第20話 美女とアイドル

 東海地方最大の繁華街、名古屋・さかえの中心部に燦然と輝く名古屋エイトミリオンの専用劇場は、目当てのアイドルのパフォーマンスを間近に見るべく押し寄せたファンの熱気と歓声に揺れていた。厳しい倍率の抽選をくぐり抜けてチケットを手にした幸運な下僕しもべ達の、虎よ火よと張り上げる雄叫びが、アイドル達の歌声をかき消さんばかりの勢いで定員三百名足らずの会場にこだましている。

 サヤカは北映ほくえいの梅野プロデューサーとともに劇場隅の関係者席に陣取り、翼なき天使達の熱演に視覚と聴覚のすべてを傾けていた。豊橋レナとの「共演」にあたり、まずは彼女の普段の顔を知っておくべきだと梅野に誘われたのだ。

 名古屋エイトミリオンのステージは、一言でいえば――凄まじかった。

 弾むような曲調、激しいステップ。狭いステージで十数人が入り乱れても、微塵のズレも感じさせない振り付け。一糸乱れぬその動きは、全員、後ろにも目が付いているのではないかと思うほどだ。

 それはまるで、仮面マスクで不自由な視界のなか、瞬速で敵と斬り結ぶ熟練のスーツアクターの殺陣たてと同じ――。しかも、アクションの現場と違って、彼女達は歌い踊りながらファンに笑顔で視線レスを送らなければならないのだ。

 かつて秋葉原エイトミリオンのオーディションを受けたこともある身として、サヤカも決してアイドルのパフォーマンスの何たるかに無知なわけではなかったが……それでもなお、目の前で繰り広げられる天使達の全身全霊の熱演は、彼女の想像の域を遥かに超えていた。

「すごいですね」

 曲の合間、サヤカが隣の梅野に小声で囁くと、敏腕女性プロデューサーは自慢げに頷いてきた。

「彼女をキャスティングしたのは正解だったわ」

 その「彼女」――豊橋レナは、十数人のメンバーが奴隷ファンの忠誠を巡って競うこの劇場のなかでも、一際強い輝きを放っていた。名古屋エイトミリオンのツートップの一角と評される彼女だが、その二輪の薔薇の片割れがメディア仕事の都合で劇場に出演していない今、この公演は彼女の独擅場どくせんじょうといってもよさそうだった。

 激しいダンスナンバーを中心センターに立って踊りこなしたかと思えば、中盤のソロ曲『紅葉もみじのターミナル』では、同性のサヤカでもどきりとさせられるような、しっとりと妖艶な微笑を覗かせる。そして、アンコール後の目玉曲『天狗てんぐ兵団』では、威勢たっぷりの号令で他メンバーを統率し、隊列の先頭で玉散る汗を飛ばしてみせる――。

 これが「総選挙七位」の実力か、とサヤカはひたすら目を見張っていた。初めてホテルの一室で顔を合わせたときの、特撮ヒーローへの愛とこだわりを子供のような無邪気な顔で語っていた彼女とはまるで別人のようだ。

 ……いや、きっと彼女は、自分と違って、仮面マスクを被らなくても別人になることができるのだろう。人間・豊橋レナから、幾万人の奴隷を跪かせるトップアイドルの豊橋レナに。

 ステージの幕が下りるまで、サヤカは身震いを止められなかった。この世界スターダムには、こんな傑物がいるのか――。


 しかして、その傑物は、劇場裏の関係者控室に引っ込んでアイドルの仮面を外した瞬間、ひとりの無邪気なオタクに戻るのだった。

「サヤカさん、エイト役の大吾さんってどんな人ですかっ!? 悪を追って銀河を駆ける正義の巨神、アルファイター・エイトの『中の人』を務めるくらいですから、さぞ! さぞ素敵なお方なんですよね!?」

 隣の楽屋でささっとステージ衣装から着替えてきたらしく、楽そうなTシャツに袖を通したトップアイドルは、きらきらと目を輝かせてサヤカの前に身を乗り出してくる。

 パイプ椅子に座って彼女と向き合ったサヤカは、その勢いに劇場とは別の形で気圧されながらも、「実は」と口を開いた。

「まだ、お会いできてないんです。昨日の台本読み合わせは、わたしは『戦団』の方の撮影があって行けなかったので……」

 角屋プロダクションの「正体不明の花形」、スーツアクターの大吾との対面が未だ叶わずにいることは、サヤカにとっても心残りだった。もちろん、これから撮影が始まれば会う機会はあるのだろうが……。

「レナさんこそ、読み合わせでお会いになったんじゃないんですか?」

「それがー」

 レナは途端にしょげた表情になって、上目遣いでサヤカと隣の梅野プロデューサーを見上げてくる。

「スーツアクターの方達はずっとスタジオの隅におられて、ご挨拶もできなかったんですよ。わたしも次のお仕事が詰まってたから名古屋こっちにトンボ帰りだったんですよね。あぁ、是非ひと目、素顔が見てみたかったっ」

 悔しそうに拳を握ってみせる豊橋レナ。そんな仕草まで可愛らしいのだから、サヤカの方こそ悔しくなるが――。

 ……あれ? 今、彼女は、大吾の素顔を見られなかったと言ったか?

「顔は見れたんじゃないんですか? スタジオにいらしたんですよね」

「だって、大吾さん、顔を隠してたんですよ。こう、ドロボーが被るみたいな、覆面? なんて言うんですか、あれ。そんなのを被った上に、サングラスまでして。名探偵ドイルの犯人だって目と口は見えるじゃないですか。それ以上ですよ、あの隠しぶりは。ニンジャファイブの忍び装束だって目は出てるのにっ」

「え……っ」

 レナが律儀に覆面とサングラスのジェスチャーのようなものを交えて述べたその事実は、サヤカにとっても軽い驚きだった。彼がメディアに顔を出さないのは知っていたが、関係者の前でまで素顔を隠しているなんて。

 ――そんなの、まるで、わたしのようじゃないか。

「でも、だったらレナさん、よくそれでその人が大吾さんだってわかりましたね」

「え? そりゃ、わかりますよぉ。ファンですから、わたし。見ればわかります。身体つきでわかります」

 アイドルは何故かうっとりした表情で何もない天井を見上げている。その彼女の台詞を聞いた瞬間、サヤカの脳裏に何か電流のようなものが走った。


 DVDで繰り返し見た、アルファイター・エイトの身体と――

 レンタルビデオ店でそのDVDのありかを教えてくれた、あの男性の身体が、サヤカの記憶の中で重なる。


「……サヤカさん?」

「サヤカちゃん、どうしたの」

 レナと梅野の声が一つにハモり、サヤカの意識をこの控室に呼び戻した。

「いえ……ちょっと。なんでもないです」

 サヤカは軽く頭を振り、自分の中に首をもたげ始めたその可能性を意識の隅に追いやろうとしたが……。

 ひとたび電気が通った以上、どうしても、彼女の頭脳はそのことについての演算を進めてしまう。

 互いに顔を知らない同業者とばったり街で出くわすなんて、いくらなんでも、広い東京でそんな偶然があるだろうか。……しかし、特撮関係者同士がレンタルビデオ店の特撮コーナーで偶然出会うくらいは、ありえないことではないのかもしれない。

「サヤカさんっ。わたし達の共通の目的は、一日も早く大吾さんの素顔を暴いて、言葉を交わすことですねっ」

 レナが声を弾ませてそう言っていた。くるくると目まぐるしくテンションの変わるトップアイドルの勢いに、サヤカはなんとか付いていこうと試みながらも、まだ頭の中から仮説検証の動きを振り払えない。


 ――とにかく、撮影現場で顔を合わせる機会があれば、本人に尋ねて確かめてみるしかない。あのときレンタルビデオ店で会ったのは、あなただったんですか、と。

 もし、あの人が、スーツアクター大吾なのだとしたら――サヤカには彼に伝えなければならないことがある。

 まだ、DVDの件のお礼を言っていないのだ。


 ――よし、そうしよう。大吾の正体があの男性なのか否かを突き止め、その答えがイエスであれば、改めてDVDのお礼を言おうじゃないか。

 サヤカの心はその結論で固まった。

 やっとのことで豊橋レナとの打ち合わせに集中するマインドを取り戻し、トップアイドルと二人で女バイカーマスクの役作りについて話し合いながらも、彼女はずっと胸の高鳴りを抑えられなかった。

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