第16話 邂逅

『はい。このたび、わたし豊橋とよはしレナは、なんと、北映ほくえいさんのバイカーマスク・シリーズの新作映画に出演させて頂くことになりました。これだけでもすっごく、跳び上がるくらい嬉しいんですけど、なんとなんとですね……わたし、変身します! 女性バイカーマスクの役なんです! 皆さん、信じられます? このわたしが変身ヒロインですよ。わたし、高校時代に剣道はやってたんですけど、本格的なアクションは初めてなので、今からもうドキドキで。あ、アクションします、ばっちりアクションします! まだ台本もらってないんですけど、アクションシーンは絶対ばっちりあります。だって、なんといっても、なんといってもですよ、特撮好きの方には通じると思うんですけど、なんと今回の映画、酒田浩平こうへい監督がメガホンを取ってくださるんです! 酒田監督といえば、あの「WINTERウィンター TRIBUTEトリビュート to 平成バイカー」の酒田監督ですよ。わたし、あれ観て何度泣いたことか! あはは、豊橋レナ、今夜も暴走モードですね。それで、これはまだ秘密なんですけど、わたしがバイカーマスクに変身するってこと以外にも、さらに大きな目玉があるんです、この映画。皆さん、続報を、続報を心待ちにしててください! はい。じゃあ、お話変わって、先日発売されたばかりの名古屋エイトミリオンの最新シングル「キュートな多数決」なんですけど――』


 サヤカはいつものように顔を隠して撮影所からの帰りのバスに揺られながら、マイチューブの公式チャンネルに昨日追加されたばかりの豊橋レナのWEB配信番組をスマホの画面に映していた。

 話題が最新シングルとそれに伴う握手会の話に移ってからも、レナの楽しそうな喋りは続いているが、ひとまずサヤカにとって大事な部分は終わったので再生を止める。イヤホンを耳から抜くと、バスはちょうどサヤカが乗り換えるべき公園前の鉄道駅に差し掛かるところだった。

 動画の中でレナが言っていた「さらに大きな目玉」、すなわち角屋プロダクションのアルファイターとの共演というビッグイベントについては、サヤカも今日になって梅野プロデューサーから聞かされたばかりだ。まだ一般公開できる情報ではないが、両社のすり合わせは着々と進んでいるらしい。

 ビーストイエロー役の先輩アクトレスの話によれば、先代チーフプロデューサーの黒部なら、他社の財産であるアルファイターを平然と添え物にするような作品作りも平気でやってのけたかもしれないという。だが、梅野の思いはそれとは違うようだった。「バイカーマスクとアルファイターを対等に扱う映画にするから、角屋あちらに負けないようにサヤカちゃんも頑張ってね」というのが、今日サヤカが梅野に言われた言葉だったのだ。

 責任重大だ、とサヤカは思った。

 昨日、豊橋レナのバイカーマスクの映画への出演が告知されて以来、その話題は既にネット上の特撮ファンやアイドルファン達の間の流行トレンドとなっていた。酒田監督の「春映画」への初登板を喜ぶ声、レナの抜擢を歓迎する声――。数多くの好意的なツイートが電脳空間を飛び交っている。

 その勢いを見てサヤカは実感していた。酒田監督も、豊橋レナも、本当にすごい人物なのだ。

 スーツアクトレスとしてヒヨッコに等しい自分が、こんな歴史の大舞台に立ち会うのは不思議な感覚ではあったが、負けてはいられないとサヤカは決意を新たにしていた。少なくとも、前評判で期待している観客を失望させるようなことがあってはならない。梅野も酒田も、この大事な局面に、他の誰でもないわたしを選んでくれたのだ。顔の綺麗さではなく、ちゃんと首から下を見て。

 吊革につかまり、池袋線に揺られるなか、サヤカはふふっと自然に笑みをこぼしている自分に気付いた。

 女優になる夢が叶わず、仕方なく飛び込んだはずの裏方の道。それがいつしか誇りある道へと変わっていた。皆がわたしに期待してくれるのなら、わたしは豊橋レナアイドルとは違った形で輝いてみせよう。

 ――そうと決まれば、勉強だ。


 電車を降り、サヤカがその足で向かったのは渋谷の巨大なレンタルビデオ店だった。国内最大級の規模を誇るこの店舗には、扱っていないDVDはほぼ無いとまで言われている。

 サヤカはこれまでにも、過去の五色戦団やバイカーマスクのDVDを何度もここで借りては勉強していたが、今日の目当てはもちろんアルファイター・シリーズだ。他社の作品なので今までちゃんと目を通したことはなかったが、今度の映画が大事な歴史のターニングポイントになるのなら、出演者の自分が何も知らずにいるわけにはいかない。

 ひとまず、大スターのTAKUYAと秋葉原エイトミリオンの面々の出演で話題になった、現時点で最後の長編映画「アルファイター冒険記オデッセイ」から観ておくべきか?

 サヤカは慣れた足取りでキッズコーナーへと向かった。日本一の品揃えが自慢の店舗だけあって、ここには歴代の戦団やバイカーのシリーズが全て揃っている。だが、北映特撮ならどの棚に何が並んでいるかほぼ暗記しているサヤカでも、アルファイターとなると話は別だった。

 昭和に平成、テレビシリーズ休止期のオリジナルビデオと多くの作品がある中で、「冒険記オデッセイ」はどこに並んでいるか――。サヤカは少しの焦りを感じながらアルファイターの棚に目を走らせた。平日なので親子連れの客はそうそういないが、あまり長く居座るわけにもいかない。サングラスにマスク姿の女が子供向けコーナーにいると目立つのだ。

「……おかしいなあ」

 目当てのパッケージが見つからず、サヤカはついマスクの下で小さく声に出してしまった。

 いや、おかしい。かなりマニアックな特撮作品まで取り揃えているこの店舗で、近年のアルファイター・シリーズの看板作品である「冒険記オデッセイ」が無いはずがない。歴代作品のテレビシリーズや劇場版も大抵は二本ずつかそれ以上置いてあるのだから、「冒険記オデッセイ」ほどの作品ともなれば三本や四本は軽く置いていそうなものだ。他の客に貸出中だとしても、カラのパッケージだけは棚にあるはずなのに。

 サヤカがキッズコーナーに立ち尽くし、ううん、と小さく首をかしげていると――。

「何探してるんですか」

 背後から降ってきたのは、男の声。

「えっ」

 明らかに自分に向けられたと思しきその声の方へ、彼女が振り向くと。

 そこには――とてつもなくの男性が、薄手の黒いシャツの上にこれまた黒いパーカーを羽織って立っていた。

「『アルファイター冒険記オデッセイ』……です」

 質問への答えが思わず口をついて出る。服の上からでもわかる、筋骨隆々の整った身体に目を釘付けにされながら。

「あ、それなら、TAKUYAの特集コーナーっすよ。おかしいっすよね。子供の観るものなんだから、こっちに置いたらいいのに」

 それだけ言うと、男性はくるりときびすを返し、キッズコーナーから立ち去っていってしまった。――なんだ、その棚まで案内してくれるわけじゃないんだ。

 サヤカは彼の背中に数秒の間、目を引きつけられていたが、ややあって「お客様、失礼します」という女性店員の声で我に返った。店員は客の返却したDVDの山を棚のパッケージに戻す仕事をしていた。通路に立ち尽くしていた自分は相当邪魔だったに違いない。

「あっ、スミマセン」

 店員にぺこりと頭を下げてその場をどいてから、サヤカははっと目的を思い出し、その女性店員に「TAKUYAの特集コーナーってどこですか」と尋ねてみた。店員はサヤカがサングラス越しに目を合わせた瞬間、何かにハッとしたような顔になって一瞬固まっていたが、すぐにその棚の場所を教えてくれた。

 TAKUYAの特集の棚には確かに「アルファイター冒険記オデッセイ」が面置きで十枚近く並べてあった。あの男性の言葉通り、ちょっと意地の悪い配置だな、と彼女は思う。子供向けの作品をこんなところに置いてどうするのだろう。

 目当てのDVDを取り、レジに向かうさなか、ふとサヤカは思い出した。あの男性にお礼を言っていない。きょろきょろと辺りを見回してみるが、もはや広大な店内で彼女が彼の姿を見つけることはできなかった。

 一体、何の仕事をしている人なのだろう。アルファイターの棚に居たということは、特撮が好きなのだろうか。

 それにしても素敵な身体をしていた。まるで、変身ヒーローそのもののような――。

 レジで会計を済ませ、DVDのバッグを持って、サヤカは店を後にする。

 あれ? そういえば。

 ……あの男性は、どんな顔をしていただろう。

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