第17話 野獣は野獣

 なんということだ。凄まじく素敵な女性だった。あんな女性がまさか特撮に……アルファイターに興味を示すなんて。

 逃げるように大型レンタルビデオ店を出た後、大吾は足早に渋谷駅に向かって歩きながら、先程出会った女性のと声を思い返していた。

 さっさと背中を向けてよかった、と彼は思う。一瞬の邂逅だったのでなんとか顔を見られずに済んだかもしれないが、あれ以上話していたら、自分の顔のコワさに早々に気付かれていただろう。自分がサングラス越しにでも女を震え上がらせる顔をしていることは重々承知だった。ああして素早く立ち去るので正解だったのだ。

 ……それにしても、素敵なの女性だった。いや、断じてイヤらしい意味ではないのだ、と大吾は誰にともなく脳内で言い訳する。彼女の姿を目にした時のあの衝撃は、そう、酒田監督が自分の身体を芸術品と称するのと同じ。服の上からでもわかる、バネのようにしなやかな肢体。すらりと細長い手足は、戦場で民を導く聖女ジャンヌを思わせる輝きを放っていた。

 せめて顔を覚えていれば、また会うこともできたのかもしれないが……。

 その女性の顔面について、大吾は自分でも驚くほど何も覚えていなかった。あの女性は眼鏡をかけていただろうか、かけていなかっただろうか。長髪だったろうか、短髪だったろうか。なぜ自分は、彼女の顔を見なかったのだろう――。

 いやいや、と大吾は歩きながら首を振る。自分のような野獣が彼女ともう一度会ったところで何になる。怖がらせてしまうのが落ちだ。人並みに女性と接することなど、自分には許されていないのだ。

 ならば、せめて――

「よっしゃ」

 大吾は駅の改札を通りながら小さく呟き、気合を入れ直した。せめて、頑張ってアルファイター・エイトを演じ続けよう。あんな素敵な女性がアルファイターに興味を示してくれているのなら、一層の誇りを持って仕事に打ち込もうじゃないか。


「兄ちゃん、機嫌良さそうだね」

 大吾が自宅の食卓で母親の作り置きした夕食をぱくついていると、背後から妹の千佳ちかが声をかけてきた。

 大吾は振り向かず「そうか?」と答える。身内とはいえ、向こうが覗き込んでこない限りは顔を見せないのが、思春期の妹に対する兄貴としてのせめてもの優しさだった。

 ところが、今日の千佳は自ら食卓の向かいに回り込み、積極的に大吾と顔を合わせてきたのだ。

「……やっぱ、顔コワい」

「なんだ。ケンカ売ってんのか?」

「うぅん。親友をこんな野獣に会わせるわけにはいかないな、と思って」

 千佳はそう言って、笑い半分、溜息半分といった顔を見せる。……俺と似た顔に生まれなくて本当によかったな、と大吾はしばしば妹の幸運に心の中で拍手を送っている。

 ――それはともかく、なんだ? 今の話は。

「なんだよ、俺を親友に会わせるって」

「聞く? 聞いちゃいます? おにいさま」

 茶碗の飯をかきこむ大吾の向かいで、千佳は絶妙な角度で大吾の顔面から視線を逸らしながら、スマホを片手でもてあそんでいる。

「あたしの友達に、エイト様大好きなコがいるのよ。それで、兄ちゃんがエイトのスーツアクターやってるって言ったら、会わせて会わせてーってずっとお願いされてるの」

「なんで言うんだよ、身内がエイトのアクターだなんて」

「話の流れっていうか? あたしも後悔しておりますー、ごめんなさいー」

「……で、俺にどうしろって」

「どうしろとも言わないよ。そりゃ親友のお願いは叶えてあげたいけど、同時に夢を壊しちゃうのもイヤじゃん? だから、兄ちゃんにはせめて、これからも顔を明かさない裏方に徹しててほしいなってハナシ」

 勝手なことを言う妹だ。親友とやらに会ってくれと言われないのはよかったが、会わせる会わせないの決定権が自分にあると思っているあたりが、なんというか、あまりにもティーンエイジャーだ。仮にお願いされたって応じるわけないだろうが。

「……お前に言われなくても、どこにも顔なんか出さねえよ」

 それで一旦話のケリは付いたかと思ったが、千佳はなおも立ち去る気配を見せず、スマホから顔を上げて大吾の首元あたりを見据えてくる。

「それ、ホントにできるの?」

「なんだ、できるのって」

「だってさぁ。他のスーツアクターさんは別に顔をひた隠しにしてるわけじゃないんでしょ? スーツアクターの写真集とかもあるって兄ちゃん言ってたじゃん。……いつまで顔隠したままでやってけるのかなあ、って、不肖フショー妹君イモートギミは心配でありまする」

 世間話と本気の不安をミックスしたような口ぶりで、年の離れた妹は言った。

「……まあ、なるようになるだろ」

 大吾は表面上、その話を適当に流したが――

 実際のところ、妹に横から茶々を入れられるまでもなく、彼自身もそのことは気がかりなのだ。

 彼の顔面の威力をよく知る角屋プロダクションのはからいで、「顔を見せないスーツアクター」としてデビューさせてもらってはや数年。映画パンフレットのインタビューでも、特撮専門誌の特集記事でも、先輩や後輩が顔を出しているのに混じって、彼だけは頑なに「正体不明」を貫いている。そうして顔を隠せば隠すほど、自分自身、目に見えない何かにせっつかれているような感じは否めなかった。

 いつまでも、このままでやっていけるはずがない。いつか必ず「仮面」を外さなければならない時は来る。

 ――いや、だからこそ、か。

「隠せるとこまで隠し通すしかねえんだよ。視聴者をがっかりさせねえためにもな」

 向かいに座る妹に対してというより、大吾は自分に言い聞かせるように言った。

「兄ちゃん、視聴者さんのためとか考えてるんだ。芸能人みたい」

「うるせえよ」

 視聴者、と言うときに彼の頭に浮かんだのは、不特定多数の観衆ではなく、どこの誰とも知れない特定のただ一人。

 野獣は野獣だ。人並みにメディアに顔を晒してはならない。

 彼女のような素敵な女性がアルファイターのファンで居続けてくれるためならば、自分は永遠に顔を隠した裏方でいよう――。

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