第18話 美女以外の何か

 アルファイターを甘く見ていた。心のどこかで侮っていた。

 まさか、「アルファイター冒険記オデッセイ」がここまで心に響く作品だったなんて。


 DVDを最後まで見終わったとき、サヤカは再び再生ボタンを押す手を止められなかった。

 北映ほくえいの特撮に関わる者として、決して角屋プロダクションを下に見ていたわけではないが――

 震災復興のタイミングに乗っかり、大スターのTAKUYAと秋葉原エイトミリオンのメンバーの出演で話題を取りに行った「冒険記オデッセイ」なんて、どうせ中身は子供だましの作品かもしれないと思う気持ちがどこかに無いわけではなかったのだ。

 だが、この一本の映画に角屋プロが込めた熱意は本物だった。

 作中のストーリーに重ねて、絶望の淵からの再起を日本中に呼びかける、この真摯な作品作りはどうだ。トップスターの嫌味を全く感じさせない、TAKUYAや秋葉原エイトミリオンのアイドル達の気合の入った熱演ぶりはどうだ。そして――アルファイター・エイトをはじめとする銀河の英雄達の、逞しくも美しいアクションの乱舞はどうだ。

 酒田監督の力ももちろんあるのだろうが、それだけではない。企画者、出演者、スタッフ、全ての関係者の熱意が合わさらなければ、これだけの映画は作れまい。

 ……そして、同じ裏方として気になるのは、やはりエイトを演じる正体不明のスーツアクター「大吾」の存在。彼の勇姿をもう一度目に焼き付けなければ、今夜は寝るに寝られない。

 サヤカはティッシュに涙を染み込ませ、ベッドで布団にくるまったまま、画面に映る壮大な戦いの物語に再び没入していった――。


「姉ちゃん、朝から何泣いてんの。コワいよ」

 サヤカが朝のニュースを見ながらトーストをかじっていると、学生服に着替えた弟のたくみが眠そうな声とともにリビングに入ってきた。

 言われて初めて、サヤカは自分がテレビのニュースの内容など全く聴いていなかったことを悟る。頭のなかに去来するのは、昨晩、通しで二回も観てしまった「アルファイター冒険記オデッセイ」のシナリオばかり。

 トーストを手にしていない方の指を頬に当ててみると、確かにそこには、知らぬまに温かい液体が伝っていた。

 ――しょうがない。だって、「冒険記オデッセイ」はあまりに名作すぎたのだ。

「また失恋でもした?」

「……また? またって何よ。このわたしがいつ失恋したのよ」

 ムキになって口をとがらせるサヤカの眼前で、匠は冷蔵庫の扉を開け、野菜ジュースをグラスに注いでいる。

「アンタ、またジュースだけ? ちゃんと朝ごはん食べなさいって」

「いーんだよ。昼はちゃんと食べるから」

 冷蔵庫の扉をバタンと閉め、匠は無造作にグラスのジュースを飲み干した。

「朝から糖分摂取しないからアンタはバカなのよ」

 サヤカが頬の涙を適当に素手で拭いながら言うと、匠はそこでハッと何かを思い出したような顔になった。

「そうだ。今日は家庭教師カテキョのセンセー来るから、姉ちゃん、今日こそ部屋入って来ないでよ」

 匠は食卓の前に回り込み、本気マジの顔でサヤカを睨みつけてくる。もっとも、彼はサヤカの顔の全貌を直視してはいない。シャレではないが、匠は巧みに実姉の顔から目を逸らすことにかけては日本一の腕前を誇っているようなのだ。

 まあ、素顔の自分を見たがらない弟の気持ちは、サヤカ自身にも分からないでもなかったが……。しかし、わざわざ家まで来てくれる先生に対して家族が挨拶の一つもしないのは失礼であるし、その際にはちゃんとサングラスとマスクで顔を隠しているのだから、こうまで口うるさく文句を言われる筋合いはないとサヤカは思っていた。

「……アンタ、毎回それ言うけど、顔隠してても文句あるの?」

「大アリだって。あのさあ、姉ちゃんはグラサン越しでもセンセーを骨抜きにしちゃってんの。カワイソウに、姉ちゃんを見ちゃったばかりに、あのセンセーの大学生活はこれからずっと灰色だよ。華の女子大生が全員ジャガイモに見えるんだからさ」

 匠は自分のことのように溜息をついていた。熱いブラックコーヒーを喉に流し込みながら、サヤカは思う――溜息をつきたいのはこちらも同じだ。

「バカなこと言ってないで、アンタも早くカノジョの一人でも作ったら」

「姉ちゃんだってマトモに男と付き合えたこと一度もないじゃんか」

「ちがう。わたしは敢えて付き合わないの」

 いつも遅刻ギリギリまで家を出ない弟をしっしっと追い払い、その背中がリビングを出ていってから、サヤカはやっと一人でシュンとなることを許された。

 ――あの先生も、結局はそうなのか。

 新しい家庭教師の先生が、変装越しの自分と顔を合わせた瞬間に稲妻に撃たれたように固まってしまうのを、サヤカは二度も目の当たりにしていた。だが、できることならそれは、教え子の家族の前で緊張しているからとか、変装姿で人前に出てくる変な女と打ち解ける気になれないからとか、なにかそういう理由であってほしいと願っていた。

 そんなことは有り得ないと、これまでの二十年の人生でどれほど思い知らされていても。

 ――結局、あの堅くて真面目そうな先生も、わたしのことを顔の綺麗さでしか意識してくれないのか。

 いや、堅いとかチャラいとか、真面目とかそうじゃないとか、そんなことは関係ないのだ。サヤカにはよくわかっている。世の中の男性が彼女の内面を見てくれたことなど、特撮の現場に飛び込むまでただの一度もなかった。

 彼氏を作らない、というか、誰かとそれっぽい雰囲気になりかけても絶対に後が続かないのは、ひとえにこの見た目のせいだった。どれほど内面を見てもらおうと努力したところで、男にとってのサヤカの認識はどこまで行っても「顔の綺麗な女」でしかない。美女は美女以外の何かになることはできないのだ。

「姉ちゃん、行ってくる!」

「行ってらっしゃい」

 いつものように慌てた調子で玄関を飛び出していく弟の声を見送りながら、いやいや、とサヤカは自分を鼓舞するように首を振った。

 わたしがわたし以外の何かになれる場所が今はある。変身ヒロインの「仮面」を被っている時間だけは、誰も自分を女神扱いできない。

 ――誇りを持って、この仕事を続けよう。

 もうすぐ始まる新作映画の撮影がサヤカは心から楽しみだった。この自分がシリーズ初の主役女バイカーを演じること。人気アイドルの豊橋レナと二人三脚でキャラ作りをすること。そうした大舞台への身震いもあるが、輪をかけて楽しみなのは、アルファイター・エイトのアクターに現場で会えること。

 等身大アクションと巨大ヒーローのアクションでは、撮影が一緒になることはあまりないかもしれないが、そうは言っても同じ映画に携わる身だ。どこかで相まみえる機会はあるに違いない。

 スーツアクトレスとして会うのであれば、顔を見せなくても済む。

 ……あの男性のような優しい人だったらいいな。

 サヤカの頭に浮かぶのは、レンタルビデオ店で「冒険記オデッセイ」の場所を教えてくれた、顔も知らないあの男性の姿だった。

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