった小癪な発言が脳裏に蘇る。
そんなことは大吾だってわかっている。相手が視聴者だろうと共演者だろうと……そして同じスーツアクターだろうと、野獣である自分が女性の前で顔を出しても何も良いことなどない。
だが、素顔を見せないまま、今一度、言葉を交わすくらいなら。
それも、自分がスーツアクターの大吾だと相手に悟られないまま、一人の通りすがりとして口を利くくらいなら――。
おいおい、何をやっているんだ、と自分で突っ込みを入れたい気持ちは否めない。女っ気とは無縁のまま二十五年も生きてきた自分が、今更どこの誰とも知れない女性との再会を期待して、当てもなく店を訪れるなんて――。
「……っ」
すると、どうだ。
天の采配か、悪魔の導きか――
信じられないことに、大吾の視界の先の特撮コーナーに、まさしく求めていたその背中があったのだ。
後ろ姿を見ただけでもピンとくる、華奢にして端正な身体つき。
先日の女性だ。間違いない。
大吾がそう確信した時、遠くに見える彼女の頭が、すっ、と無造作にこちらを振り返った。
その瞬間、彼女はこちらの存在に気付いてハッと息を呑んだ――ように思えた。
思えた、というのは、大吾にはその女性の目元も口元も、彼女の着用しているサングラスとマスクに隠されて全く見えないからである。
だが、思い違いではない。女性はマスクをした口元に片手を添え、固まったように、ずっとこちらを見ている。――明らかに、向こうもこちらの存在を認識しているのだ。
大吾は自分が確かにサングラスをしていることを確認し、心の動揺を気取られないように、ふうっと深呼吸をしながら、女性の待つ特撮コーナーへと一歩ごと足を進めた。
いやいや、待て。引き返すなら今だぞ。自分のような野獣が女性と言葉を交わしたところで何になる――。
頭の中では天使か悪魔か分からない声がしきりに足を止めさせようとしてくるが、結局、気付けば大吾はアルファイター・シリーズのDVDが並ぶ棚の前まで来てしまっていた。
女性に顔面を直視されないよう、彼女から一歩離れたところで棚に顔を向けて立つ。
どんな危険な撮影の前にも感じなかった緊張が、彼の心臓を激しく脈打たせていた。
「……あの。この前の方……ですよね」
女性の方から話しかけてきた。天上から響くような綺麗な声だ。
大吾は彼女に顔を向けすらせず、はぁ、と答える。何が「はぁ」だ、もっと気の利いた言葉はないのか、と脳内の天使か悪魔ががなりたててくる。
「この前は、ありがとうございました。……わたし、あれから無事に『アルファイター
女性のほうも、ぽつり、ぽつりと並べるような喋り方だった。その胸中を推し量れるほどの余裕は今の大吾にはない。
まして、隣の女性がスーツアクトレスのサヤカなのか否かなど、こんなまともに回らない頭の状況で確かめられるはずもない。
「……そうっすね」
どうだ、今度は五文字発音してみたぞ。脳内の天使か悪魔か知らないが、これが俺の限界なのだから諦めろ。
こめかみに嫌な汗を感じる。これ以上ここにいると心臓が破裂してしまいそうだ。もう無理だと判断し、大吾はその場から立ち去ろうときびすを返した。
「待ってくださいっ」
女性の声が、彼をそこに引き止める。
数秒ほどの間を置いて、女性は続けた。
「お好きなんですか? ヒーロー」
大吾は振り向かない。サングラスをしているとはいえ、正面から素顔を見られたが最後、女性は二度とこの場所に立ち寄ろうとはしなくなるだろう。
「まあ、好きですよ」
好き嫌い以前に関係者だとはとても言えず、大吾はそっけなくそう答えるしかなかった。
すると、女性は。
「……わたしも」
自分と同じ、緊張に震えたような――それでいて玉のような美しさを損なわない声で、大吾に告げた。
「わたしも好きです。ヒーロー」
大吾の背中にふわりとかぶさるような彼女の声は、彼が店を出てからも、いつまでも鼓膜の奥に残って消えなかった。
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